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「あはは、こんなことってある?」

「ですよね、ほんとおかしい。ふふふ」


 重厚感のあるダークブラウンのカフェテーブルで、理子と友香は向かい合っている。テーブルには、デュラレックスのグラスに注がれたレモン水と、二冊の「カントしょ」が置かれている。マルティン・ハイデガーで卒論を書く予定の友香は灰色の表紙の単行本版、理子は赤い表紙の廉価版を持ってきている。


 大道寺から教わった「お洒落な庭がある」喫茶店で電話を受けた理子は、ほどなくして友香が待つ喫茶店にやってきた。


 店員が注文を取りに近くに来たが、声を上げて笑う二人に遠慮しているようだ。黒い薄手のカットソーを来た細い女性で、長い茶髪を上に丸めている。あらわになった両の耳には、シンプルな白色のピアスが光る。狭い店内に一人で働いているところを見ると、このひとが店長なのかもしれない。


「ご注文、また言うてくださいね」


 去っていく女性を尻目に、友香が声を押し殺してまた笑っている。


「ちょっと、如月きさらぎさん! 注文決めないと、ほら」


 理子がメニューを友香の前にぐいっと差し出す。


「ふふ、は、はい……えっと、チーズケーキは決まりだけど……飲み物は……ふふ……チャイにします、あはは」

「もう……おかしなひとだと思われるじゃん…………ふ、あははは」


 女性に合図をし、二人は同じベイクドチーズケーキとチャイを注文した。


「おおきに。お待ちくださいね〜」


 明るい声を響かせて、女性が厨房に向かった。ようやく友香が自制心を取り戻し、反省会を始める。


「いや、私はここ知ってたんですけどね。まさかこんな間違いがありうるなんて、夢にも思いませんでした」

「今回は定義が曖昧とかいうレベルじゃないもんね。偶然にしても出来すぎ」

「ですよね。しかも東雲しののめさんの方もちゃんと成立してたっていう」

「そうだよ。そっちも二人で行ってみようよ。すごい綺麗なお庭だったんだよ」


 言葉を交わしながら、二人は、メニューの下部に妙にポップな書体で書かれた店名をしげしげと眺めている。「お洒落しゃれ浪速なにわガール」とは、店長本人のことなのだろうか。ネーミングセンスの是非も含めて、尋ねる勇気は二人にはない。


「ほんと、今度はなにがいけなかったんでしょうね」

「大道寺先生の話し方!」

「ふふふ。こんなの、先生もびっくりするんじゃないですか?……あ」


 友香がなにかに気づいて言う。


「東雲さん、お洒落な庭があるお店でチーズケーキ食べてませんよね」

「うん、とりあえず飲み物を頼んだだけ」

「先生が言ってたの、どっちなんでしょうね。ここのチーズケーキが美味しいのは私も知ってるんですけど、そっちも美味しいのかもしれませんよ、ひょっとして」


 そう言って、友香はまたコロコロと笑っている。答えがあることよりも、答えが決まらないことの方が面白いようだ。要するに、考えることが、つまりは哲学が好き、ということなのだろう。


 少なくとも確実なのは、この「お洒落浪速ガール」のベイクドチーズケーキがとても美味しかったということだ。


「……東雲さん…あの……」


 チーズケーキを食べ終えた理子が、ほんのり甘いチャイをすすっていると、意を決したかのように友香が口を開く。


「ん? どうしたの、如月さん」

「……あの、これから、『理子さん』って呼んでもいいですか?」


 できるだけ自然に言おうと思った気持ちが余計に恥ずかしさを助長させたのか、見ると友香の顔が真っ赤になっている。


「えっ、もちろんいいよ。嬉しい」

「ほんとですか?」


 友香の漆黒色の瞳が大きく広がった。頬の桃色とのコントラストのあまりの可愛らしさに、理子の理性が思わずいたずら心を呼び覚ます。


「……私はどうしようかな」

「?」

ともデガー」

「えっ」

「じゃあ、ともティン」

「ひどいです」

「うそうそ、友ちゃん」


 年下の友香の前で先輩ぶる理子だが、いまの大学院に入ってはじめてできた「友」である。友香をからかいながら、理子はその喜びを心のなかで大事に抱きしめていた。


(第四講 終わり)

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