第75話 第5章 ひなた―――2017
「結局、重嶺家に養子として迎えられていた彼は、君が去った二年後、御形家に戻った。その一年前、彼が中学三年生の時に実家で長男、つまり彼の実の兄が亡くなったんだ。その結果、繰り上げ長男として
優くんがいったいどんな人生を歩んだのか。お父さんは、あれからいかにしてわたしの知るお父さんになったのか―――。
それはわたしがこの現代に戻ってきて以降、ずっと知りたいと念じていたことだった。重嶺優から御形陽介へ。自分の知らないお父さんの時の空隙を埋めようと固唾を呑むわたしに対し、だが探偵さんが口にしたのはまるでべつのことだった。
「彼のことを語る前に、ひとつ謝らなくてはならないな。あのときは俺の無神経さでミクにはつらい思いをさせた。すまなかった」
「そ、そんなこと……」
探偵さんに頭を下げられ、わたしはあわてて首を振った。そんなわたしを見やり、探偵さんは短く苦笑した。
「まあ、あのことに関して言えば彼が御形陽介だという手がかりは早いうちに出ていたんだけどな。 土手の河原で草野球をしていたとき、重嶺優を名乗っていた頃の親父さんは「ぶち暑い」と言ったことがあった。「ぶち」とは山口の方言で、「とても」「たいへん」などの意味を持つ強意の副詞だ。きっと親父さんは幼児の頃に耳になじんだその言葉を、知らず札幌の地でも使っていたのだろう。やれやれ。俺もあのときもうちょっと早く気がついていればな」
溜息とともに一瞬瞳の奥で過去を振り返るようにつぶやくと、探偵さんは先を続けた。
「もっとも、実家での暮らしは方言のようにはいかなかったのだろう。御形の名を受け継いだ彼はあまり実家の暮らしになじむことができなかった。無理もない。今までまったくの別人として違う世界で暮らしてきたのだからな。それでも彼は懸命に適応しようとした。実父のあとを継いで医師となるために猛勉強し、見違えるような成績で高校を卒業した。だが結局、彼は医師にはならなかった」
手近なベンチに腰を下ろし、コートの裾からあいかわらずの長い脚をのぞかせながら探偵さんは言った。
「御形陽介の選んだ道は家業である医の道ではなく、文学だった。高校時代から小説を書き始めた彼は大学在学中に先鋭的な作品をいくつも発表し、早くも一部の文芸誌で知られる存在となった。その思わぬ才能に周囲はおどろいたが、一説によると、養家にいた少年時代は素行が荒れて手がつけられなかったそうだが、ある時を境に、まるで人が変わったように文学に熱中するようになったという」
「…………」
息を詰め、身を固くしているわたしにむかって探偵さんは言葉を続けた。
「大学在学中に書いた短編作品で新人賞を受賞し、卒業前にデビュー。作家として華々しいスタートを切った。彼にとってはなじみの薄い本名の「御形陽介」をあえて名乗ったのはあるいはペンネームのつもりだったのかもしれない。その瑞々しく端正な文体と作風は文壇に高く評価され、作家として堅調な歩みを始めた。やがて第二の郷里である札幌に腰を落ち着けた彼は本格的に作家活動に入ったが、同じ頃に彼はある女性と結婚している。相手の女性の名は久我透子」
「お母さん……」
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