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「……どう、理子ちゃん? なにか思い当たることない?」


 二度目の「徘徊はいかい」から帰宅したあと、田畑房枝たばたふさえは娘の美紀みきに、父・茂夫しげおだけが知っているはずの話を口にしたのだという。


(……どういうこと?……おばあちゃんの夢におじいちゃんが出てきたことと関係あるのかな……)


「ええと……美紀さん、差し支えなければ具体的に聞かせてくれないかしら……私たちが聞いてもよければ、だけど」


 左手の指先を口元に添えて思い悩む理子を見て、かわりに母の良子りょうこが言う。


「……そうね、良子さんにも迷惑かけちゃったし……二人にも話すわ……それほど大した話ってわけじゃないのよ」


 ため息混じりに笑って言う美紀を見て、良子は乗り出していた上半身を起こし、テーブルのお茶に手を伸ばした。美紀の「秘密」がひとに話せないほどの重い中身ではないのが分かって、緊張が少し解けたようだった。理子のフォローのために思い切って聞いてはみたものの、親しい近所付き合いをしている美紀をさらに傷つけるような真似はしたくなかったからだ。


「理子ちゃん、母の絵本……『ドロロンちゃん』知ってるわよね」

「はい、もちろん。すごく好きでした」

「全部で何冊出たのかも知ってる?」


 題名を思い出しながら、理子が一冊ずつ指を折って数える。


「たしか……三冊でしたよね、『ドロロンちゃん』シリーズ」

「人気があった割に少ないと思わない?」

「そう言えば……子どものとき、もっと続きが読みたいのに、って思った記憶があります」

「あれね、本当はもっと続くはずだったのよ」

「続く『はず』だった?」

「そう……たった三冊で終わったのはなのよ」

「えっ」


 絵本作家・田畑房枝の代表作である『ドロロンちゃん』は、シリーズ第三作目を最後に、続編が刊行されることはなかった。その原因が娘の美紀にあるのだという。理子と同じく初耳の良子も、驚いて無言で固まっている。


 気持ちを整理するように深呼吸をしてから、美紀がゆっくりと話を始める。


『ドロロンちゃん』シリーズが大ヒットを収め、田畑房枝が絵本作家として有名になったのは、美紀が小学校低学年の頃だった。母の作品が人気になって誇らしかった反面、学校から帰ってきても絵筆を握り続ける母に、美紀は複雑な気持ちを抱いていた。


 房枝は房枝で、一人娘の寂しさに気づいてはいたものの、売れ始めた大事な時期に仕事を断るわけにもいかない。結局、絵本だけでなくイラストや挿絵など、たくさんの仕事を背負いこんでしまっていた。


 そんなある日、房枝は厳しい締め切りの合間を縫って、家族三人で遊園地に行くことにした。両親と遊びに出かけるのは本当に久しぶりで、美紀は嬉しさで胸が破裂しそうになっていた。


 皮肉にも、はしゃぐ気持ちが裏目に出たのだろう。母の絵本の主人公であるおけのドロロンちゃんが大好きだった美紀は、房枝がふと目を離したわずかな時間に、遊園地内の「お化け屋敷」に駆けこんでしまった。


 お化け屋敷に入った直後にお化けに驚かされるということは、そう多くないだろう。なにか出るかも、そろそろ出そう、きっと出る……と恐怖心が徐々に高まっていった頂点に、最初のお化けを配置するのが効果的だからだ。


 美紀が入ったお化け屋敷も、この基本的なフォーマットにのっとっていた。美紀は、あとから来るはずの房枝たちを逆に驚かそうと、子どもしか入れないようなセットの隙間に潜りこんでしまった。入り口そばの死角で、「本物」のお化けに気づかれることもなかった。


 美紀が覚えているのはそこまでである。


 急いで追ってきた両親に美紀が気づかなかったのか、そもそも美紀がお化け屋敷に入ったことに両親が気づかなかったのか、真相は分からないが、待っているあいだに美紀は暗闇のなかで眠りに落ちてしまったのだ。


 美紀が目を覚ました数時間後、行方不明の女児を探して、外は大変な騒ぎになっていた。遊園地は閉園時間を少し早め、全職員を動員して大規模な捜索活動を始めていた。数台のパトカーも集まってきていた。


 人の声はするものの、なにが起こってるのか分からないまま、隠れていた場所からそっと抜け出てきた美紀に気づいて、「お岩さん」が、見た目と釣り合わない高揚した声で「いたよー!」と叫んだ。


 お化け屋敷の入り口で、房枝は美紀をきつく抱きしめながら、声を上げて泣いた。隣では茂夫が、安堵しつつも依然として張り詰めた雰囲気を保ったまま二人を見守っていた。母の頬を伝って自分の服を濡らす涙の温かさを感じて、美紀は、勝手にいなくなってしまった自分の行為が多大な迷惑を招いてしまったことを、子どもごころに痛感した。


「…………それで、私、とんでもないこと言っちゃったのよ」


 美紀の眼は、今まで理子たちが見たことのない深い悲しみを帯びていた。


(続く)

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