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「例の田中さんのことなんだけど」
理子のテーブルに水を置いた
「このあいだ、裏の花屋の奥さんとしゃべったんだけどさ……田中さん、うちを出たあとにいつも寄ってたみたいなんだ、花屋に」
南郷通りに面した喫茶店「クレール」の横の脇道を奥に入っていくと、右手に花屋「フローラ」がある。こじんまりとした店内に、豪華な鉢植えから可憐な一輪花まで、文字どおり色とりどりの花が所狭しと並んでいる。
小山内は店に飾る鉢植えを定期的に「フローラ」に買いに行っている。梅雨どきの暗鬱な気持ちを励ましてくれる青い
「近くにお花屋さんがあるんですね。知りませんでした。田中さん、いつもお花屋さんに寄ってたんですか」
「そうみたい。毎週水曜日のお昼に来るお客さんだから、はっきり覚えてた。こっちが三年なんだから、向こうにも三年通ってたんだろうね。奥さんも心配してたよ。急に来なくなったから」
「そうですよね。なにか買ってたんでしょうか」
「三年間だから、もちろん色々みたい。おまかせのブーケのときもあれば、シクラメンとかベゴニアの鉢植えとか? 花は詳しくないから俺もよく分からないけど」
花のことは分からないと自嘲気味に言いながらも、前回の別れ際に話したときの小山内とは明らかに口調が違う。先週の小山内は、田中が水曜日発売の漫画雑誌を読む「ため」に来店していた可能性にショックを受け、軽く落ちこんでいた。だが、田中が「クレール」でコーヒーを飲んだあとに必ず「フローラ」で花を買っていたとすれば、田中には漫画雑誌を読むのとは別の目的があったかもしれないのだ。
田中は最終的に花屋を訪れる「ため」に、途中で喫茶店に寄っていた。だとすれば、問題は花を買うのがなんの「ため」だったのか、ということだ。
「毎週、花を買う用事ってなんでしょうね」
「……そうだな、普通に考えれば……」
理子と小山内の言葉が重なった。
「お見舞い」「お見舞い」
南郷通り沿いには、理子の通う早京大学の附属病院がある。
「……そうか、田中さん……毎週水曜日に早京大病院にお見舞いに来てたのか」
小山内は深いため息をついてから続けた。
「じゃあ、毎週誰かのお見舞いに来たついでに寄ってくれてたんだ……感謝しないとな」
「あ、でも」
しみじみとしはじめた小山内に、思わず理子が語気を強めて言った。
「……もしそうだとして、田中さんが来なくなったってことは」
小山内にもすぐに、理子のかすかな動揺が伝わったようだった。
「……ああ…………治って退院したんならいいんだけどな」
それから小山内は、ごめん遅くなって、と言って理子の注文を聞いてから、テーブルを離れていった。
(続く)
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