第31話 第2章 ミク―――1980


 右折と左折を繰り返し、街の狭い隘路を抜けて探偵さんの車は創成川そうせいがわ通りへ出た。川に沿って国道五号線を進み、そのまま通りを北上する。

 わたしは車内に漂う煙草の匂いに閉口し、手動ハンドルで開けた窓から顔を出すと、いきおいよくおでこを外気にさらした。川べりのむこうに生えた灌木と密集した低い屋根の家並みが跳ぶようにすぎていく。

 探偵さんの車の色はくたびれたレモンイエローだった。

 エアコンのない車内には団扇が標準装備され、ドアは左右に二つきり、信号ですでに三度のエンストを起こすポンコツっぷりに先が思いやられたが、とりあえず走る姿だけはかろうじて車の体裁を整えているようだった。

「カナブンみたいね、この車」

「せめてカブトムシと言ってくれ」

丸みを帯びたどこか愛らしい車体の運転席に長身を窮屈そうに収めつつ、探偵さんは仏頂面で言った。

 車はしばらくすべるように進んだ。

 札樽自動車道をすぎ、あたりに住宅地が並び始める。未来と重なるどこか懐かしいその景色をわたしが熱心にながめていたときだった。ハンドルを握ったまま探偵さんが口を開いた。

「ミク。聞きたいんだが、親父さんになまりはなかったか」

「なまり?」

 突然訊ねられ、わたしは首をかしげた。

「言葉のなまりだ。方言と言ってもいいが」

「うーん。どうかしら……。あまりなかったように思うけど……」

 記憶を辿り、お父さんの声やふだんの言葉づかいを懸命に思い出しながらわたしは首をひねった。

「そうか。やっぱり子どもにはわからないよな」

「なによ。馬鹿にして」

 反射的にむっとするわたしに対し、探偵さんは苦笑した。

「そういう意味で言ったんじゃねえ。子は最初に親の声を聞き、それを口真似することで言葉をおぼえていくもんだ。だから自分がその土地の言葉を受け継ぎ、知らず身につけていたことに思い至るのはずっとあとになっての話だ。いや、すまん。わかってはいたんだが、一応な」

「なにかわかったのね!?」

 はっとしてわたしは訊ねた。

「前にお前が言ってたろ。電話帳を使って御形姓に電話してみたと。俺も直近ちょっきんのレースまで手が空いていたんでな。少し調べてみたんだ。ダッシュボードの上を見てみな」

 わたしはダッシュボードの上にある紙の束に気がついた。手に取ってみると、それはクリップで留められ手書きで記された御形姓のリストだった。

「こ、これ……」

「道内の御形姓のリストだ。本来ならこの調査分は時間外労働として依頼料に上乗せ計上してやるところだ。感謝しろよ」

 探偵さんはウインクして言った。




 探偵さんの調書によると、北海道内に御形姓を名乗る人は全部で七人いるらしい。ただしうち二人は、姓を「ごぎょう」ではなく「みかた」と読むため除外するとして、残るは五人。どういう手品を使ったのか、探偵さんはこの五人の住所や電話番号を含め、経歴のすべてを調べ上げていた。

「五人のうち、札幌市の電話帳に名が記載され、ミクが電話してみた二人についてはもう無関係と言っていい。一応略歴だけ明らかにすると、最初にかけた人物の名は御形浩三。年齢73。元国鉄職員で定年退職後は知人の運送会社に勤務していたが数年前にそれも辞め、今は菊水きくすいに一人で暮らしている。妻を亡くしたことも孫が愛媛県の三島にいるのも確かだ」

 ハンドルに手を掛け、探偵さんは前方を見据えたまま言った。

「もう一人は御形瑠理るり。32歳。お前と話したように四児の母で現在は育児の真っ最中だが、元看護婦というのは事実ではなく、この人は女医だな。ちなみに二人の子を産んだあと離婚して、昨年今の亭主と再婚している。なかなかのバイタリティーの持ち主だが、両親のほかに親戚縁者はなく、これまた御形陽介とは関係はない」

「そうだったの……」

 わたしは電話口で話した女の人との会話と、その背後から聞こえてきた赤ちゃんの元気な泣き声を懐かしく思い出しながらうなずいた。

「市外にいる御形姓はふたり。住所はそれぞれ旭川と苫小牧とまこまいだ。旭川在住の御形房枝ふさえは切り絵作家で、絵本の挿絵などを数多く手がけているほか、自宅に工房を持ちステンドグラスの作品なども製作している。1930年生まれで現在50歳。父親はレイテで亡くなっている。年老いた母、旦那、娘夫婦、生まれたばかりの孫と暮らしている。全員旭川の在で御形陽介と繋がりはない」

 車は減速すると十字路を左折した。裏通りに入るにつれ、車の量はぐっと少なくなる。真剣な顔でうなずくわたしに探偵さんは言葉を続けた。

「残るは苫小牧に住む御形憲人けんとという人物だ。だが電話をかけるとなぜか別れた女房の妹が出た。聞けばこの人物がここに住んでいたのははるか以前のことで、彼が離婚した際に名義人変更がされずそのままになっていたらしい。妹の名は三沢有里子。姉の亜希子は三年前に亡くなり、死後姉が暮らしていた家を引き継いだという。御形憲人はジャーナリストで、現在41歳。両親はすでに亡い。大学卒業後、放送局に勤務していたがほどなく退職。以来フリーの立場で様々な活動していたが、何とこの男は先日逮捕され、現在は刑務所に拘留中だそうだ。某大手製薬会社への取材中に警備員と暴行騒ぎを起こしたらしい。なかなか血の気の多い男のようだ。この人物の名前に聞き覚えは?」

「わ、わからないわ……。でも、知らないと思う」

 こんなくわしい事柄を、それもこんな短時間にどうやって調べ上げたのだろう……と、おどろきつつもわたしは首を振った。探偵さんはひとつうなずくと先を続けた。

「御形憲人は保釈が決まったそうだが、気になるのはこの人物には弟がふたりいるということだ。試しに「御形陽介」という名におぼえはないかとこの妹に尋ねてみたら、義兄の弟のどちらかがそんなような名前だったとのことだった。しかも、ここが重要なとこなんだが、御形憲人の父親の生まれは佐賀の唐津からつ市らしい」

「え、じ、じゃあ……」

「わからん。だが言うまでもなく佐賀は「薩長土肥」のだ。彼ないし彼の一族が親父さんと繋がりがある可能性は捨てきれない。念のためにその弟の住所を聞いてみたんだが、すると面白いことにそこの住所は札幌市内、電話番号は先日ミクがかけて繋がらなかったという御形姓の残り一つの電話番号だった」

「!」

「そんなわけでこの間からこの番号に何度となく電話をかけてるんだが、誰も住んでいないのかべつの事情があるのか、いっこうに通じる気配がない。で、こうして直接訪ねてみることにしたわけだ」

「そ、そのお家はどこに……」

「目の前さ」

 そう言って探偵さんは車を停めた。丸みを帯びたボンネットの前方に、背の低い二階建てのアパートが建っていた。


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