第71話 第5章 ひなた―――2017
それからしばらくは無我夢中の日々が続いた。
わたしと優希はマンションに移った。
自宅は完全に瓦礫と化してしまっていたけれど、お母さんが新居にするつもりだったマンションは無事だったため、そこがわたしたちのすみかとなった。引っ越しがあらかた済んでいたのは幸いだったが、布団や寝具がないのは閉口した。わたしたちは病院で借りてきた毛布を部屋の隅に敷き、夜はその上でふたり寄りそうよう寝た。朝になると病院や施設へ行き、お母さんとおばあちゃんを見舞った。学校は無期限の休校となり、代わって食べ物や水をもらうことが一日の時間のすべてを占めた。わたしと優希はひたすら生き伸びることに専念した。
地震の爪痕は大きく、生々しかった。
毎日病院通いをするうち、わたしたちは札幌を襲った震災の惨状をつぶさに目の当たりにした。往来で倒れている人がいた。家族に取りすがって泣き叫んでいる人がいた。優希と二人、戦場のようなホールをかき分け、お母さんのいる病室に着くとほっとした。感傷にふける間など一秒もなかった。それは二度と思い出したくない数日間だった。
テレビでは連日のように震災の報道が流れていた。我が街のことながら内容が面白く、待合にいる大勢の人に混じってわたしは時間の許す限りそれを見た。そしてあたかも追体験をするように地震発生から現在までの状況を知ろうとし、道内道外のどんな詳細な情報でも逃すまいと聞き入った。
震災の規模は徐々に明らかになりつつあった。
消防庁の発表によると、今回の震災で亡くなった人の数は40余人。住宅の全壊は約8000棟、半壊は3万棟にも及ぶとのことだった。あらゆる数字が日を追うごとに増えていき、その数字ひとつが意味するところにわたしはおびえた。病院で重傷者を目撃するたび、ふだんは遮られて見えなかったものが突然露わになったような感じがして、わたしは懸命に優希の手を握った。
むろん、つらいことばかりではなかった。
節子おばさんは時間が許す限りいつも側にいてくれたし、1980年から持ってきたスマホを充電ケーブルに繋いでみると、友達からいっぱいメッセージが届いていた。みんな自分の無事やわたしの安否を訊ねる文面ばかりだった。わたしから半日(!)連絡が絶えていたことでひどく心配していたらしい。往復74年間の時間旅行をしたあげくバッテリーが切れても、充電しさえすれば正常に動くスマホの性能にわたしはあらためて感じ入った。
半狂乱になったカーチャからいっぱいメッセージが届いていたので、わたしは早速返事を返した。
『ごめん。私無事』
『もうっ。しんぱいしたよ』
『えへへ。ごめんよ。カーチャは?』
『だいじょうぶ。お店も平気だったっ。お皿はだいぶ割れたけど』
お母さんの傷は日に日によくなっていったが、足首の怪我は少し長引いた。自分が軽傷なのにもかかわらずベッドを一つ占領していることをお母さんは心苦しく思っていたけれど、こればかりは焦っても仕方なかった。
「お引っ越しが済んでてよかったね」
「でも家が潰れてお教室がなくなっちゃったし、早く教える場所を捜さないと。なにより子どもたちの教材と問題集を全部失ったのがねえ。頭痛いわ」
身を起こしたお母さんは溜息交じりに言うと、包帯の取れたこめかみを指でコツコツ叩いた。そしてベッド脇に腰を下ろしたわたしに軽く微笑みかける。
「ひなた。頼むね、優希とおばあちゃんのこと」
「うん」
わたしはうなずいた。
翌日も、その翌日も、あわただしい日々は続いた。
地震の日以降おばあちゃんはやや体調を崩していたので、わたしは病院のほかに朝と夕の二回、施設に顔を出しておばあちゃんを見舞い、必要な日用品を運んだ。替えのシャンプーを手に入れることはもうむずかしくなっていたけれど。
街の復旧活動はようやく本格化していた。
札幌市の北部から北東部の地区は大きなダメージを受けており、電力がすぐに回復した一方、水道とガスの復旧には少し時間がかかりそうだった。学校や公民館を中心に避難所が設けられ、ボランティアの受け入れが始まった。徐々に街に秩序の気配が戻り始めていた。
学校は休校となっていたが、これは校舎が被災者の臨時の避難所となっていたためだった。もっともわたしも優希も勉強どころではなく、毎日病院と施設を往復するのに精一杯だった。病院も施設もなまじ機能しているぶん、いつも建物内は人でごった返していた。わたしたちはそこを半ばすみかとし、食事は避難所で並んで手に入れたものを二人、お母さんのベッドの脇で食べた。やることは山のようにあり、マンションに辿り着いたあとは泥のように眠った。1980年での出来事も、お父さんの記憶も、すべては時の彼方に去っていき、思い出すこともなくなった。
日は流れ、震災から一週間がすぎた。
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