第四章 ~結~

第一節

第55話:妖刀使い(一)

 その扉は、鉄製の扉だった。

 表面のクリーム色の塗装は、所々に何かがぶつかったような傷で剥げていた。取っ手には鍵がついておらず、その代わりにドアの上部と下部にサムターンがついている。反対側から鍵は掛けられないし開けられないタイプだ。

 逆に言えば、外から施錠する必要がない場所につながる扉。

 そして、階段を登った突き当たりにある扉。


(この先は、屋上……)


 もちろん、迷宮と化したこの場所では、その通りになるとは限らない。

 しかし、烏輪には予感があった。

 この先は屋上で、そして彼女が待っていると。


「……行くぞ」


「ほむ」


 重そうな扉を九天が開ける。

 はたして烏輪は、自分の予想が見事に当たっていたことを知る。


 しかし一方で、予想を遙かに超える風景に圧倒された。

 烏輪、そして九天も息を呑むように、短い驚愕の声をもらしてしまう。


 コンクリートの屋上の床が、建物の端の方でせり上がっていた。それは途中から残映ざんえいのような空と境界線なくつながり、球になってこの場所を包んでいるかのようだった。

 さらに正面六〇メートルほど先にある、せり上がった床と空の間には、黒い穴が空いている。

 まるでそこだけ切り取ったような、直径二〇メートルほどの闇の真円は、とてつもない不安感を煽ってくる。

 じっと見ていると吸いこまれそうで、近づくどころか見ていることさえ抵抗感を感じてしまう。


 しかし、その不気味な黒い穴の前に、平然と立つ姿があった。


 黄昏・・の空は、その「誰そ、彼は」の意味通り、その人物の顔を見分けにくくする。

 しかし、烏輪には分かっていた。黄昏時たそがれどき、すなわち大禍時おおまがどきにいる妖しきものは、烏輪の敵となる者だ。

 そして今の敵は、彼女しか考えられない。


「お久しぶりなの、夕子さん」


「その変なしゃべり方、なおってないのね」


 烏輪の挨拶に答えるように、彼女はゆっくりと近づきながら、老婆に見せるためのローブを脱ぎ捨てた。黒いティーシャツに、黒いやわらかそうな生地のズボン姿は、まるでパジャマのようだ。昔のようなおしゃれさの欠片もない。

 しかし、紛れもなく行方不明になっていたはずの【七藤 夕子】だった。

 容姿で大きく昔と違うのは、茜色を美しく返していたボブカットが、スポーツ刈りのように短く切りそろえられていたことだ。しかも、かなり乱雑に。


「自慢の髪、切ったんですね」


「ええ。変装するのに邪魔だったから。老婆の変装、なかなかだったでしょう?」


 確かに、かなりこった特殊メイクだった。毎日のようにあれだけ顔を変える手間を掛けるのは、並大抵のことではないだろう。おでこや目尻の皺、輪郭を隠すための垂れた頬など、今の彼女とは大きく違う。


「最初、まったくわからなかったの。ずいぶん背の高い老婆だとは思ったの」


 改めて烏輪は、夕子の顔を見つめた。

 白夜に似た切れ長の二重瞼も、程よい大きさの唇も、二年前とはなんら変わらない。しかし、あれだけのメイキャップをくり返していたのだ。ここからかでは分からないが、あのきめ細かかった肌は荒れているのではないだろうか。


「スキンケア、大変そうですね、なの」


「ふふ……まあね」


 烏輪は夕子と微笑を浮かべる。


「……さあ、本題に入りましょうよ。スキンケアのことなんかより、もっと聞きたいことがあるんでしょう? なぜ、わたしがこんなことをしたか、聞きたいんじゃないの?」


「ほむ。それはもう、わかっているの」


 今の烏輪は、妙に落ちついていた。

 老婆の正体が夕子だと気がついた時には、多くの疑問と迷いがあった。しかし、先ほど九天の前で泣くという恥ずかしい姿を見せながらも、いろいろな事を考えたおかげだろうか。迷いが消え、疑問――というより、否定していた解答も肯定することができていた。


「狙いは、兄様と私の任務失敗による、死。そのために、ずいぶんと大がかりな仕掛けを作ったみたい、なの」


「……本当だ。烏輪ちゃん、ずいぶんと頭良くなったのね。って、もう高校生だもんね」


 心底驚いたように、夕子は茜を含んだ黒目をまん丸にした。


「そうよ。疑われないように、あなたたちを誘いださせる手段。そして、あなたたちが死んでもおかしくないぐらいの事件。用意するのは大変だったわ」


「ほむ。そのために、あの博士を利用したの。そして多くの犠牲者をだしたの。酷いことを……」


「真に宗主になるべき、白夜お兄様のためですもの。なんでもするわ」


 罪悪感の欠片も感じさせず笑顔で語る夕子に、烏輪は内心で動揺していた。

 想像はできていた。白夜は陽光と決着をつけられないまま、宗主になることができなくなった。そんなこと、白夜を異常なまで慕う夕子に、我慢できるわけがない。


 しかし。


 しかしだ。


 それでもまさか、本当にこんな事をするとは、どうしても思えなかったのだ。

 だから、眼前で平然と己の罪を語る彼女の姿を受け入れがたい。


「聞きたいことが二つ、ある」


 それでも、烏輪は表面上に動揺を見せない。感情を隠すのは慣れたものだ。普段通りの声で、烏輪は夕子が持っていた刀を指さして訊ねる。


「それ、本物の村正?」


「ええ。一応ね」


 夕子が村正を正眼に構えて見せた。


 烏輪は、それを霊視する。

 【切】を使用している様子はない。それでも、小刀からは恐ろしいほどの霊力を感じさせる。

 だが一方で、美しく研がれた刀身なのに、ほとんど光は返していなかった。

 まるで光を呑みこんで、闇の力を放っているように見える。


「見つけた時はね、村正と言っても、力のない刀だった。でも、【切】を使って妖刀の力を宿らせ、霊気を吸わせまくったの。おかげで、本当の妖刀になってくれたわ」


「殺した霊能力者たちの、霊気……」


「わたしは、殺したりしていないわよ。吸ったのは、死んだ・・・霊能力者たちの霊気。その吸った霊気のほとんどは、この霊道を開く為、山野の装置に分け与えていたけどね」


 そう言いながら、夕子は背後を親指で挿した。

 そこにあるのは、すべての光りを呑みこむ闇の真円。要するに、あの穴の先は黄泉の国で、【黄泉比良坂よもつひらさか】がつながっている場所ということなのだろう。

 だが、今はあの穴から、常世の住人が出てくる様子はない。


「七藤家において、村正は禁忌。どこで手に入れたの?」


「もらったのよ」


「誰に?」


「山野を紹介してくれて、段取りまで考えてくれた……そうね、支援者と言っておけばいいかしら。山野の研究も支援していたらしいけど」


「支援者……」


「白夜お兄様の方が適任だと、そう思っている人は多いってことよ」


「……ほむ。ならば、もう一つ。なんで、あれ・・があそこにあるの?」


 烏輪は、黒い穴の目の前にある台を指さし訊ねた。


 台は、テーブルらしき物に白い布のかかった程度の簡単なものだった。

 その上に、刀掛台におかれている。

 問題は、そこに横たわっているものだった。

 それは、烏輪もよく知る一振りの太刀。

 二年前に盗難に遭い、行方不明になっていた七藤家の宝刀。

 陽光がもらい受けるはずだった宗主の象徴。

 そして、夕子の兄である白夜が探し回っていた物。



――【小烏丸こがらすまる】。



 離れたところにあり、細かい様子は分からないが、烏輪は何物にも代えがたい存在感をその太刀から感じていた。あれはまちがいなく、小烏丸だ。


「お兄様には申し訳ないけど、わたしが盗ませてもらったわ」


 待っていましたと言わんばかりに、夕子が声をひときわ高くして語りだす。


「あのままだと、陽光君が宗主になる儀式が行われちゃうでしょう。それにこれを使って、お兄様が宗主になるための事件を起こせるんだもの。一石二鳥よ」


「事件を起こせる?」


「知っているでしょう。小烏丸は常世と現世を渡ることができる、八咫烏様の分身。黄泉戸を開く為の鍵となる」


 確かにそんな伝承は聞いたことがある。

 しかし伝承には同時に、八咫烏の力を使うための条件もあったはずだ。


「夕子さんが、抜刀できたの?」


 小烏丸は、抜刀できない太刀だった。鞘から抜けないのだ。

 正しくは、「選ばれた者しか抜刀できない」と伝わっている。まるで、ファンタジーに出てくる聖剣のような話だ。

 しかし、抜刀できたのは、直近で六代前の宗主だけで、それ以降は誰一人として抜刀できたものはいないという。むしろ、その六代前の「抜刀できた」というのも伝承上の作り話で、小烏丸は鞘から抜くことができない飾り用の太刀だという説もあるぐらいである。


 しかし、それでも烏輪は、陽光なら抜刀できると信じていた。だから、夕子に尋ねながらも、「抜刀できたわけがない」と心で自答していたのだ。


「わたしなんかが、抜けるわけないわ」


 烏輪は夕子の返答に「やはり」と納得する。

 が、その心情を読まれたのか、夕子の柳眉が少しつりあがり、愛らしい尖り口になる。


「もちろん、陽光くんにも抜けやしないわ」


「……陽光兄様なら、抜けるに決まっているの」


「バカ言わないで。小烏丸に認められるのは、白夜お兄様しかありえないわ」


「陽光兄様しかいないの」


「白夜お兄様よ!」


「…………」


 二人は、そこで思わずふきだす。

 昔と同じだ。変わっていないんじゃないか。

 これならもしかしたら……。


「わたし、あなたのこと結構、好きだったのよ」

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