2

 英央大学の学部生の頃から哲学を勉強してきた理子は、卒論ではフランスの二十世紀の哲学をテーマに選んだ。「フランス現代思想」と呼ばれる分野である。早京大学大学院に入学した当初は、修士課程でも同じ研究を続けようと考えていた。


 だが、最近ではその気持ちをまったく失ってしまった。同期である早京大学の内部進学者からの、冷ややかな眼差しに耐えられなくなったのだ。


 実際、かつては日本の論壇でも一世を風靡ふうびしたフランスの現代思想は、いわゆる哲学業界での評判がすこぶる悪い。「チャラチャラしている」「単なる言葉遊び」「カッコつけてるだけ」「あんなのは哲学ではない」……。哲学の専門家が「ゲンダイシソウ」と言うときには、悪口を言っていると考えてほぼ間違いない。


 学部の卒業論文ならまだしも、大学院で現代思想をやるなんて、という空気なのだ。


 入学したてのころ、大学院の演習の授業で、教員の質問に即座に答えられなかった理子に、


「東雲さんは現代思想ですから」


 と言った同期の男子学生は、哲学の知識の少ない理子をフォローしたつもりが、反対に理子を深々と傷つけていた。ゲンダイシソウ、ゲンダイシソウ、ゲンダイシソウ……次第に理子はこの呪いの単語から逃げることばかり考えるようになっていた。


 入学して二ヶ月が経ってもなお、論文で扱う哲学者さえ決まっていないのはそのせいである。


 疲れた首をゆっくり一回転させた理子は、左手の人差し指で前髪をくるくるいじりながら、『哲学大辞典』の「カ」の項目を、読むともなく眺めていた。


 フランス現代思想とは別に、理子が以前から興味を抱いていた哲学者がいる。十八世紀に活躍したドイツの大哲学者、イマヌエル・カントだ。


 カントとの出会いのそもそものきっかけは小学校時代にまで遡る。


(続く)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る