第5講 浅田の掟

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 7月最後の週。春から早京そうきょう大学大学院に通い始めた東雲理子しののめりこの最初の学期が終了した。授業はすべて終わり、あとは哲学専攻所属の学生や教員が一堂に会する納涼会を残すばかりだ。要するに、単なる「飲み会」である。


 ただ今回の飲み会には、秋学期から一年間の研究休暇サバティカルに入る柳井則男やないのりお教授の壮行会と、柳井にかわって理子の新しい指導教員になる大道寺哲だいどうじてつの歓迎会という、いつもとは違う側面もある。


 例年、納涼会は共同研究室の隣にある広めの部屋で催されていて、その準備は修士課程の一年生(M1エムイチ)が担うのが慣例となっている。主な職務は、ケータリングの手配や飲み物の買い出し、そして教員への挨拶の依頼である。


 そういうと大変なように聞こえるが、5月に歓迎会を開いてもらった立場のM1の学生が、今度は自分たちが主体的に飲み会の企画をすることで、平行方向および垂直方向の人間関係を密にするという効果も今回の準備には含まれている。


 今日、理子が共同研究室に来ているのも、この納涼会の打ち合わせのためだ。納涼会の準備をすべき今年のM1は理子を含めて五人で、理子以外はすべて、学部から早京大学に通っている「内部進学」の男子たちである。


「いつものオードブルだけじゃ足りないかなあ?」

「じゃあ、お酒と一緒に軽いものを買っておこう」

「開会挨拶は誰にお願いすればいいんだろ」

「そりゃ学科長でしょ……あれ、いま学科長の先生って誰だっけ?」


 大学院から通っている「外部進学」の理子は、「内部進学」の同期たちの会話に直接は加わっていない。自分がやるべきことが分かればなんでも手伝うつもりだが、自分一人が女子で、かつ「外部進学」ということもあって、どうしても気が引けてしまう。


 本来は一緒に準備をすべき同期にもかかわらず、なかなか話の輪に入れない理子に、助教の丸山聡まるやまさとしが背後から近づいてきて静かに声をかける。今年の4月に助教に着任した丸山も、言ってみれば理子たちと「同期」である。


「……ねえ、東雲さん……ここだけの話」

「はい」

「僕、助教失格かもしれないけど」

「?」

「……実はさ、まだ彼らの名前も専門も覚えてないんだよ」


 と言って、丸山は片眼をつぶってみせる。丸山の真意は分からないながらも、


(……あんまり気にするな、ってことかな……)


 と思った理子は、丸山の気遣いに感謝して、明るく微笑みを返した。


「……丸山さん」

「ん?」


 今度は理子がひそひそ声で丸山に話しかける。


「覚え方、私が教えます」


(続く)

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