第4講 どうしても会えない友

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 未練がましい梅雨前線が日本列島上空に居座っているものの、7月もようやく終わりに近づいて、早京そうきょう大学大学院に通う東雲理子しののめりこの最初の学期も残りわずかとなった。


 教室や研究室のエアコンはすでにフル稼働である。といっても、昨今の節電意識の高まりによるのか、単なる経費削減のためなのか、設定温度はどの部屋も控えめで、暑がりの理子には少々物足りない。


 理子と同程度、いやそれ以上に暑がりの男が一人。哲学専攻の助教・丸山聡まるやまさとしである。


 哲学専攻の共同研究室に常駐している丸山は、なかば職権を濫用して、いつも空調を下限の「18度」に設定している。蒸し暑い屋外から入室すると、瞬時に汗がひく感じが心地よいが、快適な気分はほんの一瞬のことで、みなすぐに鳥肌地獄に苦しめられて退室していく。


 本格的な夏が始まって以来、共同研究室の人口密度が低いのはそのせいかもしれない。


 今日の理子の授業は、3限の「ドイツ思想テクスト分析I」と4限の「特別研究III」の2コマである。3限は理子の指導教員である柳井則男やないのりお教授の授業だが、今日は休講であることが事前に伝えられている。


 大学の最寄り駅である地下鉄・南郷五丁目に着いた理子は、駅前にある「サターン・ドーナツ」で昼食のドーナツとコーヒーを買った。3限が休講だから、涼しい共同研究室でゆっくりドーナツを食べて、4限までの時間をそのまま共同研究室で過ごすつもりである。


 ひところのドーナツ・ブームのあおりで新感覚のドーナツ屋が次々と出店したなか、「サターン・ドーナツ」は昔ながらの定番ドーナツの美味しさを追求する老舗しにせのドーナツチェーンで、「サタド」の愛称で親しまれている。店名にあるサターンとは「土星」のことだろうが、その安直さもいさぎよいと言えば潔い。


 理子は「サタド」のCMソングを鼻歌で歌いながら、愛してやまないオールドファッションの包みを持って共同研究室のドアを開けた。


 エアコンの冷気が、さーっと理子の二の腕を走る。


 瞬間的に、はっと息を飲んだ。理子はドアから冷気が逃げるのも気にせず、ドアノブを握ったまま凍りついてしまった。無論、部屋が寒かったからではない。


 部屋の中央に置かれた丸テーブルの隅に、今まで見たことのないほどの美少女が座って本を読んでいたのだ。


(続く)

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