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 小学五年生だったある晩、理子はハンバーグをほおばりながら、「理子」という名前の由来を母親に尋ねたことがある。


「理子の理は、理性の理よ」


 いつか聞かれることを予期していたかのように、母の良子りょうこはサラダを取り分けながらこともなげに答えた。


「……リセイ?」

「そう。お父さんと決めたのよ」

「リセイってなに?」

「うーん、物事を分別良く判断する力、かな。理子にはまだ難しいでしょ」

「リセイの理……」

「あんたは理性を身につける前に、口にものを入れて話す癖をやめないとね」


 それから十年以上の月日が過ぎ、一応は人並みの理性を身につけた理子は、大学でふたたびリセイと出会うことになる。哲学科の必修科目である「哲学概論」の授業で、カントの主著『純粋理性批判じゅんすいりせいひはん』が紹介されたのだ。


 あのときの胸の高鳴りを、理子は今でも忘れることができない。五百人は入る階段教室で、大半の学生が船を漕いだり内職にいそしむなか、突然自分の名前がマイクで呼ばれたような気がしたのだ。


 自分の名前の元になった言葉が、哲学書のタイトルになっている……。しかも、先生いわく「哲学の古典中の古典」であり「哲学史における最重要の書物」らしい……。


 第二外国語で学んだフランス語を少しでも活かそうと、卒論のテーマにはフランス現代思想を選んだものの、理子にとってカントはつねに「気になる存在」だった。『純粋理性批判』も四年生の夏休みになんとか読了した。もっとも、内容は本当に難しく、文字を追うだけで精一杯だったのだが。


(いっそのこと、修論はカントにしようか……。柳井先生の専門もドイツ観念論だし……。でも、私にカント研究の末端の末端の末端さえ務まるのかなあ……。)


 もう一度『哲学大辞典』の「イマヌエル・カント」の項目に目を通してから、理子は、自分を励ますように勢いよく立ち上がった。


(続く)

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