第二節
第15話:刑事と異能力者(一)
死にたくなった。
それは冗談や喩えではなく、本気で「もう死んでもいいかな」という思考だった。死んだ方が楽で、死ねば救われると思ってしまったのだ。それも【除霊会】をやるという建物へ、那由多と一緒に入ったとたんのことだった。
今にして思えば、なぜそんなことを考えたのかわからない。
普段の柳は「死ねば辛い人生から救われる」とは考えていない。死んだら救われるのではなく、「終わる」だけだ。残るのは「救われなかった人生」で、それは救われたとは言わないと思う。
死ぬ方が「楽」なことは確かにあるかもしれないが、「楽しい」も永遠に失われてしまう。死後の世界などない。死んだらお終い。だからこそ、「死」という切り札は、最後まで残しておきたい。
そんな思考をもつ柳が、おもむろに銃口をこめかみに当てたくなったのだ。
もし、事前に那由多から「陰の気」についての心構えを聞かされていなかったら、自制できなかったかもしれない。そう考えると、ぞっとして何度も身震いしてしまう。その度にポケットの中で、那由多から渡された御守りを握りしめた。
「これで陰の気を祓えるんよ」
老婆に案内された部屋に入ったあと、すぐに那由多がそう言いながら、小さな御守り袋を渡してくれた。
それを持ったとたんだった。心を押しつぶすようなプレッシャーからの開放感を感じた。大事ななにかが足らないという虚無感がなくなった。なりたい存在になれない自分に対する絶望感が和らいだ。成功者に対する激しい嫉妬がバカらしくなった。すべてが嘘のように心がかるくなる。もう死にたいなど思いもしなかった。
ここまで心情が変わるものか、もしかしたら暗示的なものをかけられただけなのかもしれない、そう勘ぐりもした。しかし、自分を暗示をかけてまで騙す理由などないはずである。
「ごめんよ。最初から渡すと、陰の気の危険性をわかってもらえないと思ったんよ」
困惑する自分を見ながら、そう言った那由多の瞳は、本当にすまなそうな色を見せていた。それを思いだすと、やはり自分を騙しているとは思えない。
さらに彼女は、柳がまだ息苦しいと言うと、今度は部屋の四隅に小さな杭の法具らしきものを置いてまわった。そして意味はわからないが、何かの真言を唱えた。
すると、今度は息をするのがかるくなったのだ。まるで汚れていた空気が清浄器によって、一瞬で浄化されたような感触だった。
那由多曰く、これが【結界】というものらしい。
結界には【物理結界】と【論理結界】というものがあり、これは後者だと説明してくれた。しかし、結界なんて物理法則を無視したオカルトな話なのに、物理結界なんていうものがあるとは変な話だ。
と思いながらも、心のどこかで結界というものがあるということに、なんとなく納得してしまっている自分がいた。
何かに包まれている……そんな気がしてしまうのだ。
(なんかやばくないか……。雰囲気に呑まれている?)
到着して一時間が経った今でも、柳はどうにも心の中を整理できないでいた。
(ただの仮装パーティだとでも、思えばいいはずなんだけどな)
そう自分に言い聞かせながら、柳は改めてその仮装パーティの様子を観察する。
明るいLED照明で照らされる部屋は、少し縦長で四〇〜五〇畳ほどはある。多分、元々は大型の会議室なのだろう。
中央には白いテーブルクロスが掛けられた細長いテーブルがいくつか並べられ、その上にワインやブランデーなどの酒、それにちょっとしたおつまみが並べられていた。
そして今、それを口にする者たちが、那由多と柳を抜いて四名いた。
一番乗りは、柳と那由多だった。
かなり早く着いたおかげで、結界を張ったりこれからの行動の相談をしたりすることができた。
そうこうしているうちに現れたのは、見た目からしてわかりやすい男だった。
裏地に魔方陣らしき物が描かれた黒マントを羽織り、年代物らしいモノクルを着けた五〇〜五〇才半ばぐらいの男性である。まごう事なく「私は魔術師です」と主張したスタイルに、柳は逆に感服したぐらいだ。
「あの黒マントは、【アゼル・元木】。イギリス人とのクォータらしいんよ」
魔術師が入ってきた直後、那由多が小声で説明してくれた。さすが、異能力者の顔をある程度は覚えているらしい。
「確か【
「……それって、要するにサリーちゃんのパパと、どっちが強いんです?」
「……たぶん、サリーちゃんのパパの足下にも及ばないと思うんよ」
「なーんだ。それなら安心だ」
と、冗談めかしてみる。
無論、那由多が言っていた「ゴールデンでマイナーなインナー」がどうのという説明は、まったくなんのことかわからない。
ただ、「ランクC」という事だけは柳も理解した。
ランクに関しては予め、那由多から説明を受けていたからだ。
ここで言う「ランク」というのは、特部――株式会社エスソルヴァ――が格付けした悪霊・鬼・悪魔と言った超常的な存在の強さのことらしい。
たとえば幽霊の類だと、ランクEでせいぜい念を送って悪夢をたまに見せる程度だとか、ランクBで実体を持って襲いかかって来るだとか……まあ、とにかくAが強くてEが弱いということのようだった。
転じて、どのランクの化け物を安定して斃せる力があるのかというのが、異能力者のランク付けにもなっているというのだ。
(まあ、そんなことはどうでもいい。問題はCだということだな)
超常現象を信じるわけではない。
しかし、現れた魔術師を名のる男がランクCだというのは問題なのだ。なぜなら、今まで行方不明になっている人物は、那由多曰く、みんなランクD以下だというのである。
唯一、ランクCだったのは、占い師の【ディーバ・秋山】だけだ。
ただ、このランク付けは大雑把なものらしい。そもそも同じランクの化け物でも、強さはピンキリらしいのだ。しかも、秋山のような占い師などの攻撃手段がないものは、別のランク判定らしい。だから、このランクというものにどれだけの意味があるのかわからない。
しかし、柳は
次に現れたのは、四〇過ぎであろう男だった。
魔術師とは対照的に、真っ白い外套を羽織っている。中世ヨーロッパ風のクリーム色をしたダルマティカを身につけ、胸元には大きめの十字架が揺れていた。右手には聖書を持ち、左手にはキャリー付きのかなり大きい黒い旅行鞄を引いていた。
「今度は神父さんか……」
「いんや、ちがうんよ。あれは、牧師」
柳は一瞬、那由多の否定の意味がわからず考える。
が、すぐに気がつく。
「あっ。プロテスタントなのか」
「そう。【森村】……なんとか。確か、エキュメニカル派の【日本救世教団】とかいうのに所属していたけど、独立して自分の教会を作るとかで、最近はかなり独自の布教活動していると聞いているんよ。たぶん、自分の教会を作るための資金稼ぎに来た、ってところかね。ランクはCだったと思う」
「C……」
それから、さらに一〇分ほど後。
タンクトップに革ジャン、そしてビンテージっぽいジーパンを着こなした、柳と同年代の女性が現れた。飛び抜けて美人ではないが、活発そうな短い金髪と、自慢げなラインを見せる大きめの胸が印象的だった。
しかし、そんな見た目よりも印象的なのは、その態度だった。なにしろ、第一声は全員に向かって「よお!」だった。一見、オカルトとは無縁そうな陽気さだ。しかも、早々にワインを瓶ごと豪快に飲みはじめた。大股で椅子に座り、酒をあおる姿は、どこかで見たことがある。
(そうだ。あれがワインじゃなくて安い日本酒の一升瓶なら、たまに行く飲み屋でよく見るオヤジにそっくりだ……)
「あれは妖術師の【
「よ、妖術師? そんなのもいるんですか?」
柳が訝しんだとたんだった。稲綱がまるで自分が呼ばれた事に気がついたように、柳を睨んだ。
もちろん、離れてかなり小声で話している。普通なら聞こえるはずはない。
「おや。地獄耳なのね」
那由多の言葉に、稲綱は少し肩すくめて視線を戻した。
「聞こえた……と?」
「妖術師は、妖怪を宿らせて体質を変えることができるんよ」
「ベムとかベラみたいに耳が大きくなるとか?」
「それは妖怪人間」
「よく知っているね、そんな古いアニメ」
「見たことはないんよ。ま、ちょっと地獄耳対策の呪いでもしておきましょうかね」
「……ともかく、ランクCと」
そして、間をあまり置かずに四人目が現れた。
二〇代半の、一言で言えば「チンピラ風」の男だ。開いた胸元に金のネックレスを光らせ、白のジャケットに真っ赤な革ズボン。柳から見たら、センスは最悪だ。
「あの派手なのは、超能力者で自称【
「なんだ、自称って? ……しかし、やっぱりいるんだ、超能力者も」
思わず柳は苦笑いする。
「ピョンピョンとテレポートして、サイコキネシスで銃弾を跳ね返して、あまつさえ謎のビームとか出しちゃったりするんだ?」
「そんなアニメみたいなのは……」
「ああ、さすがにいないのね」
「ランクCにはいないんよ。そういうのはランクAじゃないと」
「……いるんだ……」
「いると言っても、ランクAなんてわずかしかいないんよ」
思わず柳はうなだれてしまう。
そんなのいるわけがないのに、「いる」と言ってしまう那由多は重病だ。
「まあ、たとえランクCだとしても、超能力者ってやりあうと、一番やっかいな異能力者なんよ。結界で力を押さえにくい、霊気を出さない、そして呪文を唱える必要もない。ちなみにあいつは【ノイズメーカー】って別名を持っているんよ」
「ノイズメーカー? 雑音屋?」
「霊気の波動を捉えて乱す、サイコキネシス系らしいんよ」
「は、はぁ……」
そんなつもりはないのだが、さすがにうんざりした顔をしてしまう。
千歩譲って、物を動かせる念動力があったとしよう。しかし、それがどうして物ではない霊気を乱すことができというのだろう。とんでも科学にさえならない話で呆れてしまう。
そんな考えを那由多に読まれてしまったのだろう。彼女の顔に、どこか悲しそうな、あきらめたような笑みが浮かぶ。
「す、すいません」
柳は、慌てて頭をさげる。始めから、こういう世界だとわかっていたはずだ。決して相手を馬鹿にするために、ここへ来たわけではない。
「失礼な態度を……」
「いいんよ、いいんよ。すぐにわかることだから。まあ、ともかくさ。一番気になるのは、やっぱりランク」
「……ええ。この違いはなんでしょうね。それに、他にも気になることがあるんですよ」
柳は窓際に近づくと紺のカーテンを開けた。
そして小さい窓から外を覗く。
「あの駐車場なんですけど……あれ? また参加者かな?」
ちょうど木々の中から一台の白い車が現れ、この建物の正面に止まった。
那由多も一緒になって、窓を覗きこむ。
車種はスカイラインGT・Rだった。
後ろ姿を見る限り、リアスポイラーやマフラが純正っぽくない。エアロバーツまでついている。多分、車好きなのが乗っているのだろう。
そんな車に、どんな異能力者が乗っているのだろうと思っていると、開いたドアは後部座席の方だった。しかも、そこから出てきたのは、まだ中学生か高校生の女の子だ。
「あれは……まさか……」
那由多がその姿を凝視してから、まちがいないと大きくうなずいた。
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