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 自分から妙な相談をもちかけたにもかかわらず、逆に大道寺だいどうじからの突拍子もない返信に頭を悩ます理子。カブトムシについての知識がアリストテレスどまりとは、一体どういうことだろう。


(……大道寺先生、子どものときにカブトムシ捕まえたりしなかったのかな?……それとも、子どものころからアリストテレスを読んでいたとか?……ふふ、まさか、ね……)


 理子の脳内に、虫あみを振りながら自然のなかを駆け回る大道寺少年と、涼し気な顔で分厚い洋書を読んでいる大道寺少年の姿が交互に浮かんだ。やっぱり後者かなあ、いやさすがにそんなことは、と思いつつ、理子は、なにやら横文字も含まれているらしい大道寺のメールをあらためて最初から読み始めた。


東雲しののめさん


 大道寺です。カブトムシの話、興味深く拝読しました。ですが、カブトムシについての私の知識はアリストテレスで止まっています。


 したがって、あまりお役に立てないとは思いますが、私なりのアドバイスをさせていただくと、アリストテレスにしたがうなら、そもそも、ということになります。』


(……カブトムシとクワガタを区別する必要はない?……なんじゃそりゃ)


 先出しされた結論に早くも不安を感じながらも、メールの続きに目を走らせる。


『アリストテレスは『動物誌』(Peri ta zoia historiai)の第四巻第七章で昆虫の生態について論じています。


 そこでアリストテレスは、昆虫類にはあまりにも多くの種が含まれているため、類縁性がある虫たちに対しても共通の名称が付けられていない場合がある、と述べています。


 たとえば「はねさやのなかに収められたもの」がそうであると言って、具体的には、「メーロロンテー(melolonthe)」、「カラボス(karabos)」、「カンタリス(kantharis)」が挙げられています。』


(……なんなんだ、この突然のマニアックな知識は……いや、先生はアリストテレスの専門家だから普通のことなんだろうか……)


 理子は頭の奥に軽い痛みを感じた。が、こらえて最後まで読み進める。


『最初の「メーロロンテー」はコガネムシを指すとされています。「カラボス」は、クワガタムシとする説とカミキリムシとする説があり、さらに「カンタリス」はカミキリムシともハンミョウとも考えられています。


 古代ギリシアに存在したこれらの昆虫が、現在のどの種と正確に対応しているのかは調べようがありません。完全に同じ種が残っていると断言することもできないでしょう。

 

 ポイントは、この虫たちは異なる種ではあるものの、「はねさやのなかに収められたもの」という共通点をもっている、ということです。つまり、これらはどれも「甲虫こうちゅう」という意味では、」なのです。この観点からすれば、カブトムシとクワガタムシの違いなど取るに足らないものだと言ってよいでしょう。


 アリストテレスのすごいところは、彼がこれらの種のあいだに見つけた「はねさやのなかに収められたもの」という特徴が、現在ではそのまま「鞘翅目しょうしもく(Coleoptera)」という「共通の名称」として使われているということです。ツノやハサミではない「カブトムシ」の本質をしっかり捉えていたんですね。


 しかもアリストテレスは、昆虫の身体が頭・胸・腹の三つに分かれていることもすでに見抜いており…………』


 指導教員のこの唐突なアリストテレス讃美を、理子はもはや読んでいなかった。いま鏡を見れば、石像のような無表情が映し出されていたことだろう。


(……やっぱり大道寺先生に相談した私がバカだった……いや、先生は全然悪くないんだけど……むしろこんなに詳しく教えてくれたし……ただ、ねぇ……)


 理子はちらりと双子に目をやる。香菜かな紗菜さなは、ちょうど昼寝から起きてきた黒猫のキタローに、「にゃー」「にゃあ」と話かけて無視されているところだった。


(……アリストテレスじゃあ、この子たちに説明できないなぁ……)


 と、テーブルのうえのスマートフォンが軽快な音を鳴らし、メッセージの受信を知らせた。如月友香きさらぎともかからである。


『理子さん、こんにちは! 毎日暑いですね。来週は大道寺先生の集中講義で久しぶりに理子さんに会えるので嬉しいです! 集中講義が終わったあとの読書会の日程はどうしますか? よかったら予定を教えてください』


(……うう、やっぱり頼りになるのは親友だ……友ちゃんに聞いてみよう……)


(続く)

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