第27話:普通の人間(三)
「悪魔よ、退け!」
「くそっ! うぜぇよ、ゴミ!」
何かが倒れる音と、罵声と怒声が入り交じっているが姿は見えない。ただ、声からして、牧師と超能力者の二人が
柳は階段に着くと、早足で降りていった。
すると不意に、まるでゴミ捨て場のような臭いが鼻腔を突いてきて、つい嘔吐しそうになる。それをなんとか抑えて、踊り場で少女の絵画を横目に曲がり、そして階下の様子をうかがう。
はたして、そこには二人がいた。
そして、二人が争っている相手もいた。
だが、その相手は、柳にとって衝撃的だった。
「なんだよ、こいつら……」
その場景は、映画でよくあるSFXで見るよりも現実味がなかった。なぜなら、SFXで動いている物体は、動くべき形をしている気がする。しかし、目の前のそれらは、動いていることが不自然で仕方がない。
まず、目に入った一体は、人の姿をしていた。しかし、それはあくまで一見であって、本当の姿は人としていろいろ足りない。
男性と思われる相貌の左頬は削り取られ、赤紫になった血肉と口内をうかがわせている。その状態でなぜ動くのかわからないが、口が何かを求めるように開閉をくり返している。
また、首は半分ほど千切れていて、骨も折れているのか、右頬が肩にくっついている。その肩から下に腕はない。
腹部も何かに噛みきられたように、すっぽりと右側が欠けていた。そこからこぼれ落ちる腸らしき物が、足下まで届き、床でずるずると引きずられている。
そして、足らないのは体のパーツだけではない。
死んだ魚のような眼がギョロギョロと動くが、その眼光に「
さらに他の固体には、異形も多く混ざっていた。
下半身がなくなり、その代わりに何本もの腕が、切断された腹部に付けられ、それをムカデの脚のようにして歩んでいる者もいた。
また、ある者は首から上はなくなって、代わりに胸部に大きな出眼、腹部に鰐口をつけている者もいた。
(ゾンビ映画でも、もう少し秩序ある化け物だった気がするぞ)
心で軽口を叩くが、驚愕が過ぎると、今度は恐怖が体を支配してくる。銃のグリップを握る手がだんだんと震えてくる。両手で押さえ、何とか宥めようとするが、力めば力むほど震えが酷くなる。
震えるなと言う方が難しい。常軌を逸した化け物が、目の前にざっと十数匹もいるのだ。
その化け物たちは、牧師とチンピラ超能力者を取り囲みながらゆっくりと迫っている。
まだこちらに気がついた様子はないが、あの集団がこちらをむいた時を想像すると体が動かなくなる。
しかし、そんな柳に対して、追い詰められていた二人は懸命に戦っていた。
牧師は、大きな鞄から水の入っているペットボトルをとりだしていた。そして、器用にペットボトルの口から水を飛びださせ、なにか言いながら緩やかな放物線で化け物たちにそれを浴びせている。
その水をかぶった化け物たちは、どれも同様に苦しみ始める。よく見れば、水をかけられたところから煙が少し上がったかと思うと、青白い炎まであがっていた。
すでにボロボロの体でどんな痛みを味わっているのか、大量にかけられた化け物から順に呻きながら倒れていく。
その横では、超能力者の田中が、全身に腕が生えたような化け物と対峙していた。
頭の横、腕の途中、脇、股間から脚まで腕が生えている。まるで幼児がおもしろがって適当に付けたおもちゃのようだ。腕の方向も無秩序で、役に立つ付き方とは思えない。
その哀れな姿に、田中がすばやく近づいた。
そして真っ赤なグローブをつけた手で、事もあろうかその化け物の腕二本を鷲掴みにする。
その様子に、柳は慌てた。他のいくつもの腕が、田中を捉えようと動いたからだ。
ところが不思議なことに、自由なはずの腕までもが途中で動きをとめてしまう。さらに双眼の真下まで開いていた大口も、唾液を垂らしているものの動く気配がない。
「ブレイク!」
その田中の言葉は、まるで死刑の執行宣告のようだった。
両手をつかまれた化け物が、電気ショックを受けたように小刻みに震えた。かと思うと、唐突に力尽きたかのごとくその場に崩れ落ちた。まさしく、糸の切れた操り人形だ。
(すご……い……。化け物と本当に戦っている……)
二人が化け物を次々と斃しているのを見て、柳も少し落ちついてきた。「斃せる存在だ」と思えたことで、自分も何とかなるのではないかと銃を改めて握りしめる。
震えも止まり、少し冷静に周りを見れば、ロビーのあちらこちらに化け物の死体……と言ったら変だが、動かなくなった体が転がっている。多分、戦いながら二人は、あそこに追い詰められたのだろう。
(こっちに逃げてこられないのか……)
柳は二人を逃がすために、階段から少し離れた。敵を拡散させないといけない。二人に当たらないように弾道を計算し、銃を構える。
三村警部から託された【
(よし……)
すでにチャンバーに弾丸は送られている。柳は
銃声と共にスライドがさがり、薬莢を勢いよく飛ばしていく。
両手に伝わる反動を確かめながら、化け物を見る。
と、よろめくものの倒れない。
化け物の胴体にあった巨大な一つ目が、ぎょろぎょろと動いて柳を睨んだ。
今の銃撃のためか、眼球の周りから血を流している。
怯みそうになりながらも、柳はさらに一発をその目玉に撃ち込んだ。
眼球の一部がビシャという音と共に弾ける。
だが、倒れない。
さらにもう一発。
やっと、化け物が前に倒れこむ。
だが、まだ蠢く。
もう一発必要かと思った時、化け物がやっと動きをとめた。
(あいつを斃すのに五発も必要なのか……)
【P二二六】自体は、ごく普通の銃なのだが、装填されている弾丸が特殊な物だった。
弾頭の材質で、銀が使われている。もちろん、貫通力は弱くなる。しかし、それでよかった。なんでも、金や銀には霊力を貯めやすいという性質があるらしい。その性質を利用して、特殊な技術で陽の霊力を封じ込めた弾頭を採用している。この弾丸は、敵に当たると潰れた弾頭から霊力が漏れ、化け物の霊気の流れを乱す効果があるのだ。
霊的存在は、霊気というエネルギーで動いているのだという。というより、霊気でできた霊体こそが、
ただし、肉体を持つタイプは、肉体を原形をとどめないほど粉々にするか、完全に燃やして灰にしてしまえば、依り代をなくして滅びるという。
もちろん、それは簡単にできることではない。
そこで、性質を利用する。要するに霊気の流れを乱してやれば、自らを構成することができずに滅ぶというわけだ。ただし、強い霊的存在ほど、簡単に霊気を乱すことはできない。
たぶん、目の前にいる化け物たちは、大して強くないのだろう。ランクCの二人が次々に斃しているぐらいだ。ゲームで言えば雑魚キャラ、ヒーロー物で言えば悪の組織の戦闘員程度か、それより少し強い程度。
しかし、そんな雑魚にでさえ、柳の銃では五発もの弾丸が必要だった。
なるほど、わざわざ三村が【P二二六】を渡してきた理由がわかった。普段の銃では、
柳は、三村から弾倉を受けとった時のことを思いだした。
ホルスターと共に渡してきた三村に、柳は「こんなに必要ない」と苦笑した。
しかし、三村は視線を落として「こいつを全弾撃ちこんでも倒せない敵がいる。これだけあっても足らないぐらいだ」と説明してくれた。
もちろん、その時は信じていなかったから、内心で笑い飛ばしていた。
(三村さん、無事に帰れたら大好きな豚骨ラーメンをおごりますよ。チャーシュー追加で……)
あの時、三村の言うことを真剣に聞いておけば良かったと後悔するが、後の祭りだ。
とにかく、無駄弾は撃てない。
何体かの化け物が反応し、こちらを向く。
その無言の殺意に一瞬だけ震えるが、狙うのはそいつらじゃない。
まずは、二人の退路を開かなければならない。
二人が逃げる方向を一瞬でシミュレートして、壁となりそうな化け物に目星をつける。
そして慎重に一発ずつ銃弾を撃ちこむ。
今度は、幸い四発で済む。
「ランクE!」
田中がこちらに向かって叫んだ。
そんな名前じゃないと脳裏で反論しながらも、柳は手を大きく振る。
「田中次郎と牧師さん、階段に逃げろ。退路を確保する!」
「【
こちらの思惑を解した二人が、同じ方向の化け物を斃し始める。
残り全弾を使い、柳もさらに一体沈めた。
それは人に原型が近く、撃つのにためらいがあったが気にしている場合じゃない。
これで退路が作れるだろうと、今度は自分の目の前を確認する。
最初の攻撃でふりむいた化け物たちが、ゆっくりと迫ってきている。
その数、三体。
見るからに緩慢な動きは、まさしく昔の映画にあったゾンビそのものだ。
いや。それよりも遅いだろう。さっき烏輪が、こういうのを【
すぐにマガジンキャッチを押して、古い
弾倉が床に落ち、高い音を鳴らす頃には、左手が右胸に伸びている。ジャケットをめくりあげるように、ダークブラウンの革ホルスターから予備弾倉を抜き取る。
生まれたグリップの空間に叩きこむ。
スライドロックをはずし、装填。
すぐに両手で構えて、
それは下半身が多数の腕で構成されている【人鬼】だ。
一発の弾も無駄にできない。急所に数発撃ちこむタップ射撃を試みようとするが、そもそもどこが急所かわからない。となれば狙うのは、やはり上半身に当たる部分。
柳は容赦なく、肩まで伝わる反動を放つ。
三発目にして、【人鬼】の脚――と言っても腕だが――が、体を支えられなくなったように崩れた。そして動きが完全に止まった。
続けざま、今度は頭が逆を向いたままの【人鬼】を狙う。
体格の良いシルエットや、あちらこちら破けたブラウンのスーツ姿は明らかに男性に見える。
距離は、かなり近づいてきている。
とりあえず、左胸、右胸、臍のあたりに撃ちこむ。
【人鬼】がその威力に押されて踊るように揺れる。
その様子に、柳はちょっとした高揚感を感じた。
最初は恐怖でいっぱいだった。だが、数体も斃した今なら、動きの緩慢なこの【人鬼】を相手にすることは難しくないとわかる。
だから、心に余裕ができたのだろう。
夢見ていた悪を斃す正義のヒーローを自分に重ねてしまう。自分は異能力者ではないが、同じように戦えている。まるで、アクション映画の主人公のようじゃないか。
そうだ。僕はなれたんだ。正義のために戦うヒーローに。
「倒れろよ、化け物!」
威勢よく叫び、正面に見える後頭部に撃ちこむと、【人鬼】は勢いで回転しながら倒れた。
しかし、葬ったのかわからない。
硝煙の臭いがすっかり染みついた手を顔の横まで引きあげ、すぐに【人鬼】の様子を確認する。
うつぶせに倒れたのに、顔は上を向いている。
その不気味さには慣れないなと思いながらも、その顔を見た。
(――あれ?)
僕はこいつを知っていると、柳はぼんやりと記憶をたどる。
そうだ。知っている。
この顔は最近、見て知っている相手だったのだ。
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