補講 理子メモ「カブトムシ」

 万学の祖と言われるアリストテレスは、『動物誌』に代表される生物学の業績も残している。なかでもよく知られているのがウニの生態についての詳細な記述である。アリストテレスが発見したウニの口に当たる器官は、当時のギリシアで使われていた提灯ちょうちんの骨組みの形に似ていたため、現在でも「アリストテレスの提灯」(Aristotle's lantern)と呼ばれている。なお、お世辞にも好ましい見た目とは言えないので、画像を検索するのはおすすめしない。


 西洋哲学史に登場するカブトムシのなかで最も有名なのは、おそらくウィーンの哲学者ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン(1889-1951)の『哲学探究』(1953年)で例に挙げられたカブトムシだろう。


 ひとは「痛み」という語の意味をどのように学ぶのか。「痛い」という言葉を覚えるまえの子どもは、走って転んだときに大声で泣く。成長するにつれて、泣き声が感嘆詞にかわり、さらに「痛い」という言葉にかわっていく。しかし、「痛い」という言葉は「痛み」をしているわけではない。この語ははじめの泣き声のだけであり、「痛み」という感覚の実態はほかのひとには分からないのだ。


 大人になって、「痛み」のさまざまな表現方法を覚えても事情はまったく変わらない。頭が「ズキズキ」痛い、「ガンガン」痛いと説明したところで、割れそうなほど痛い私の頭のこの「痛み」が厳密に相手に伝わることはない。相手は、自分が経験したことのある「ズキズキ」や「ガンガン」を思い出して、同じような「痛み」だと推測される他者の「痛み」に対して、同情しているのだ。


「対象と(言葉による)その記述」という素朴な対応関係を揺るがすこうした不可知性は、「痛み」の場合にとどまらない。みんなが箱を一つずつもっていて、そのなかに私たちが「カブトムシ」と呼んでいるものが入っていると仮定する。誰も他人の箱のなかを覗くことができず、ただ「自分のカブトムシ」だけを見ることによって「カブトムシ」がどういうものかを知ることができるとする。自分の箱しか見ることができない以上、「カブトムシ」と書かれた箱のなかにそれぞれ別のものが入っていることもありうるし、中身がからっぽということさえありうる。


 しかし私たちは、「カブトムシ」という使という「言語ゲーム」のルールを共有している。だから、相手の「カブトムシ」の箱になにが入っているのかを知らなくても、「カブトムシ」についての会話を齟齬そごなく繰り広げることができるのである。


 だとすると、あなたの「カブトムシ」の箱のなかにクワガタムシが入っているのは、かなりましな部類と言えるのではないだろうか。

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哲学研究室の午後 草野なつめ @kusano_iori

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