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 理子はその日、21時までの時間を南郷五丁目駅前の「サターン・ドーナツ」の店内で過ごした。5限後に待ち合わせをしていた如月友香きさらぎともかは、結局現れなかった。


 今日はじめて会った相手とはいえ、大学から目と鼻の先での待ち合わせだったから、理子は友香の電話番号やアドレスなどを聞いていない。そうした連絡先の交換も含めて、あらためてプライベートな話をして仲良くなるつもりだったのだ。


(……如月さん、約束を破るようには見えなかったのに……うーん、なにか事情があったんだろうな…………理子の理は、理解の理か)


 友香を信じる心を捨てきれない理子は、その未練に引きずられながらも、3時間ほど滞在した「サタド」を出て帰路についた。



 翌週の月曜日。図書館で勉強していた理子は、読書に一区切りがつくと、前週のモヤモヤした気持ちを抱えながら共同研究室を訪ねてみた。授業のない月曜日に、理子がこの部屋に立ち寄るのはまれである。


 現在は早京そうきょう大学大学院に通っている理子だが、学部の出身は英央えいおう大学であり、早京大学大学院には「外部進学」である。共同研究室は学部と大学院の学生が共同で利用するから、学部時代から出入りしている大学院生が当然ながら幅を利かせていて、外部進学者は多少肩身が狭い思いをしている。


 といっても、表立って嫌なことをされるというわけではもちろんなく、ただそういうをするだけだ。内部進学者からすれば、ただのと笑われるだろう。いずれにせよ理子は、出席する授業の前後など、決まった時間以外に共同研究室に来ることは少ない。


「お、東雲しののめさん、今日は珍しいね」


 ドアを開けて入室した理子に、助教の丸山が気さくに声をかけてきた。奥のソファには、理子と同期の内部進学者の男子学生が二人座っていて、理子に軽く会釈えしゃくをした。友香の姿はない。


(……如月さん、今日は来ないのかな……少し待ってみるか)


 理子は丸テーブルの席に座り、図書館で読んでいた本をバッグから取り出した。デイヴィッド・ヒュームの『人間本性論にんげんほんせいろん』の原書である。


 しばらくして、授業があるからか、あるいは別の理由があるのか、二人の男子学生が連れ立って共同研究室を出て行った。


(……また今日もいい感じに冷え切ってるな……)


 理子はバッグにたたんで入れてあった薄手のカーディガンを羽織った。助教の丸山が極度の暑がりで、いつも部屋の冷房を強めにしているのだ。


 ガチャという音がして、直後に「うっ」という声が聞こえた。


「……なんだここ、冷凍庫ですか」


 理子の指導教員(になる予定)の大道寺哲だいどうじてつである。


(続く)

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