第53話:烏輪と柳(二)
こんな男に興味を持った自分が馬鹿だった。
烏輪は、そう深く後悔した。人を「小娘」としか呼ばない、こんな失礼な男から何を聞きたかったのかと、自分の愚かさを嘲層になる。
その怒りも八つ当たりのようにのせて、烏輪は九天の背中に言葉ぶつけた。
しかし、九天はふり向かない。
「確かに、【切】についてはよく知らん」
背中に殺気を感じているはずだろうに、飄々としたものだった。
暖簾に腕押し、というよりも、そよ風に向かって拳をふるっているように手ごたえがない。
「だがな、漢字の成り立ちは知っているぞ」
その上、突拍子もないことを言いだす。
お陰で、その風に烏輪の殺気も一緒に流れていってしまう。
「……な、成り立ち?」
「【切】の『七』に見える部分は、喉元に刃をあてていることを表しているそうだ。これは転じて身近という意味がある。大切、親切……『切る』とは別の意味合いだ」
「身近……」
「ああ、そうだ。すなわち、【切】には心を近づけるという意味がある。触れるほど近づくことで、刃の心、そして刃をふるう者の心を知る。境地に立ち、相手と自分の心を知る。言い方を変えれば、すべてを
「……そう……だけど……」
「なら、呼び出した力の心情を思いやり、シンクロしなきゃ、力を十分に発揮できないはずだろうが。しかし情を捨てている奴が、思いやれるわけがないから、十分に力を発揮できないのは当たり前じゃないのか?」
「むぐっ……」
理屈は納得できる。
というより、まるで目から鱗が落ちた気分だ。
なるほど、だからこそ【切】なのかと改めてうなずいてしまう。
確かに、自分はそこまで刀を理解していたとは言いがたい。刀の心、そしてそれをふっていた者の心を知ろうとしただろうか。それを知れば、確かに今よりも、力を引きだせるのかもしれない。
しかし、それを認めたくはない。
なんで自分が今まで気がつかなかったことを目の前の男は、いとも簡単に理解して、自分に説教までしているのか。悔しいことこの上ない。
それにもっと認めたくないこともある。
「……情なんてもっていたら、斬れなくなるの」
だからこそ、感情をなるべく殺してきた。
親しい友達も作らず、交流も避けてきた。
普通には暮らせないと諦めてきたのだ。
わずか一六年間とはいえ、自分の歩んできた道を否定されたくはない。
「とんだ、なまくらだ……」
だが、九天の言葉は冷たい。
「言ったとおり、『切』とは『喉元に当てている刃』だ。それは、近づきすぎて相手を傷つけてしまうかもしれない、相手を傷つけて自分も傷つくかもしれない。でも、真に相手の心に近づくためには、そんな『覚悟』が必要ということなんじゃないか」
「覚悟……」
「そうだ」
ふりむいた九天に、顔を寄せられる。
怒っているのか、それとも真摯なだけなのか、その鋭い目でまた見つめられ、烏輪は固唾を呑み、続く言葉を待つ。
「お前が『小娘』なのは、『覚悟』がないからだ。結局、お前は自分が傷つくのが嫌だから、単純に考えないようにして逃げているだけだ」
「そ、そんな……」
「そしてそれが、お前とお前の兄貴との違いだ。お前の兄貴は、単に割り切っているとか、あきらめているとかじゃない。あの目は、すべてを覚悟している。覚悟した上で、ぎりぎりまであがなう。覚悟している奴は強い。覚悟しているから、大切な人を傷つけてしまうかもしれない刀と、ぎりぎりまで心を近づけることができる」
「兄様との、違い……」
「――ってか、まあ、これは俺が適当に言っているだけだがな」
「……えっ!?」
突然、ふっと笑った九天に、烏輪は目を丸くする。
「適当……って……」
「そりゃそうだろう。さっきも言ったが、俺は【切】なんて知らん」
「知らんって……だったら、なん、で――」
「でも、お前と兄貴の刃の輝きに違いがあることはすぐわかった。それが覚悟の違いだってこともな。後は適当な推測だ」
「…………」
「それから、答えていなかったから答える。守りたかった者をその手にかけなければならなくなった時、それが救いになるなら、俺は迷わずに手にかける。そして次こそは、そんな事態にならないように、もっと強くなる」
「……それでも、また手にかけなくてはならなくなったら?」
「無論、手にかける。そして、さらに強くなる。叶えるために必要なら、何度でもくり返すさ。それが、俺の覚悟だ」
「…………」
急に烏輪は、自分を恥じた。
うつむいて、油断すると涙腺が揺れ動き、不要なものがこぼれそうになる。
カーッとこめかみ辺りまで血液があがり、赤面する。
なんと情けないのだろう。
なんと恥ずかしいのだろう。
この場から逃げだしたくなるのを必死にこらえるのが精一杯だ。
なんの言葉も出てこない。
目の前の男は、自分から自分に不利な世界へ飛びこんだきた。
そして、想いを成し遂げる努力を重ねてきたのだ。
一般人があれだけ戦えるようになるために、いったいどれだけの危険と苦しみ、そして失敗がそこにあったのだろう。
この男は、それでも戦ってきたのだ。
どんなに失敗しても、辛くとも、それをすべて背負って生きていくと覚悟して。
それなのに、自分はどうだろう。
幼い頃から、憧れの兄をめざしていたのに、それは上っ面だけだった。
「大事な物を失いたくない」という想いは、「守ろうとする意志」ではなく、「大事な物を作らないという意志」を選んだ。
それは九天の言うとおり、戦うことを放棄したようなものだ。
だからこそ、もっとも大事な兄を戦って守る事もできず、目の前の一般人の男に助けてもらってしまったのでないか。
「ボクは……」
烏輪は、九天から顔を背けて言葉を探す。
言い訳、怒り、哀しみ……どんな言詞も違う気がして、両手で顔を覆い隠す。
「ボクは……親友を、斬ったの。親友が、お、鬼になった、から」
やっと出てきたのは、思いだしたくない出来事の吐露だった。
自分でもどうしてこんな辛いことを話しているのか分からないが、言葉が喉の奥から吐き出されるようで止まらない。
「ボ、ボクは、斬りたく、なかった……の……。でも、それがボクの役目、で、兄様の力になるため、で……」
胸が苦しい。
自分の小さな乳房を服の上から引きちぎるぐらい強く握りしめる。
「だから、考えないようにした、んだ……彼女の、こと」
「ならば、今からでもいいから考えろ。相手の気持ちも、自分の気持ちも刻め。そして刻んだことは、次の大事な物を守る時に使え」
「つ、つらい………よ…………」
「当たり前だ。それでも、そいつの気持ちになってみろ。そいつのことを思いやってみろ。……死の間際、鬼からそいつの魂は、解放されたのか?」
烏輪は口を開けずに頷く。
鬼切の力で、早苗と鬼の魂は分離できたはずだ。
「なら、そいつは最後の瞬間、救われたはずだ。救われた瞬間、そいつの声が聞こえなかったのか? もし聞こえなかったのなら、お前がそいつのことを考えなかったからだ。考えろ」
あの瞬間を思いだす。
必要だから斬った。
だが、彼女を救いたかった気持ちのが強かったはずだ。
自分の願いは、彼女を救うことだった。
一方であの時、本当の彼女は何を考えていたのだろう?
本当にボクを恨んでいたのだろうか。
一緒に進学すると約束したのに、自分を斬ったボクに怒りを向けていたのだろうか。
彼氏の興味を惹いたボクを憎んでいたのだろうか。
生きていた時の彼女との会話。
彼女の性格。
魔がささなければ、鬼に狙われなければ、逆の立場なら……。
思いやることは、一般人でも異能力者でも関係なくできるはずだ。
ふと、脳裏に彼女の姿が浮かぶ。それは生前と同じ、明るく人なつっこい笑顔。
――ありがとう、烏輪。
その幻影がそう口ずさむ。
親しみのこもった声が、烏輪の中を通りぬける。
その瞬間、自分の涙腺が壊れたのかと思った。
まるであふれるように流れる大量の涙に
泣いた。
泣いた。
泣いた。
最後に泣いたのは小学生の頃のはずだ。
それ以来、泣いたことがない。
そのためか、どう泣いていいのかも良くわからない。
ただただ、声を抑えきれずに涙を流した。
それが、まるで許しとなるように、心がかるくなっていく。
(大好きだったの、早苗……)
――早苗も、烏輪のこと大好きだったよ。
懐かしい早苗の姿は、そう別れを告げると静かに消えていった。
もしかしたら、それは自分に都合がいいように考えたために聞こえた、ただの幻聴かもしれない。
でも、不思議な実感があった。
胸に突然、あたたかいものを感じたのだ。
「あとな、お前を連れてきた理由の一つは、『強い』と思ったからだ」
まだ泣きやめない烏輪の頭を九天の大きな掌が優しく二回たたく。
その温かい感触の為か、烏輪は自分の体温が急に上がったような気がした。
「つよ……ひっく…………つよ、い?」
咽ぶ言葉に九天はかるく頷く。
「お前が兄貴と同じように【切】を使いこなせた時、多分お前は兄貴よりも強くなる。そんな気がするんだよ」
「ひっく……にい、さま……よ……ひっく……つ……よく……」
その言葉は、ゆっくりと体の隅々まで伝わっていくような気がした。そして、力が全身からわいてくる感じだった。
(今なら覚悟ができる気が、するの……なんでもできそうな気が……)
強くなろう、そう決心できた。
それは自分のため。
兄のため。
そして今は、戦い方を教えてくれた九天のために。
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