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「
理子からおすそ分けしてもらった「サターン・ドーナツ」、通称「サタド」のドーナツをおいしそうにかじりながら友香が言う。いきなりの問いに理子は眼を丸くした。
「……穴があるからドーナツなんじゃないのかな……もしドーナツに穴がなかったら……なんだろう、パン的な小麦粉のかたまり?」
「ということは、穴はドーナツに本質的に含まれているわけですね」
「……穴がなかったらドーナツじゃないという意味ではそうだよね」
「東雲さん、両方の手をこうやって丸くしてもらってもいいですか」
食べかけのドーナツをティッシュのうえに置いた友香は、それぞれの手を半円形にたわめて、ドーナツ状になるように指先を合わせた。有無を言わさぬ口調に、理子も素直に従う。
「どうですか? 穴はありますか?」
「囲った部分を穴と呼ぶならあるよ」
「ですよね。だから手をはずすと…」
友香が、ぱっと両手をパーの形に開く。
「穴はなくなる」
「そりゃそうだ」
「………そもそも手に穴は含まれていたんでしたっけ?」
「本質的には含まれてない。穴がなくても手は手だもん」
友香は残りのドーナツをつまんで平らげる。つられた理子もそれにならった。
「ドーナツがなくなったので、穴もなくなりました」
「穴の存在はドーナツの存在に含まれるってこと?」
「そういうことになります……でも、どうでしょう」
友香が悩むような、あるいは試すような表情で理子を見つめた。
「……東雲さん、ドーナツと手で、なにか違いはあるんでしょうか」
「……うーん、違わないかも。ドーナツの場合も、ドーナツが囲んでいる部分をあとから穴と呼ぶんなら、穴自体は存在しないのか」
「穴がなければドーナツとは言えない。でも、穴っていうのはドーナツが囲んでいる空間のことなんですよね」
「そうそう」
「つまり、穴が存在しなければドーナツは存在しない、しかし、ドーナツが存在しなければ穴は存在しない」
「おお」
「これがサタドのドーナツを食べながら私が発見したドーナツのアンチノミーです」
「如月さん、すごい」
えへんと胸を張る友香に、理子は率直に敬意を示した。カントの
気づくと時計の針は14時を過ぎていて、4限の開始時間が迫っていた。理子は友香ともう少し話したい欲求に駆られて言った。
「如月さん、このあと授業ある?」
「あ、はい。4限と5限があります」
「もしよかったらでいいんだけど、あとで話せないかな」
「え、いいんですか? 私の方こそ、もちろん喜んで」
「じゃあさ、5限が終わるの待ってるよ。場所は……」
理子の理性が今日一番のきらめきを見せた。
「駅前のサタドでいい?」
「はい! あ、東雲さん」
「ん?」
「ドーナツ、ごちそうさまでした」
友香が頭を下げる。二人は荷物をまとめると、またあとで、と挨拶を交わして、それぞれの授業に向かった。
*
理子は昼に立ち寄った南郷五丁目駅前の「サタド」の店内にいる。実はすでに二度、コーヒーをおかわりしていた。
店内の時計はもうすぐ20時になろうとしていた。理子が入店した夕方には混み合っていた店内も、夕飯時になって客もまばらになっている。
友香が出席していた5限の授業は、多少延びたとしても18時には終わっているはずだ。大学からここまでは歩いて10分もかからない。
(………如月さん、どうしたんだろう………連絡先、交換しとけばよかったな……)
窓際の席に座る理子は、すっかり暗くなった外を眺めてため息をついた。
(続く)
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