補講 理子メモ「独断論のまどろみ」
生涯独身を貫き、規則正しい生活を送っていたカントは、毎日決まった時間に散歩をしたと言われている。伝承によると、カントがこの習慣を破ったのはたったの二回しかない。一度目は1762年、ルソーの『エミール』を読みふけった日(別の説によれば同じルソーの『社会契約論』を買いに行った日)であり、二度目は1789年、フランス革命を報じる新聞を買いに行った日のことだった。
そんなカントに衝撃を与えた哲学者がデイヴィッド・ヒューム(1711-1776)である。ヒュームは、ロックに始まるイギリス経験論の完成者として知られる。
ヒュームの哲学的業績の一つに「因果関係」の否定がある。対象Aと対象Bが因果関係にあると言われるとき、AはBの「原因」(理由)であり、BはAの結果である。この場合、Aがあれば当然にBが生じるのだから、BはAの存在だけから帰結されなければならない。ヒュームは、こうした因果関係による結びつきは必然的ではないと述べた。ヒュームによれば、AからBを推理できるのはただ私たちの「経験」によるのだという。
たとえば、「火」に近づいたとき、私たちは「熱」という感覚を感じたことを覚えている。これが意味するのは、私たちは火に近づいたときにいつも熱いという感覚を覚えた、ということである。ここから私たちは、「火」という対象を「原因」(理由)、「熱」という対象を「結果」と呼び、前者から後者を推理するのだが、この因果関係は実際には、「火に近づくといつも熱かった」という、過去の反復的経験からなる「習慣」の産物にすぎない。「火に近づいた」「だから」「熱かった」のうち、因果関係を意味する「だから」の部分を私たちは実際に知覚しているわけではないのである。
AとBを因果関係で必然的に結びつけようとする理性に対して向けられたこの攻撃を、カントは重大なものとして受け止めた。そしてカントはヒュームのこの警告が自分を「独断論のまどろみ」から目覚めさせてくれたと述べ、イギリスの経験論を組み込んだ形での合理論の体系を築くに至ったのである。
散歩についてのカントの逸話も、この哲学的逸話と微妙に響き合っていると言えなくもない。
なお「バラは〈なぜ〉なしにある」は、ドイツの神秘主義詩人シレジウス(1624-1677)の詩である。
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