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 理子と友香が出席した大道寺だいどうじの集中講義は、初日に田畑房枝たばたふさえにまつわる心霊話で哲学的に脱線したものの、四日間である程度の量のテクストを輪読し、無事に終わりを迎えた。最終日には三人で大学近くの洋食屋で夕食をともにし、離れづらそうにしている友香となんとか別れて、理子は家路についた。


 大道寺とは九月中旬にあらためて個人面談をおこなうことになった。修士論文のテーマであるカントの二律背反アンチノミーの問題について、いくつかの先行研究を読んだうえで自分の考えを報告するように指示があった。


(……大道寺先生って、ああ見えて意外にスパルタなのかな?……でも、ちゃんと期限を決めて誘導してもらった方が計画的に勉強できるかも……)


 一人暮らしの自室に戻り、Web上の論文データベースで文献を調べていると、スマートフォンにメッセージが入った。母の良子りょうこからである。


 なにやら田畑房枝の件で、房枝の娘の美紀みきが理子に聞きたいことがあるらしい。


(……どうしたんだろう、田畑さんのおばあちゃん、またなにかあったのかな……)


 秋学期の授業が始まるのは十月の頭である。集中講義も終わって研究以外に特に用事のない理子は、翌日ふたたび帰省することにした。何日間の滞在になるかは分からないが、とりあえずダウンロードしたPDF形式の論文を何本か印刷し、ホッチキスで留めてクリアファイルに収めた。



 ――――翌日。東雲しののめ家の応接間では、理子と母の良子が並んで座り、正面の田畑美紀と向かい合っている。テーブルのうえには、美紀の持参した焼き菓子が菓子盆に並べられている。


 お茶を一口含んだあと、田畑美紀が申し訳なさそうに口を開いた。顔には少し心労の跡が残っているように見える。


「ごめんなさいね、理子ちゃん、忙しいのに。わざわざ帰ってきてもらっちゃって」

「あ、いえ、私は勉強しているだけで、そんなに忙しくありませんし。遠いわけでもないので、お気になさらないでください」

「……ほんとに、ねえ……迷惑かけちゃって……良子さんにも……」


 聞くと田畑房枝は二日前にも、なにも言わずに家からいなくなったのだという。ただし今度は午後の早い時間で、美紀が近所のスーパーに買い物に出かけているあいだのことだった。


「……私も考えが甘くて……一人にしないように、気をつけないといけなかったんだけど……」


 帰宅後、すぐに母の不在に気づいた美紀は、慌てて外に飛び出し、東雲家に向かった。折良く良子も家にいて、手も空いていたから、運転免許を持たない美紀と一緒に、東雲家の車で近くを回ることになった。


 お年寄りの足でそう遠くには行けないはずと考え、良子は美紀を助手席に乗せて、理子が房枝を見つけたときと同じ、駅周辺の地区を中心に車を走らせた。


 房枝が見つかったのは、探し始めてから二時間あまりが経ったころだった。駅前の商店街にゆっくり入っていく姿を美紀が発見した。良子が道路の端に停車しているあいだに、美紀が駆け足で房枝のあとを追い、数分後に連れて戻ってきた。家に帰る車のなか、房枝は前回と同じように東雲家に迷惑をかけたことを心から済まなく思っている様子だった。


「おばあちゃん、今日は大丈夫なんですか? おうちに一人で……」

「いま、ちょうど息子たちが遊びに来ててね。念のため見てもらってるのよ」


 尋ねる理子に、美紀はふっと肩の力が抜けたように軽い微笑みを見せながら答えた。田畑美紀の息子・康介こうすけは理子よりも年上の幼なじみで、すでに結婚して所帯をもっている。


「……それで、美紀さん……理子に聞きたいことっていうのは?」


 娘が関わっているからか、良子が心配そうに本題を切り出す。


「…………ええ……自分でもおかしなことだっていうのは分かってるんだけど……」

「おかしなこと?」

「……理子ちゃん」

「はい」

「母を見つけてくれたとき、母がなにか言ってなかった?」

「なんのことですか?」

「……おじいちゃんがどう、とか」

「えっ」

「春に亡くなった、父のことだけど」


(……おじいちゃんが夢に出てきた話のこと?……言ってもいいのかな……)


 驚いて躊躇ちゅうちょしている理子の理性に、美紀の次の言葉がさらなる攻勢をかける。


「……それがね……母が……あのあと私に言ったのよ……


(続く)

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