6

 理子は、浅田陽あさだようなる学生による「ニーチェの芸術論」と題された修士論文を手に、しばし固まっていた。


(……これが「浅田の掟」の浅田さんの修論か……)


 理子は恐る恐る論文を開いてみる。


 論文の題材は、ニーチェがギリシア悲劇の生成を「アポロン」的な価値と「ディオニュソス」的な価値の葛藤として描いた初期の作品『悲劇の誕生』(1872年)である。


 アポロンが予言と芸術の神であり、言わば理性や抑制を体現するとすれば、酒と陶酔の神であるディオニュソスは、変化や破壊の象徴である。ニーチェは、この相対立する二つの価値のせめぎあいがギリシア悲劇の変遷を形づくったと考えた。


「あれっ」


 一言一句を丁寧に読む余裕はないが、かといってただ機械的にページをめくるわけでもなく、その中間の速度と集中力で論文を流し読みしていた理子を、かすかな違和感がとらえる。これまで行われてきた先行研究に批評を加える、いわゆる「先行研究レビュー」と呼ばれる箇所である。


(……「浅田の掟」って、外国語の研究は引用するなって言ってなかったっけ?……)


 たしかに、「浅田の掟」は「修士論文で外国語の先行研究を引用すべからず」と言っていたのに、ほかならぬ浅田本人の修論では、ドイツ語、フランス語、英語による多様なニーチェ研究が参照されている。


 言うまでもなく、その方が本来の研究のあり方としては正しい。「オリジナル」というのは、これまでなにがなされてきたのかを正確に把握し、しかもそれを隠すことなく読者に提示したうえではじめて自称できる事柄だからだ。


(……浅田さん、自分の修論では先行研究を引いてるのに、どうして矛盾したことが「掟」になってるんだろう……)


 ガチャ、とゆっくりとドアが開く音がした。浅田の論文から理子が顔を上げると、入ってきたのは哲学専攻の新人教員・大道寺である。


「丸山さんは……お帰りですね。東雲しののめさん、今日は論文泥棒ですか?」

「あ、いえ!……そういうわけでは」


 やましいことはまったくない理子もつい弁明してしまった。傍目はためから見れば、部屋で一人キャビネットの前で体育座りをしている理子は、盗むべき論文をこそこそ物色している怪盗にしか見えないのかもしれない。


(…………大道寺先生にはいつも変なところを見られちゃうな…………)


「泥棒じゃないとすると、先輩の論文の研究ですか? 偉いじゃないですか」

「……先生、あの……浅田さんって……」


 大道寺の顔に瞬時に影が差す。丸山のときと同じ反応、いや、それ以上かもしれない。


「それは知らないでいて欲しかったな。特に東雲さんには」

「えっ」


 いつも飄々ひょうひょうとした雰囲気の大道寺が見せる深刻な様子に、理子は率直に狼狽ろうばいした。


(続く)

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る