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「私、9時まで待ってたのに……」


 共同研究室に入ってきた友香の言葉に、理子はしばらく黙ったままだった。隣に立つ大道寺も不思議そうな表情を浮かべて、二人の顔を交互に見比べている。


 理子もついさきほど、9時まで待ってたのに友香が来なかった、と大道寺にこぼしたところなのだ。


「どうしてだろう……ちゃんと私も駅前のサタドにいたんだけどな」

「えっ、そうなんですか? 東雲しののめさん、見当たらなかったような」

「おたがい見えない角度の席に座ってたのかなあ」

「私、奥の席に座ってて、入り口にはずっと注意してたんです」

「ていうか、私の方が先に待ってたはずだよね」

「あ、そっか……私は5限まであったんですもんね」


 理子が約束をすっぽかしたわけではないことを知って、ひとまず友香は落ち着きを取り戻した。


「じゃあさ、これから一緒に行かない? 如月きさらぎさん、もう授業は終わりでしょ?」

「あ、はい」


 友香の顔がぱぁっと明るくなった。笑うとますます美少女だ、と思いながら、理子は手早く荷物をまとめた。


「そういうわけで、先生、ドーナツを食べに行くので失礼します」

「ははは。友に会えてよかったですね」

「ほんとです。アリストテレスの友だちのこと、また教えてください」


 アリストテレスの話で盛り上がる理子と大道寺のわきで、なんのことか分からない友香はぽかんとしている。


「そうそう。近くにチーズケーキが美味しい喫茶店があるそうですよ。柳井先生が教えてくれました。今度二人で行ってみたらどうですか」

「へー。レアチーズケーキですかね」

「いや、ベイクドみたいです。たしか、お洒落な庭があるって」

「へえ、素敵ですね」

「あ、私そこ知ってます。早大病院の方ですよね」


 今度は友香も話に加わった。


「如月さん、知ってるんだ。せっかくだから今日行ってみる?」

「うーん、まずはドーナツのリベンジしたいです」

「それもそっか」


 大道寺と丸山に挨拶をして、理子と友香は共同研究室をあとにした。二人は好きなサタドのドーナツを順番に挙げながら、並んでコツコツと階段を降りていく。1階の自動ドアをくぐって九号館から外に出ると、夕方の湿気を帯びた空気が、冷房慣れした身体に生ぬるくまとわりついてきた。


「でも、なんだかんだ言って、オールドファッションが一番」


 そう言いながら理子は、7月の暑気を吹き飛ばすように、大学東門に向かって颯爽さっそうと歩きだした。


「あの小麦粉感のある歯ごたえが、ドーナツ食べてるって感じになるんだよね」


 数秒後。


(……あれっ?)


 友香からの反応がない。隣に友香はいなかった。さっとうしろを振り返ると、数メートル離れたところで友香も同じように振り向いて、眉間にしわを寄せている。


「東雲さん? どこ行くんですか?」

「えっ」

早大西そうだいにし駅はこっちですよ」

「あ……」

「あっ」

「如月さん、もしかしてそっちのサタドにいたの?」

「東雲さん、南郷五丁目のサタドにいたんですか」

「そりゃ、会えないわけだ」

「ですね」


 理子と友香が会えなかった日。二人は別々ので、来るはずのない相手を待っていたのだった。


(続く)

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