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 「面談の日程について」と題された大道寺だいどうじからのメールには、標記のとおりの内容が驚くほどなく記されていた。


東雲しののめさん


 こんにちは。大道寺です。お盆休みはいかがお過ごしでしょうか。

 先日お話した個人面談の件ですが、九月十五日の午後三時に私の研究室にお越しください。先行研究についての報告は、資料がなくても結構です。


 大道寺哲』


 メールを読み終えた理子は、すかさず「返信」画面を開いた。理子の知るかぎり、仕事中の大学の先生はパソコンに向かっている時間が長いから、メールを受け取った直後なら「チャット」と同じようにすぐ返信を読んでもらえる可能性が高いと思ったのだ。


「理子? スイカらないの?」

「う、うん、ちょっといま手が離せなくて……」

「そう? じゃあ香菜かなちゃんと紗菜さなちゃんにあげちゃうわよ」

「やったー」「わーい」


(……カブトムシだったら、間違いなくスイカに飛びつくんだろうなあ……うー)


 スイカへの未練をたらたらと残しつつも、理子は大道寺への返信メールを書き始める。


『大道寺先生


 お世話になります。東雲です。ご連絡ありがとうございました。ご面談いただく日程、了解いたしました。


 別件で恐縮なのですが』


 一瞬、キーボードを叩く指が止まる。


(……先生にこんなこと相談していいのかな?…………えい、書いちゃえ)


『別件で恐縮なのですが、先生にご相談したいことがあります。


 私の幼なじみのお子さんで、六歳くらいの女の子がいるのですが、今日たまたま、その子がクワガタムシのことをカブトムシだと思いこんでいることを知りました。


 彼女を傷つけずに、それとなく間違いを正してあげるにはどうしたらよいでしょうか? 変なご相談で申し訳ないのですが、先生のアドバイスをいただけたら嬉しいです。よろしくお願いいたします。


 東雲理子』


 勢いで「送信」ボタンを押した理子は、そのままの勢いでソファに背中をもたれた。指導教員におかしな質問を投げてしまったことに多少の罪悪感を覚えてはいたが、メールを読んで眉間に皺を寄せながら、それでもカブトムシのことを真剣に考え始める大道寺の顔を思い浮かべて、自然と笑みがこぼれた。


(……大道寺先生のことだから、「私には分かりません」って無下むげには言わないはずだよね……ふふ……)


 そのままの姿勢で大道寺のことをぼんやり考えていると、香菜と紗菜が「理子お姉ちゃん、これ」と言って、小皿に乗ったスイカを持ってきてくれた。「ごめんね、理子、それしか残らなくて」と、母・良子りょうこの間延びした声が双子の背中ごしに聞こえてくる。


「ありがとう、香菜ちゃん、紗菜ちゃん」と言って二人の頭を撫でた理子は、添えられていた小ぶりのフォークで、小さく四角に切られたスイカを口に運ぶ。青臭い香りと爽やかな甘さに満ちた水分が、じわっと口と喉をうるおす。


(……夏と言えばやっぱりスイカだね……ん?)


 さっき返信を送ったばかりだが、早速メールの受信通知が光っている。いくらなんでも早すぎる、と思いながらアプリを開くと、やはり大道寺からの返信である。胸がどきっと鼓動する。


(……お仕事中につまらないことで邪魔して怒らせちゃったかな……「そんなことでメールしないでください」の一言ひとことだったらどうしよう……)


 おそるおそるメールを開いてみる。ぱっと目に入った「カブトムシの話、興味深く拝読しました」という一文で、はじけそうになっていた心臓が急速に緩んだ。とりあえず怒ってはいないようだ。


 しかし、続く「ですが」で始まる文章を見て、理子の理性に乱れが生じる。


『ですが、


「カブトムシについての私の知識はアリストテレスで止まっています? どゆこと?」


 あまりの珍妙な文言に、二度見して思わず口に出して読んでしまった。双子の方を向いて首をかしげると、二人も理子の真似をして首を倒し、ニコッと笑う。


(続く)

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