第78話 第5章 ひなた―――2017
横断歩道を渡り、黒いコートを着た男の人がゆっくりとこちらに歩いてくる。その男性はわたしたちの視線を正面から受け止めると、静かに入り口前の石段をのぼる。銀フレームの眼鏡をかけた、太った小柄な中年の男の人だ。
探偵さんが声を投げた。
「おそいぞ」
「わたしは忙しい。あなたみたいな暇な方といっしょにしないで下さい」
男の人の言葉に探偵さんは薄く笑うと、わたしを顧みて言った。
「ミク、この男は大西という弁護士で例の立会人の一人だ。こちらはミク。俺の古なじみの依頼人だ」
「はじめまして。札幌総合法律事務所の大西です」
そう言うとその人は躊躇なくわたしに右手を差し出す。あわてて差し出したわたしの手を力強く握り返すと、その人は眼鏡のレンズの奥から値踏みするようにわたしをながめた。
「なるほど、こちらが例のお孫さんですね。いつもの法螺かと思いきや、まんざらでたらめでもなかったようだ」
「言ったろ。俺は本当のことしか言わない」
「あなたの真実は羽毛よりも軽い。信じるのは無能か馬鹿のどちらかです」
探偵さんの軽口を一刀のもとに斬り捨てると、大西さんと名乗ったこの男性はわたしに視線を戻して言った。
「身分証はお持ちですか。名前と住所が確認できるものでかまいません」
「……ええと、は、はい」
「拝見」
わたしの差し出した学生証を押し
「な? いかにも裁判で勝ちそうな奴だろ」
「裁判?」
なんだか急に大ごとになってきた気がしておびえるわたしをよそに、大西さんは銀行の窓口でなにやら言葉を交わす。やがてわたしたち三人は奥まった一室に案内された。そこは中央に机と椅子が置かれた小さな箱形のブースだった。正面にはATMに似た機械がある。
「すげーな。前に来たときはこんなハイテクじゃなかった」
探偵さんは感心したように言った。
「…………」
見たこともない一室に通され、急に心細くなってわたしはぎゅっと唇を噛んだ。次第に心臓の鼓動が高まってくる中、おばあちゃんが預けたという品の正体を想像する。
それがお金でないことはわかっていた。探偵さんの話を聞くまでもなく、おばあちゃんの遺産話がどうやらうさんくさいことはわたしにも察しはついていたし、お金をこうした貸金庫に預けるはずもないという分別もあった。でも、じゃあ、おばあちゃんはいったい何を預けたのだろう……?
「どうした? だいじょうぶか」
「う、うん。こんな大きな銀行、初めて来たから」
気遣う探偵さんにうなずきかけるとわたしはひとつ深呼吸した。傍らの大西さんがアタッシュケースを開くと、中から白い封筒を取り出し、丸っこい指でわたしに差し出す。
「以前お預かりしていたものです」
「…………」
わたしはそれを受け取ると、中をあらためた。中には貸金庫のカードと鍵が入っていた。この弁護士さんの字だろう。封筒の表面には『久我薫 様 2005.5.5 』と記されている。
「わたしの誕生日だわ。満一歳の」
「なるほど、な」
探偵さんが低くつぶやいた。
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