第七節

第25話:普通の人間(一)

 多くの異能力者たちが部屋から出て行った後、問い詰めてきたのは、黒服のリーダーらしき男だった。

 上に立つ者のプライドなのか、錯乱するようなところはなく落ちついていた。しかし、部屋の中でもかぶったままの真っ黒なキャップの下では、困惑まじりの苦笑いを見せている。恰好をつけて微笑を浮かべれば、ニヒルに見えそうな二枚目顔も台なしだ。


「あの、こ、これ、なんかの冗談なんですか?」


 黒服の質問は、もの凄くよく理解できるものだった。まさしく、柳もそう尋ねたい。しかし、いったい誰に尋ねれば、自分が求めている答えを与えてくれるのかわからない。

 いや。少なくともここにいる者達は、それを与えてくれないだろう。

 だから、柳も黒服の求める答えを与えることはできない。


「残念ながら、冗談じゃないらしいんだ」


「じゃあ、本当にさっきのあれは幽霊……だと?」


 柳は稲綱が出て行った後、黒服たちに自分が警官であることを告白し、状況を簡単に説明した。

 説明は、我ながら酷かったと思う。

 なにしろ「この館には悪霊がいて、それを霊能力者たちが退治しているから、朝までこの部屋から出ないで欲しい。ここにいれば僕たちが守るから」と、まるで三流映画のような内容を言いのけたのだ。いくらすべてを説明するのは大変だからといって、こんな説明で納得するわけがない。そもそも、こんな荒唐無稽な話、未だに柳でさえ信じられないと思っているぐらいだ。


 しかし、意外なことに黒服たちから、嘲笑まじりの反論や、不信からの怒りの声など上がらなかった。むしろ信じているのか、怖がる者や青ざめている者もいるぐらいだ。先の幽霊のインパクトが大きかったのかもしれない。


(下手に反抗されたり、パニックになって騒がれるよりはましだけど、一般人の反応としてはこれで普通なのか? というか、何をもって普通と言うべきなのか、もうよくわからなくなったよ……)


「でも、刑事さん」


「――あっ。はいはい」


 黒服の声で、はまりかけた思考のスパイラルから柳は抜けだす。

 そして気がついてみれば、黒服がいつの間にか安っぽそうな折りたたみ椅子に座り、柳の左脇あたりを指さしていた。


「守ると言っても、その胸の銃で幽霊を斃せるんですか?」


 黒服の言葉に、柳は思わずスーツの上から左胸を押さえる。

 銃の話などしていないはずだ。


「いや。わかりますよ。上着が不自然に膨らんでいますし、腕の曲がり方とかも違いますからね。俺たち、サバゲーでおもちゃとはいえ、銃を持っていますので」


「あ、ああ。なるほど。……まあ、この銃は一応、実体のある悪霊とかには効果があるらし……いや。あるから大丈夫だよ」


 そう言いながら、柳は任せてくれと言わんばかりに左胸をかるく二回叩いた。

 指先にグリップ部分の硬い感触が伝わってくる。


 それはここに来る前に、三村から預かった武器であった。【エスソルヴァ】で開発され【協力者】に配られる、異能力がなくとも霊的ダメージを敵に与えることができる弾丸が装填されているものらしい。

 しかし、三村曰く「効果は、あまり期待するな」という頼りない言葉だった。その時は信じていなかったからかるく流していたが、今となってはこれは唯一の武器だ。それなのに「期待するな」は酷すぎる。


「それから、気になっていることがあるんですけど」


 柳のそんな憂色を気にもかけず、黒服が質問を続ける。


「さっきスピーカーから聞こえてきた男の声が、『ゲーム』と言っていましたよね」


「あっ。いや、それは……」


「なんか、さっきの刑事さんの説明だと、納得できないんですよ。もしかして俺たちは、何か変なゲームに巻きこまれた被害者ってことですか?」


 その黒服のリーダーの言葉を受けて、他の黒服たちも「そうなのか」「勘弁してくれ」「ゲームならすぐやめて」と騒ぎ出す。

 柳は慌てた。やはり説明が適当すぎたかと後悔する。


「違うんだ。ゲームというのは言葉のアヤに過ぎ――なっ!?」


 部屋中に響き渡る悲鳴が、柳の言葉を遮った。


 それは女性の声で、まさしく断末魔そのものだ。

 「キャー」でも「ウワー」でも「イヤー」でもない。なんと言っているのかは聞き取れなかったが、その悲鳴には苦しみと痛みを感じた。

 だが不思議なことに、その声の主は部屋のどこを見まわしてもいない。それは悪霊か何かの声だろうか。しかし、柳はその声に聞き覚えがある。


「ほむ。本当に悪趣味……」


 少し離れたところで、烏輪が呟いた。

 それはどういう意味なのか尋ねたくて烏輪を見つめるが、彼女は天井を仰いで視線を合わせてくれない。

 代わりに、烏輪の横に立っていた陽光と目があった。柳は、その視線で陽光に尋ねた。

 陽光が、その心意をすぐに読み取り答えてくれる。


「今のは【稲綱 めいら】さんの声ですね。私たちの恐怖心を煽るために、鬼どもが彼女を襲っている声を聞かせてきたのでしょう」


「……くそっ!」


 その事実を一度、頭の中で否定したが、否定しきれずに柳は怒声をあげた。

 そして、同時に扉に向かって走りだす。


「行くんじゃないよ! 柳禅ちゃんが行ってもどうにもならんよ!」


「それでも僕は、警官なんです。目の前で人が死ぬのを黙って見ていられません」


 思いを噛みしめるように、柳は那由多に告げた。


 自分が警官になりたいと思うようになったのは、子供の頃のヒーロー願望だった。テレビで見たヒーローの活躍、RPGの英雄伝、そんな幼稚なところから始まった動機だが、今もその根幹は変わっていない。


(見捨てられるか!)


 懐の唯一の武器に手を伸ばし、柳は部屋を飛び出していった。





「あーもう! あんなに熱血漢だったとは~」


 那由多は片手で額を抑えた。が、すぐに思い直したように前を見る。


「しゃーない。陽光君。悪いけど、ここは頼むんよ」


「駄目です。貴方はここを離れるべきじゃない」


 那由多がなにを言い出すかわかっていたようで、間髪入れずに陽光が拒否した。


「僕たちに長時間の結界は張れない。貴方はここで結界の保守をすべきです。九人もの一般人の命がかかっているんですから。その代わり、彼のところには僕が行きましょう」


 そう言いながら、陽光が持っていた刀の鍔をならす。


「それなら兄様も、ここに残った方がいいと思うの」


 その兄の腕に、烏輪が手をかるく添えた。


「結界に何かあった時、ボクじゃ九人も守る自信がないの。だから、あの人のところにはボクが行くの」


「だ、駄目だよ、烏輪。危険だ。あの妖術師もやられてしまったんだよ」


「彼女より、ボクの方が強いでしょなの」


 狼狽えてしまう陽光に対して、烏輪は冷静に淡々と語る。


「状況的に、ボクが行くのが一番いいと思うの。大丈夫。連れて帰ってくるだけなの」


 烏輪はそう言いながら刀を肩に担ぐと、さっそく扉に向かって歩きだす。


「分かったよ。烏輪、気をつけて」


「ほむ。……あ。それから、那由多さん」


「ん?」


「ボクがいない間、兄様を……」


「ああ。わかってるんよ」


「襲わないでなの」


「ちょ、ちょっと烏輪ちゃん!? あたし、そこまで非常識じゃないんよ……」


「ほむ。ならば、よしなの」


 深く頷くと、烏輪はまるで突風に吹かれたように一瞬で加速し、廊下へ駆けだしていった。


「ったく。人をなんだと思ってるんよ」


 那由多は腰に手を当て、烏輪を見送るように扉を一瞥した。


「……で、行かしてよかったん?」


 そして、気づかうように陽光を見る。

 同じように烏輪を見送っていた陽光は、ふりむくと「ええ」と答えて微笑した。


「烏輪の言うとおりですし、それに強いですから」


「強いって言っても、ランクCの……」


「いいえ。烏輪の潜在能力は、もっと高いんです。……たぶん、僕よりもずっと。……だから、仕方ないんです……」


「ん? なにが?」


「あ、いえ。なんでも……」

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