第45話 第4章 ミク―――1980
お母さんの命が助かるという未来の種を十分に
わたしは机にむかうと鉛筆でノートに横線を一本引いた。
さらにその線から斜め下に枝分かれして上の線と平行に伸びる横線を一本引き、上の線にA、下の線の横にA’とそれぞれ書くと、続けてその横にカッコをつけてAに(お母さんが地震で死ぬ世界)、A’に(お母さんが地震で死なない世界)と書きこんだ。そして最後に二本の線が枝分かれするその根の部分に黒丸をつけ、そこに矢印を書き、わたしがいるところ(1980年)と記す。
AとA’。
紙の上の二つの時間線を睨みつけるように見つめ、わたしは必死に考えた。
なんとか時の流れが上の進路を辿らず、下の進路へむかうようにしむけなければならない。それも早急に。今、この場所から。
その日以来、わたしは文字通り寝食を忘れた。
まるで人が変わったようにほおがこけ、目ばかりぎらぎらさせるようになったわたしをおじいちゃんやおばあちゃんはいぶかしんだが、もはや周囲に
未来を動かす。
定まった時間の流れを変え、お母さんの命を救う。
「あの地震を起こさせない」という選択肢は残念ながら存在しなかった。相手が天災である以上、人間の力で押しとどめることはできないからだ。
その一方で、あらかじめ地震の日時を知っていることを利用して地震当日―――2017年5月17日にお母さんがあの家にいないようにしむけるという方法も、試行錯誤の末わたしは放棄せざるを得なかった。当日いっしょにいるのならともかく、わたしのいるこの時間からは37年後の未来はあまりに先すぎて、影響力を及ぼすことができないのだ。もういっそ未来のお母さんにむけて手紙でも書こうか? いや駄目だ。差出人がだれかもわからないそんな手紙をお母さんがどうして信じるだろう。今の透子ちゃんに渡して「36年後に読んでね」とでも言づけるのか。
「うー」
わたしは絶望して頭を抱えたが、この問題に関して同じくらい胸を痛めていたのは、あの地震によってお母さん以外にもたくさんの人が亡くなったり、怪我をしているという当たり前の事実だった。一時的に戻った未来の病院で見たあの光景―――多くの人が苦しんでいる姿はあらためてわたしにそのことを突きつけた。
(怪我した人、いっぱいいたな……)
優希と手を繋いですごしたあのロビー。
なんとかあの人たちを救う方法はないものか。「大きな地震があるよ」と
未来に起こる出来事をわかっていながら関与できない悔しさにわたしは唇を噛みしめたが、今自分の置かれている境遇を考えれば、札幌の街を救うという大きな望みはひとまず捨てざるを得なかった。札幌の街うんぬん以前に、今のわたしには人一人の命を助ける力があるかどうかすらおぼつかない。
日のあたる縁側でぼんやりしていたときだった。
つと小さなお母さんが小脇に本を抱えてとことこ走り寄ってくると、わたしの袖を取って言う。
「みくおねいちゃん、本よんで」
そう言うとまるで椅子に座るみたいにちょこんとわたしの膝に載る。わたしははっとした。
(そうだ。わたしは
遠慮なしにぐいぐいわたしの膝の上に身体を預けてくるお母さんに『おだんごぱん』を読み聞かせしてやりつつ、わたしは自分の名前―――このとっさにつけた偽名の意味を思い出していた。そしてそのぬくもりを抱きながら心に思う。
そうだ。
いつまでも弱音を吐いてちゃ駄目だ。どんな形でもいい。なんとしてでも、この子の未来を動かすんだ。何センチでもいい、たとえ畳一畳分でも、柱一本分でも、瓦一枚分でも。
そうすれば―――。
そうすれば、未来はきっと変わる。
(お母さん)
37年後のあの日、誠司くんを抱えたお母さんが瓦礫の下敷きとなったのと同じ場所に腰を下ろしながらわたしはきっと面を上げた。そして気持ちを切り替えると、もう一度徹底して考える。
まず根本的に発想を変えなければ駄目だ。
わたしはこれまで、自分の行動によって未来が変わらないようになるべく目立たなくしてすごしてきた。でも、それじゃあ駄目なんだ。地震当日のお母さん宛に手紙を渡そうとか、それによって家の倒壊から命だけは免れさせようとか、そんなちまちました発想はすべて捨てる。もっと大がかりな、久我透子という一人の人間の人生に長く影響を与えるような決定的な出来事をこの幼少期に引き起こさなければならない。この1980年に積極的に介入することによって、過去に参加することによって、お母さんの人生の軌跡を根底から変える……。
そこまでしなければ、お母さんの運命は変わらない。
でも、どうすれば―――。
わたしは幾日も思い悩み、そして一晩中まんじりともせず考え続けて迎えたある朝、ふっと顔を上げた。
あった。
ひとつだけ、ある。
うまくいくかはわからないし、これが正解かどうかもわからない。
でも、今のわたしにできる精一杯の未来改変が。
それは……。
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