5
「
不意に呼ばれた双子が顔を上げる。それからすぐにクレヨンを置いて、すたすたと理子の座るソファにやってきた。軽快な足音に、眠っていたキタローがふと目を開けて、耳をぐるんとうしろに動かす。
二人はぴょん、ぴょんとソファに飛び乗って、パソコンに向かう理子を両脇からはさむようにかわいらしく腰かけた。「ねえ、香菜ちゃん」と左側に声をかけると、ぷらんぷらんと前後に揺れていた足の動きがぴたっと固まる。あっ、と思うがときすでに遅く、「違う」と不機嫌そうに言われてしまった。理子は両手を合わせて「ごめんごめん、紗菜ちゃんだった!」と平謝りし、右側の香菜にも同じように謝った。香菜も不満げに頬を膨らませている。
(……いかんいかん、間違えちゃった……お姉さんにはカブトムシとクワガタを見分ける方が簡単なんだけどな……)
気を取り直して、パソコンの画面に映ったクワガタムシの写真を二人に示す。
「香菜ちゃん、これ、なんだっけ?」
「カブトムシだよ」
「そうそう。この長くて
うんうん、と二人が身を乗り出して、正確には
「これ、さっきとハサミの形が違うよね」
「うん」
「これもカブトムシなんだよ」
へー、と二人は、はじめて見るカブトムシの写真を
(……この子たちにはカブトムシとクワガタの「違い」はどんな風に見えてるのかな……案外、ツノやハサミじゃなくて、太ってるとか
「カブトムシって色んなハサミがあるでしょ」
「うん」
「ハサミがないのもいるんだよ」
理子が別のタブを開いてメスのカブトムシの写真を示すと、「ちっちゃい。かわいー」と双子が目を輝かせた。
「二人はどのカブトムシが一番好き?」
香菜と紗菜は少し考えてから、一斉にクワガタの写真に人差し指を向けた。
「どうして?」
「かっこいいもん」
「そうだよね。実はね、このかっこいいカブトムシにだけ特別な名前があるんだ」
「うん」
「クワガタって言うんだよ。かっこいいでしょー」
「くわがた」
音の響きがよほど面白かったのか、双子はくわがた、くわがたと言い合ってしきりに笑ってから、またお絵かきに戻っていった。どのあたりから話を聞いていたのか、双子の父である
「理子ちゃん、教え方、上手だね。いい先生になれるよ」
「うーん、どうかなあ……あ、そうだ。紗菜ちゃん、香菜ちゃん」
理子があえて呼ぶ順番を変えて二人に声をかける。
「二人は違う女の子だけど、二人ともお父さんとお母さんの子どもだから同じだね」
香菜と紗菜がぽかんと口を開ける。キタローとおぼしき黒い塊に、しっぽとおぼしき物体を描き加えていた香菜の手から、黒色のクレヨンがぽとりと落ちた。
(……あれれ……伝わらない……抽象度が高かったかな……違うけど同じだから仲良くね、って言いたかったんだけど……)
「うーん、子どもは難しい」と言ってソファに倒れかかる理子を見て、康介がアハハと爽やかに笑った。それから康介が二人に呼びかける。
「香菜、紗菜、本物のカブトムシ探しにいく?」
「いく! くわがた!」
「理子ちゃんはどうする? 子どものときによく行った雑木林、まだあのままだよ」
「そうなんだ……よし、私も行こっかな。二人には負けないよ!」
「わー」「きゃー」
はしゃいで康介にまとわりつく香菜と紗菜の姿を微笑ましく眺めていると、ふと
(……友ちゃんのおかげでなんとか説明できた、のかな?……ん?……でもこれって、虫の種類としては全部カブトムシだっていう先生の話と、結局は同じことになってないか?……むむむ、アリストテレス、おそるべし……)
大学生の夏休みは長い。大学生と違って、海で泳ぐわけでも山に登るわけでもなく、図書館や自宅で勉強してばかりいる大学院生の夏休みは、それよりもっと長い。今日はこのくらいでいいかな、とカントの本を片付けはじめた理子に、表紙に印刷された肖像画のカントが優しく眼を細めた。
(夏季研究課題 終わり)
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