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(これは一体……どういうこと?……)


 一階の参考図書コーナーに『哲学大辞典』を返してから、地下一階の閲覧室に戻ってくるまで、数分もかかっていないはずだ。それなのに、いま返したばかりの、菊判で五キロはあろうかというこの辞書が、悪びれもせずに台のうえに鎮座しているではないか。


 理子の頭のなかに「アンチノミー」という言葉が浮かんだ。


 アンチノミーとは「二律背反にりつはいはん」の意で、ある命題とその反対命題とが同時に成り立つ状況、あるいは逆に、両方の命題がいずれも成り立たないような状況を指す。「「Aかつ非A」はない」とする「矛盾律むじゅんりつ」に反した状況である。


 外では雨が降り始めてきた。「雨が降っている」のだから、「雨が降っていない」、ということはない。当たり前のことだ。


 いま『哲学大辞典』は台のうえにある(A)。だが、『哲学大辞典』は参考図書コーナーにあるから、台のうえにはない(はずである)(非A)。まさにいま理子の眼の前で、Aと非Aが同時に成立してしまっているわけだ。


 アンチノミーについての深い思考を繰り広げた哲学者がいる――カントである。


 眼の前の『哲学大辞典』を呆然と見つめながら、理子はカントの議論を脳内で反芻はんすうしていた。


 カントは、人間がついつい考えてしまうような、「宇宙」や「自由」や「神」をめぐる大きな問題に、理性は解答を見つけられないと述べた。


 たとえば、宇宙は無限なのか、有限なのか。


 仮に無限だとしよう。だとすれば宇宙には限界がないことになり、どの瞬間をとってみても、無限の時間が流れているはずである。だが、いまそう考えている「現在」の瞬間は、時間の最前線であり、言わば一つの限界である。つまり、宇宙は有限である。


 反対に有限であるとする。そうすると宇宙には始まりがあることになり、始まる以前には空虚があったはずである。しかし無からはなにものも生まれないから、始まりの前にも宇宙はあったのでなければならない。すなわち、宇宙は無限である。


 二つの推論はどちらも正しいにもかかわらず、最終的に、結論が前提を覆してしまう。正しいはずの理性が、その正しさゆえに、自分自身をいつわってしまうのだ。


 たしかにここには『哲学大辞典』がある。このことを疑うことはできない。しかし、『哲学大辞典』はついさっき棚に返したばかりであり、瞬間移動でもしないかぎり、ここにあってはならない。


 わけが分からず立ち尽くす理子にさらに追い打ちをかける事態が生じた。


 あやうく理子は叫び声を上げそうになった。


 理子の隣の座席に陣取っている男がおもむろに振り返って、理子が見下ろす『哲学大辞典』に手をかけたのである。


                                       (続く)


 


 


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