補講 理子メモ「ニーチェ」

 フリードリヒ・ヴィルヘルム・ニーチェ(1844-1900)は1869年、若干24歳の若さでバーゼル大学の員外教授に抜擢され、翌年には正教授に就任している。作曲家リヒャルト・ヴァーグナーとも親交を深めていくこの時期に、ニーチェは初の本格的著作である『悲劇の誕生』の執筆を開始し、1872年にこれを刊行する。


 だがこの著作が、天才ニーチェの華々しい学界デビューを飾ることはなかった。刊行直後、『悲劇の誕生』は古典文献学の学者たちから完全に黙殺された。


 しかも、無視されただけでは終わらなかった。出版から数ヶ月が経って、ニーチェよりも年若く、のちにドイツ古典文献学の第一人者となるヴィラモーヴィッツ=メレンドルフは、ある論評でこの著作を徹底的に攻撃する。ヴィラモーヴィッツは、ニーチェによる文献の引用に事細かに難癖をつけ、執拗に論駁してみせた。別の文献学者は学生たちを前に、「こんなものを書いた人間は、学問的には死んだも同然だ」と言い放ったとされる。


 結局、ニーチェは1879年にはバーゼル大学の職を辞し、以降は執筆活動に専念していく。『ツァラトゥストラかく語りき』をはじめ、おびただしい数の著作を発表したが、旺盛な執筆活動はつねに、精神的不調と隣り合わせのなかで進められた。


 1889年、トリノの路上で発狂。発作を起こしたとき、ニーチェは街頭で御者に鞭を打たれる馬の首にすがりつき、声を上げて泣いていたと伝えられる。急報を受けてトリノに赴いた親友のオーヴァーベックは、部屋のなかで裸で踊り狂うニーチェの姿を目撃したという。それもまた、陶酔の神ディオニュソスの姿だったのだろうか。


 その後、ニーチェは10年ほどの余生を狂気のなかで生き続け、1900年8月25日にその生涯を終えた。


 1900年――19世紀という天才の世紀は、稀代の天才ニーチェの死とともに幕を閉じ、破壊と混沌の20世紀に場所を譲ることになる。

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