補講 理子メモ「不可弁別者同一の原理と1001匹の猫」

「カントは100年に一人の天才、ライプニッツは1000年に一人の天才」。


 この言葉を残したのは、日本を代表するカント研究者・坂部恵(1936-2009)である。カントの専門家にそう言わしめるほどだから、ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ(1646-1716)の天才性は桁外れのものだったのだろう。


 ニュートンと並ぶ微積分の完成者として知られるライプニッツは、数学や哲学だけでなく、言語学や法学、神学や歴史学といった多方面にわたる業績を築いた。ライプニッツの天才は、学者としての学問面での仕事にとどまらず、外交官という政治の実務面でも大輪の花を咲かせた。ヨーロッパからアジアに至るまで幅広い交際を行ったライプニッツの文通相手は、生涯で1000人以上に及んでいる。


 イギリスの哲学者サミュエル・クラーク(1675-1729)に宛てた手紙で、ライプニッツは次のように書き送っている。


「たがいに弁別できないような二つの個物はありません。知り合いの才気あふれる一人の貴族と、ヘレンハウゼンの庭で、ゾフィー選帝侯妃の御前で話したとき、彼は完全に同じ二枚の葉を見つけられると思っていました。選帝侯妃はやってみせなさいと彼に言われました。彼は長いあいだ庭じゅうを走り回りましたが、無駄に終わりました。二滴の水、二滴の牛乳も、顕微鏡で見ればたがいに弁別できるでしょう」。


 ライプニッツの「不可弁別者ふかべんべつしゃ同一の原理」と呼ばれる原理である。世界には多様な実現可能性があったなかで、唯一実現している今の現実世界には神の意志が反映されているのであり、今ある世界にはそれが存在するための「十分な理由」がある。多くの可能性のなかからだけを定めるこの「充足理由律」を満たすためには、のだ。


「1001匹の猫のパラドックス」を提示したのは現代イギリスの哲学者ピーター・トーマス・ギーチ(1916-2013)である。1本の毛が〈ある〉か〈ない〉かだけで実際には弁別不可能な猫を「同じ」と考えるか「違う」と考えるかは、私たちが持っている「同一性」と「差異」という概念の拡張を促す。他方で、そうして与えられた広い意味での「同一性」と「差異」を、同様に私たちが持っている「同じ」と「違う」という観念の厳密さとどう両立させるのかが問題となる。


 曖昧な「同一性」を認めるならば、ある特定の毛が〈ある〉にせよ〈ない〉にせよ、それは「同じ」猫だと言えるかもしれない。しかし、私たちの常識的な言語理解に従えば、特定の毛が〈ある〉猫とその毛が〈ない〉猫は明らかに「違う」。明白に「違う」ものには厳密な定義を当てはめ、猫には曖昧な定義を適用するのは二重基準ダブルスタンダードではないだろうか?

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る