第54話:烏輪と柳(三)

 絵画の扉を開けると、薄闇の中へ直線の廊下が数メートル延びていた。

 銃を手に進むと突き当たって右に曲がっており、その先に部屋があった。

 本来ならば壁に背をつけて、中の様子をうかがってから突入する……そんなシーンかもしれない。しかし、柳は大した構えもとらずに、おもむろに部屋の入り口に立った。


 とっくに山野は、侵入してきているとこに気がついているだろう。

 ならばなにかしてくるなら、隠し扉を開けた時にでもしてくるはずだ。罠こそ発動したが、その後になにもしてこないのはおかしい。今さら不意打ちなどしないだろう。

 それに今までの行動から、山野は非常に計画的に動く人間だ。じたばたするタイプではない。


 その推測は少なくとも半分・・は当たっていたようで、山野らしき男は薄暗い部屋で、こちらへ背を向けて座っていた。

 はずれた半分・・・・・・は、山野がこちらをまったく警戒していない様子だったと言うことだろう。

 柳が部屋の入り口に立っても、彼はこちらを気にもせずに隣りに立つ少女一人と楽しそうにおしゃべりしていたのだ。


「山野博士……【山野 直紀やまの なおき】さんですね?」


 柳の声で初めて気がついたように、「ん?」と応じて椅子がくるっとまわる。

 と、山野の容貌が確認できた。

 中央にある巨大モニターと、周囲にあるいくつかの小型モニターが皓々とした逆光を背負って、幽鬼のような表情が笑んでいる。


「おや。お客さんが来たようだぞ」


 眉が垂れ下がり、頬も緩んでいる、妙に幸せそうに笑顔。しかし、その眼窩からなにも感じない。まるで蝋人形のように感情が固定されているように見える。


(なんだ……この生気のなさは……)


 しかし、それよりもさらに不気味さを感じたのは、隣に立つ少女だった。

 その面相はまちがいなく絵画の少女、すなわち【山野 直美やまの なおみ】なのだが、その表情は笑顔のままで固まっている。こちらは蝋人形どころか、お面をかぶっているかのようだった。

 さらに言えば、その容貌は死んだ当時一〇才前後のままである。


(絵の中から抜け出したみたいだ……)


 先の絵画で首がなくなったシーンを想いだしてしまい、柳は大きく身震いする。だが、恐怖に囚われてはいけない。それは怪異の存在を有利にする。先ほど学んだばかりだ。

 背筋を伸ばして柳は鎮静をもって開口する。


「山野さん。娘さんが帰ってきたようですね」


「おお。そうなんだよ! 長年、この日を待っていたから本当にうれしくってね」


 ほんの少しだけ、山野の眼窩に光が揺れて、顔に赤味が浮いた気がした。


「誰だか知らないが、一緒に娘の無事を祝ってくれるかね? そうだ。あとで直美の作った料理を一緒に食べさせてあげよう。美味いぞ」


「いいえ。それはできません」


 そこで初めて、柳は銃口を山野に向けた。


「山野直紀、あなたを逮捕します」


「逮捕? 私が何をしたと?」


「多くの異能力者たちを死に追いやりました」


「ん? 死に追いやった事などないよ。彼らはみな協力者だ。娘を取りもどすためのね」


「……ともかく、僕と一緒に来てもらいます」


「冗談ではない!」


 一歩踏み出した柳は、博士の剣幕に足をとめてしまう。

 蝋人形に生命が宿ったように、その表情へ活力がわいている。


「やっと直美と一緒に、また暮らせるようになったんだ。もう私は直美から離れない!」


 鬼気迫る勢いに、柳はまた怯んでしまう。

 と同時に柳は、別の異常に気がついた。


「あなた……右脚……」


 椅子に座った山野の膝から下の右脚がなくなっていた。

 しかも、切り口にはなにも治療を施していない。そこから滴る大量の血液は、椅子の下に真っ赤な円を作っていた。これだけ血を流していれば、普通ならショック死してもおかしくない量だ。


 しかし、蒼白なままで、山野は果報を得たようにまた笑って答える。


「ああ。直美が食べたいというものだからね。ずっと眠っていたから、お腹が空いたんだろう。私は脚などなくても、どうせもうここから動くつもりはないしね」


「パパ……直美、またお腹空いた。そっちの脚も食べていい?」


 表情が変わらないままだが、とても無邪気な愛らしい声で直美がねだる。

 その様子に、山野は嬉しそうに頷いた。


「あはは。直美は食いしん坊だな。いいよいいよ、食べなさい」


「ありがとう、パパ!」


 直美が血だまりへ、ベチャと座りこむ。と、残っていた勢いよく山野の脚に噛みつく。

 その様子は、まるで肉食獣が獲物の肉を貪っている様そのものだ。


 山野からあがる叫喚。


 しかし、まるで強制されているかのように、表情は笑顔のままで固まっている。

 さらに山野の脚を貪る少女。

 その異様な様子に、柳は声も出ずにかかたまってしまった。恐怖に飲まれるななど無理な話だ。そう簡単に慣れやしない。


「あの少女は鬼なんよ」


 那由多が、ボソッと口を開く。


「それに、もう山野の魂はあの鬼に囚われている。オモチャにされてるんよ。もう肉体的には死んでいる……」


 結局、この男の末路も同じだったのだ。娘を失った上に、いいように利用されて悪行を重ねて、望みも虚実で終わり、最後は不条理な力に喰われて消える。


(ないものを求めたことが罪だったのか。それなら自分もすでに道を――)



――シャン!



 那由多の錫杖の頭についた一二個の遊環ゆかんが、澄んだ音を響かせた。

 とたん、少女の形をした鬼が、びくっと身構える。

 その血だらけの口元をこちらに向けるが、すでに人のものではない。

 牙が上下に生えて、口は異様に大きく裂けていた。


「まずは、あの小鬼を退治しようかね」


 左手に錫杖を持ったまま、那由多が胸元に右手を差しいれた。

 そこから出てきたのは、仏具でよく見る三〇センチぐらいの金剛杵こんごうしょと呼ばれるものだった。

 両先端に三つに分かれた刃がついている。


(三つだから、三鈷杵さんこしょだったっけか?)


 柳がその名を思い浮かべている内に、那由多がそれを眼前に構える。


 少女の姿の鬼も、ちぎった脚を食べるのをやめて立ち上がり、那由多の方をじろりと睨む。

 口は元の少女のものに戻っていたが、その瞳の色はまるで輝きがない。


「ねぇ。パパ」


 瞬間的に、顔の向きが一八〇度変わる。体はまったく動かずに、こちらからは少女の三つ編みに束ねられた後頭部しか見えなくなっていた。


「あの人たちも食べていい?」


「……ああ、もちろん。好きにしていいよ」


「ありがとう、パパ!」


 そのまま首の皮がゴムのようにねじれながら、三六〇度回転する。

 那由多に向いた顔は、口元を中心に血まみれとなったまま微笑していた。


「ハンッ! 喰えるものなら喰ってみな!」


 那由多の売り言葉に反応したように、少女の口がガバッと開いた。


 舌が槍のように伸びてくる。


 三鈷杵を構えた那由多が、それを迎え撃つ……はずだったが、それはできなかった。


 柳が体当たりするように、那由多を横から体ごと押しやったのだ。

 攻撃は避けられたものの、那由多はバランスを崩して横に転がってしまう。

 それでもすぐに体制を立て直して構えを取った。

 そして、鬼を警戒しながらも柳を睨みつける。


「何するんだい!」


「ちょっと待って、那由多さん」


 柳の叫びに、那由多が長い眉をさらにつり上げる。


「待つって、まさか見のがせとか、言うつもりじゃないでしょうね!」


「違いますよ。武士の情けです」


 憤る那由多から目を離して、柳は銃を構えた。


「オカルトなんかにつきあわず、できることなら……逮捕したかったんですよ」


 柳は呟きを終えるか終えないかのタイミングで、引き金トリガーを絞った。


 本当に自分でできるのか、自信はなかった。

 ただ、引く瞬間に九天にいわれた言葉――助けたいなら迷うな――を思いだしていた。


 銃弾は、見事に山野の眉間を貫く。


 鉛玉を喰らった頭は一度、後ろに弾かれた。

 同時に全身を一瞬だけ痙攣させた。

 その後、瞼を開いたままの顔は、やはり笑顔のまま固まって、斜めに傾いた。

 完全に全身が脱力した。


 そこまでの様子が、まるでスローモーションのように柳の瞳に映り、そして脳裏に焼きついた。

 その様子を瞬間的に回想することで、やっと「自分が殺した」と実感した。


 予想外のことだったのか、少女の鬼も動きをとめていた。

 そして那由多も、柳の顔をなにか言いたそうに見ている。

 柳は強がって笑顔を見せようとするが、どうしても口元がひきつる。もしかしたら、先ほどまでの山野と同じような顔をしているのかも知れない。

 そう思いながらも、なんとか開口する。


「いくら偽物でも、二度も自分の娘が死ぬところを見せることはないでしょう」


 その言葉に、那由多が顔をほころばせた。


「……柳禅ちゃん、優しいんねぇ」


 そしてすぐに那由多は闇より理黒い双眸を輝かせ、深緋こきひべにを引きしめる。


「そんじゃ、あとはあたしの出番だね!」


「おねがいします」

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