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 田中が店に来なくなったのは、読んでいた漫画の連載が終わったからではないか――理子の答えを聞いた小山内おさないは無言で眼をパチパチさせたあと、呆気あっけにとられた顔で理子をみつめた。


「……理子ちゃん、そんな理由ってあるのかなあ。それじゃあ田中さん、うちに漫画読みに来てたってことじゃない。それだけのために」

「きっとそうなんですよ。マスターは認めたくないかもしれないけど」


 実際、理子も勉強するために「クレール」に来るようになったのだ。コーヒーが美味しく店の雰囲気が好きなのは事実だし、マスターとの会話も楽しいけれど、授業前の勉強が必要なかったとしたら、少なくとも毎週欠かさず訪れることはないのではないか。


「わざわざ裏メニューまで出してたのに?」

「はい。だって必ずこの雑誌の発売日に来てたわけだし」


 小山内は納得しがたいといった表情で腕を組んだ。客がどういう目的で店に来ようが、店側はただ最善のサービスを尽くすだけであり、そのことは小山内だって重々承知している。だが、三年間も相手をしていた常連が突然姿を見せなくなり、少なからず心配もしていた小山内にとって、そもそもの来店目的が漫画雑誌を読むことだったと言われると、なんだか二重に裏切られたような気がしたのだ。


「でもさ、理子ちゃん。田中さんが来なくなった日に終わった漫画が本当にあるのかな」

「それは調べてみないと分かりませんが……ちょっと待ってください」


 理子はテーブルに出してあったスマートフォンのブラウザを立ち上げ、検索を始めた。雑誌『アーベント』の公式サイトで、田中が最後に「クレール」にやってきた5月13日の号を確認したうえで、「連載が終了した作品」の欄からその号で終了した作品がないかを探した。


「……あ、ほら、ありますよ…………ん?……二つある?」


 念のため理子はその漫画のタイトルを検索エンジンに入力し、別の情報サイトも確認してみたが、やはりそのとおりだった。


 5月13日の号で連載が終了していたのは、幼少期から競馬界での将来を嘱望しょくぼうされてきた天才騎手の苦悩と活躍を描く「馬上の騎手ナイト」と、釣りと料理だけが趣味の地味なサラリーマンが主人公の蘊蓄うんちく系料理漫画「美食家グルメさん」の二作品である。どちらも明らかにつまらなそうで、傍目はためからすれば連載終了もやむなし、という感じだが、意外にも「美食家グルメさん」は10年近く続いた人気作だったようだ。


「きっと田中さんはどっちかの愛読者だったんですよ。で、ここに来れば毎週最新号が読める、と。しかも裏メニューつきで」

「そんなもんなのかなあ」

「やっぱりこっちの料理漫画の方でしょうかね」

「うーん、どうなんだろう……そう言えば、田中さんと競馬の話、したことある気がするな」


 カランカラン、とドアの鈴が鳴り、男性客が一人入ってきて、小山内が「いらっしゃい」と声をかけた。ふっと理子と小山内の心が、田中という共通の話題からそれぞれの事情の方へと離れた。時計を見ると四時になっていた。


「あ、じゃあ、そろそろ行きます」

「ああ、もう時間だね。ありがとう、理子ちゃん」


 小山内は、田中が毎週読んでいたのが「馬上の騎手ナイト」だったのか、「美食家グルメさん」だったのかには、それほど興味がなさそうだった。


(考えても答えは分からないし、正解も確かめられないけど……)


 来週までに考えてきますね、と小山内に声をかけて、理子は「クレール」をあとにした。


(続く)

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