第20話 第2章 ミク―――1980


 御形陽介(ごぎょうようすけ)


小説家。1962年生まれ。北海道大学文学部卒。十代の頃より執筆を始め、大学在学中に書いた『龍の巣、星の籠』でデビュー。その瑞々しい文体と詩的な作風で多くの若い読者の支持を得る。同年新人文学賞を受賞。以後いくつかの優れた作品を発表し、2005年『蜜に潜む』で直木賞受賞。さらなる飛躍を期待されたが、2011年、交通事故で死去。




 お父さんに会える。


 これがこの世界に放り出されてしまったわたしの大きな励みになった。

 もちろん、この世界にいるのはわたしの知っているあのお父さんじゃない。もっと若い頃のお父さん―――わたしが生まれる以前どころか、お母さんと結婚する前のお父さんだ。もしホントに会えるとしたらいったい何年ぶりだろう? お父さんが事故で亡くなったのが2011年だから……丸六年ぶりくらいか。ううむ。思わぬ僥倖ぎょうこう。タイムスリップって本当にすごい。

「いったいどんな人だろう……? 若いおとうさん」

 わたしはほおづえをついてまだ見ぬ青年のお父さんをあれこれ想像した。格好いい人かな。背は高いのだろうか。ハンサムで、知的で、物静かな人だとうれしいんだけど。

 もちろん仮に見つけたとして、実際に会って話すかどうかは決めたわけではなかった。もうお母さんとはうっかり会っちゃったけれど、そうした振る舞いは未来に影響を与えてしまうような気がしたからだ。でもそうした理屈を差し置いても、せめて遠くからでも一目お父さんの姿を見てみたいという気持ちはつのった。

 もっとも、そんな意気ごみに反してお父さんの探索は端から岩礁に乗りあげた。

 この1980年、お父さんは18歳ということになる。

 上の略歴は何年か前、雑誌にお父さんの特集記事が載ったときに見たものだけど、実のところ、お父さんについてわたしはこれ以上のことはほとんどなにも知らなかった。

 これはたぶん、お父さんが事故で亡くなった直後、幼いわたしが無意識に記憶に蓋をしたことが理由にあるのだろう。さらに作家という特殊な職業のせいか、お父さんが亡くなってからしばらく家庭の内外でごたごたが続き、お母さんがわたしがそれについて話したり聞いたりするのを喜ばなかったせいもある。(というか、そもそもわたしがお父さんが有名人だと知ったのはお父さんが亡くなってからずっとあとのことだった)いずれにせよわたしの記憶の中でお父さんに関する部分はまるで歯抜けの櫛みたいに欠けており、この当時お父さんがどこに住んでいたかどころか、お父さんの出身がどこなのかさえわからないのだった。

 困ったわたしは一番身近なやりかたで調べてみることにした。

「おばあ……おばさん、電話借りてもいい?」

「おや、めずらしいね。市外かい?」

「ううん。市内」

「いいよ」

 わたしは電話台(昭和55年にはこういうものが存在する)の下に置いてあった分厚い電話帳を手に取ると、そこに載っている「御形」姓を調べ出し、そのお宅の電話番号にかけてみることにした。もし「陽介さんはおられますか?」と聞いて違っていたら、「すみません。まちがえました」って謝って切ればいい。

 じーこ。じーこ……。

 ダイヤルを回す。

 わりとめずらしい名前だしそんなにいないだろう……と思ったら御形さんは札幌市内に三人いた。

 一人目は白石区に住むおじいさんで、長くに勤めたのち退職し、奥さんが亡くなってからは一人暮しをしているとのことだった。唯一のお孫さんは七年前に高校を卒業後愛媛県で就職し、現在製紙のお仕事をしているという。まだ独身らしい。わたしはお礼を言って電話を切った。二人目の電話番号はいつかけても電話に出なかった。

 三人目のお宅は子どもが四人もいる元看護婦のお母さんで、電話の受話器越しに赤ちゃんの盛大な鳴き声がサラウンドで聞こえてきた。聞けば下二人が双子、真ん中が年子で、一番上は四歳になったばかりだという。どう考えても違うようだったのでわたしは丁寧に謝って三十分後電話を切った。お母さんはまだわたしと話したそうだった。

(おじいちゃんとおばあちゃん、札幌の人じゃないのかな……)

 電話帳を閉じたわたしは、次の日、街の大型書店に赴いた。そして「文芸誌」コーナーに行くと、立ち読みする気難しそうな眼鏡をかけたおじさんたちに混じってそこに並んだ文芸誌の最新号に丹念に眼を通す。

 文藝ぶんげい春秋、文学界、小説新潮、オール読物、野生時代……。濃厚な紙の匂いに鼻先を埋めつつ、目次にある作家の名前を片っ端から調べていく。だがどの雑誌を見ても「御形陽介」という名は見当たらない。

 もっともこれは当然だったかもしれない。お父さんが作家としてのキャリアを積み始めたのは大学在学中からだ。そのはるか前の今の時点では本人がまだ小説を書いているかすらもあやしい。

「うーん。こっちも駄目かあ」

 生前、お父さんの作品がよく載っていた雑誌を棚にもどすと、わたしは溜息をついた。

 1980年の札幌市の人口はこの頃140万。2017年より50万人も少ないとは言え、これだけの規模の街で電話一本で人捜しをしようというのは無理な話だったらしい。



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