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 スマートフォンの画面に写った「母」の文字を数秒間見つめた理子は、気息を整えたあと、慎重な動作で母からの電話を受けた。


「……もしもし、お母さん?」

「あ、もしもし理子? いま平気?」


 母の声は、絶望的な事態を想定させるものではない。理子の緊張が少しだけ緩む。


「うん、大丈夫。どうしたの?」

「キタロー、帰ってきたよ」

「え! よかった〜」


 ほっと胸を撫で下ろした理子は、スマートフォンを耳に当てたまま、ゴロンと床に仰向けに転がった。自覚している以上に無意識で心配していたのか、閉じた眼がじんわり熱くなった。


「……帰ってきたんだけどさぁ」

「?」


 安堵した理子だが、続く母の口調の変化にゆっくりと身体を起こす。


「…………なんか様子が変なのよ」


 電話口の声には、キタローが帰ってきたことによる安心と、腑に落ちないところがあるという困惑とが混じり合っていた。


「……様子が変って……どういうこと?」

「……う〜ん……うまく言えないんだけど……どことなく違うのよね。ご飯の食べ方とか、ちょっとした鳴き方とか」

「ワンって鳴くようになったとか?」

「そんなわけないでしょ」


 ピシャリと言われ、電話の向こうの般若のような母の顔を想像して理子は肩をすくめた。


「理子、週末、忙しい?」

「……ん、特に予定はないけど」

「帰ってきてくれない? キタローの様子、見に」


 そういうわけで理子は急遽、土曜日に帰省することになった。実家は理子のアパートから電車を乗り継いで、一時間半ほどのところにある。まだ夏学期の途中だから、週末を実家で過ごしたあと、月曜日の朝には戻ってくる予定だ。


 気持ちよく晴れた土曜日の朝。理子は最低限の身の回りのものだけを持って、家を出た。


(続く)

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