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「……ほんとに、なんであんなこと言っちゃったのかしらね」


 田畑美紀たばたみきが今度は大きなため息をついた。話の展開に、理子と良子りょうこも思わず身体を固くする。


 自分の身勝手な行動で、大好きな母に迷惑をかけてしまったという反省と、それでも大好きな母に嫌われたくないという思いが交錯するなか、事情を尋ねる警察官に対して、咄嗟とっさの嘘が口をついて出てしまった。


「……、なんて……」


 それから美紀は両親に付き添われ、警察署で詳しいことを聞かれたが、外傷や着衣の乱れなどがあるわけでもない。美紀に対する状況確認は短時間で終了した。あとは警察が現場で捜査するのだろう。見た目には元気そうでも心の傷を受けている可能性がありますから、十分に注意してあげてください、と両親が説明を受けているとなりで、幼い美紀はひたすら自己嫌悪におちいっていた。


 茂夫しげおの運転する車で家へ帰るあいだ、房枝ふさえは後部座席で美紀の背中を撫でながら、何度も「ごめんね、ごめんね」と繰り返していた。その声音はいまも美紀の耳の奥に貼り付いて離れない。


「……そんなことがあったなんて……全然知らなかったわ」


 美紀の話が一段落ついて、少しかすれた声で良子が言う。


「それはそうよ、大昔のことだし……」

「じゃあ……このことがあって、おばあちゃんは『ドロロンちゃん』を描くのをやめた、ってことでしょうか」


 理子の問いに、唇を結んだ美紀がうなずいた。


「私を心配してくれた結果なんだと思う……ドロロンちゃんってお化けでしょ。描き続けたら、私にお化け屋敷の一件を思い出させてしまう……そう考えたんじゃないかしら」

「……もしかして、おじいちゃんしか知らない話って……この嘘のことなんですか」


 そう口にして、理子が美紀を見つめる。美紀が伏し目がちに答える。


「ええ……母が『ドロロンちゃん』を大事にしてたのは知ってたから、ずっと謝りたかったんだけど……どうしても言えなくてね。少し経ってから、父にだけ話したのよ、本当のことを」

「それで、おばあちゃんはなんて言ったの?」


 無意識に勢いこむ良子が尋ねる。


「うん……『ドロロンちゃん』のことはなにも気にしてないし、あのとき嘘をついたことも怒ってない、って。私も謝ったんだけど、子どもに抱えこませちゃってごめんね、って逆に謝られちゃった」

「おばあちゃん、隠してただけで、本当はずっと知ってたんでしょうか」

「うーん、って約束してくれたし……それに、いままで何十年も、そんな素振りすら見せなかったのよ。私だって記憶の隅に埋もれてたようなものだもの」


 美紀は心の底から不可解きわまるといった表情を示しながら、顔をゆっくり左右に振る。


(……だとしたら、やっぱり……おじいちゃんの霊が夢で真実を話したっていうの?……)


 理子が姿勢を正して、お茶を口に含んだ。軽く咳払いをし、美紀からの最初の質問にはっきりと答える決意を固める。


「……実は……私が見つけたとき、おばあちゃん、言ったんです……って」

「えっ」


 美紀も良子も一様に驚いて目を見開いている。


「理子、あんたどうしたのよ……まさか、おじいちゃんが夢のなかで話した、って言うんじゃないでしょうね」

「うーん……信じるのはなかなか難しいけど……」

「でも、もしそうだとしたら」


 美紀が意外にも明るい声で言った。


「話の辻褄つじつまは合うわよね」

「?」

「だって、父を信用するなら、現実じゃないところで母に伝えたことにするしかないじゃない。あるいは母が実は超能力者だった、とか……いずれにしても、世の中には常識じゃ説明できない不思議なことがある、ってだけかもしれないわね」


 あっさりとした美紀の態度に、理子と良子が顔を見交みかわした。良子の眼は明らかに「そんなこと簡単に信じていいの?」と訴えている。


 だが田畑美紀の言うとおり、最初の前提さえ認めてしまえば、残りの話の筋が通ることも事実だ。しかも、すでにこの世を去った茂夫の名誉も守られる。数十年越しになってしまったが、美紀も母に謝罪の言葉を述べることができた。美紀にとっては、結果的に一番良い「解決」になったのかもしれない。はじめは納得できないという風だった良子も、徐々に美紀の気持ちに気づき始めていた。


(…………本当に、そういうことでいいのかな…………)


 あらためて理子は、早朝のバス停に一人で座る房枝の姿を思い出していた。


(続く)

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