第4話:ただ切る少女(四)

 振りむくと、はたして背後から二人の男が現れる。

 一人は、茶色いスーツ姿の四〇代前半の男性だった。きれいに整ったオールバックの黒髪に少し角張った輪郭で、口だけで笑いながら手を叩いている。脇に抱えた大きめの茶色い革鞄のせいか、その風貌はどこにでもいるサラリーマンに見える。

 が、彼も普通ではない。烏輪はそれを知っている。自分と同じ世界の人間だ。なにしろ、校内に部外者が入りこまないようにしてくれたのは、彼である。


「ありがとうございます」


 なんの感慨もなく烏輪は、その男に頭を深々とさげて礼を言う。

 と、今度はその隣に立つ男を見た。自分と同じぐらいの年齢。その線が細い彼は、烏輪がよく知る人物。


「兄様。お勤め終わりましたの」


「お疲れ様。これで烏輪も【特部】の【契約者】としての仕事をすることになるね」


 兄である【七藤ななふじ 陽光ようこう】が、切れ長の瞳で優しく微笑んで見せた。

 その自分の丸い目とは対照的な色っぽい目尻が、烏輪はうらやましくて仕方がない。他にも自分の小さめの鼻とはにつかない、鼻筋のきれいな高い鼻もずるい。口元だけはかろうじて似ているが、男の癖に自分と同じように紅をさしたような唇は反則だと思う。

 どうして、兄は……いや、うちの家系の男は、こうも中性的な美形が多いのだろう。自分で自分をかわいくないとまでは言わないけれど、母に似た自分が残念で仕方がない。そう言うと、いつも母に怒られるので口にはしないが。

 そんなどうでもいいことを考えながら、烏輪はスーツ姿の男の話を頭の隅で聞いていた。


「正式な契約は後日。うちとしても最年少の契約者となりますので、少し慎重にさせていただきます。いやぁ~。最近、この手の事件が増えているので、若くとも優秀な【契約者】が増えるのは助かりますよ」


 そう語る笑顔は、どこかで見たことがある。そうだ。この前に見た、保険勧誘のセールスマンにそっくりだ。ぜんぜんこちらを心配していないくせに、心配しているフリで商品説明するセールスマン。本当に目の色が似ている。ただし、目の前に異形の死体が転がっているというのに、作り物くさい笑顔を見せることができる異常さを除けばだが……。


「後の始末は、当社【エスソルヴァ】が責任を持って行いますのでご安心ください。それから、陽光さんから頼まれた調べごとに関してはわかり次第お伝えします。……では」


 そう言うと、男は頭をかるくさげて、すぐに立ち去ってしまう。


「兄様……調べごと?」


「ああ、大したことではないよ。それより烏輪、大丈夫かい?」


「ん? なにがなの?」


 兄の言葉の意味がわからず、烏輪は首をひねる。いったい、兄はなにを心配しているのだろうか。いつもどおり、鬼一匹を退治をしただけだ。確かに一人で最初から最後までやったのは初めてだったが、この程度の鬼なら心配ないことはわかっているはずである。


(鬼……あれ? なんの鬼だっけ?)


 ふと、烏輪は頭の中に霞がかかっていることに気がつく。おかしい。今の自分に現実感がない。どうでもよいことには思考が働くというのに、つい先ほどまでのことを思いだそうとしても思考がまったく働かない。

 しかし、兄に心配をかけてはいけない。

 やることをしっかりこなさなければと考え、手にしていた模造刀を見る。そこには、べったりとついた血糊。これはいけないと、ポケットから出した布で刃の血糊を拭き取りはじめる。


(ほむ。これ、なんの血糊なの?)


 やはり、記憶が混乱している。不安という霞が、体全体を包んでいくようだ。このまま考えてはダメだ。思考を放棄して、意識を閉じ込めないといけない。


「烏輪……」


 それをとどめたのは、陽光の柔らかい声だった。彼はまるで、どこかに落ちていく体を支えてくれているかのように肩をしっかりと掴んでいる。おかげで烏輪の意識が、しっかりと戻ってくる。


「泣いてもいいんだよ」


「……ほむ?」


「だって……仲がよかった友達を斬らなくてはならなかったんだから」


「……ボクが斬ったのは、鬼なの」


 そう言いながら、烏輪は模造刀を兄の後ろにあった黒い円筒形のケースに差しこんだ。ゴルフバックよりも一回り大きいそれは金属でできており、天板に空いた穴で、烏輪の模造刀のハバキまでをすべて呑みこんだ。

 そして天板にあるパネルを操作すると、カチッンという音が響いて、柄から目釘に当たる物が飛びだし、またすぐ戻った。柄を取りあげたてみれば、ハバキから先がなくなっている。

 烏輪はそれを確認すると、まだ心配そうな顔をしている兄を見つめた。兄の不安がわからず、彼女は小首をかしげる。


「ボクたちのお勤めは、鬼を斬ることなの。だから斬っただけ。どうしたの、兄様?」


「でもね、烏輪。斬る……切る・・には、思いやりも必要なんだよ」


「ほむ? 鬼に?」


「いや。そういうことではなく……」


「どっちにしても、思い・・を誰かにやって・・・いては、斬れなくなるの……」


「烏輪……」


 烏輪は顔を曇らせてしまったことに気がつき、すぐに微笑に変える。


「そんなことしていたら、なかなか兄様に追いつけないの。ボクは早く、兄様の力になりたいの」


 そう言って、烏輪は兄の腕にしがみつく。困った兄の顔を見ないように。兄の言いたいことを理解できない、したくないというように。

 烏輪はそそくさと「ボクが、持つ」と言いながら、底についたタイヤを転がし、黒い筒を引きずり始めた。



「追いつく……だからこそ必要なんだよ。でも、同時に僕は、わかって欲しくない・・・・・・・・・とも思っているんだ、烏輪。君は普通の人と一緒に、普通の生活をするべきだ。この世界は……君には暗すぎる」


 そんな陽光の小さな独り言が、烏輪の耳に届くことはなかった。

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