第67話:暴く者と暴かれる者(五)
かるく瞳を閉じて烏輪はかるく深呼吸した。
そして、力強く命じる。
「成れ……」
それは今まで見た、どんな手品よりも衝撃的だった。
スティックが一瞬で花束やハンカチに変わる手品などはよく見るが、変化の仕方が違う。
黒い羽根が寸陰の間を置かずに膨れあがったかと思うと、次の瞬間には一振りの太刀に変わっていたのだ。
「――なっ!」
朱色の地に金色の細工が施された鞘に、真っ黒な鍔と連なる柄が見えている。
その存在感は凄かった。霊能力者ではない柳でさえ、それが輝いて見えるぐらいだ。しかも、ただ神々しいだけではない。まるで鳴動する心音まで感じるような「生」がそこにあった。
「こ、小烏丸……」
「そ、そんなはず……」
陽光と白夜の驚愕をよそに、烏輪が柄を握りしめる。
「まさか……」
「冗談だろう……」
烏輪が、その柄を一気に引き抜く。
その迫力ある姿に、柳は腰を抜かしそうになる。
「な、なに、その刀……」
漆黒だ。刀身が美しいまでの漆黒なのだ。しかし、黒いながらも朝日をしっかりと反して、きらきらと音を出しそうなぐらい輝いている。
そこに、真紅のラインがまっすぐ走っている。それはまるで血管のように鼓動を感じさせていた。
「こ、小烏丸が抜けた……」
陽光の表情は複雑だった。
目玉が落ちそうなぐらい見開きながらも、口元はなぜか笑っているように見える。
「うそだ……」
それに対して、白夜はただただ信じられないという表情だった。
見開いた眼窩が沈みこみ、今にも泣きだしそうで、口は軽く開いてわなわなと震えていた。
「うそだ……そんなバカな……」
その白夜の声を聞いたのか、烏輪が刃を下段に構える。
「
素早い動きで斬りあげて、上段でひるがえすと同じ軌道で斬りさげる。
柳はその速さについていけなかった。
ただただ、その迫力の凄まじさに圧倒された。
まるで黒き刃は風を断ち、虚空を斬り裂いたかと思った。
だが一呼吸後に、それが大袈裟じゃないとわかる。
まるで風船が割れたように空気が振動し、耳鳴りが響いたのだ
「嘘だ……。力が弱まっている中で、結界を斬ったっていうのか……。本当に秘伝を……」
先ほどまでの不敵な態度が嘘のようだ。
白夜の顔が悲啼で歪んでいる。
「嘘でもなんでもない。正真正銘、小烏丸――【Black Blade】の使い手で、もう一人のBBというわけだ」
九天の言葉は、白夜にとって死の宣告のようだったのだろう。
彼は美しい顔を歪ませて、その場に両膝をつく。
「な、なぜ……私でも陽光君でもなく、烏輪ちゃんが……」
「二人とも、ごめんなさいなの」
烏輪が、深々と短髪の頭をさげる。
「小烏丸……八咫烏様がボクに言っていたの。小烏丸は、もうボクにしか使えない、って。ボクは宗主になるつもりはないの。でも、小烏丸と共に行くと、ボクは覚悟したの」
烏輪が、苦しげに言葉を吐きだした。
結界にいる間に、柳は陽光から小烏丸のことは聞いていた。
小烏丸は、宗主が持つという決まりがあるわけではない。また、宗主の証が小烏丸というわけでもない。ただ、抜けない剣は、慣習的に宗主就任時に渡されることになっていた、というだけらしいのだ。
それは確かに証ではないが、立派な象徴だと言えるだろう。
陽光と白夜も、小烏丸を携えることが、宗主となる夢の姿でもあったはずだ。
「あはは……あははははは! こいつは傑作だ! なあ、陽光君。私たちは、鳶に油揚げをさらわれる間抜けなコンビってわけだ。うはははは……」
白夜の狂ったような笑い声が山彦を伴い、この四方山の隅々まで響き渡るかのようだった。
しかし、その目を見ていると号泣しているようにも見える。
いや。その心はどうしようもない虚しさで泣いているに違いない。
柳には、その心が見えるようだった。
ならば同じ立場の陽光は、どう感じているのだろうか。
柳は、陽光を横目でうかがう。
しかし、その表情は柳の予想とは、まったく違っていた。
幼さをわずかに残しながらも美しい顔は、まるで捜し物をやっと見つけたような安堵の顔で、朝焼けの空に向いていた。
「僕は、なんとなく予感があった……」
陽光が独りごちるように語った。
「昔から感じていたんだ。烏輪には僕よりも強い眠った力があり、それが目覚めれば小烏丸でさえ扱える、そんな予感が……」
「兄様……」
「でも、本当はそれを抜いて欲しくはなかった。それを抜けば、もう普通の生活はできなくなるから。烏輪には……普通に生きて欲しいと思っていたんだ」
「大丈夫なの、兄様」
烏輪は静かに首を横にふった。
「これからボクは、できる限り普通の生活をしてみるつもりなの。もう、ボクは恐れないの。どんな壁も、
言葉の最後で、烏輪は九天を一瞥した。
下衆の勘ぐりは的外れだろうが、九天との間で何かあったことはまちがいない。
烏輪が生き方を変えるほどの意識改革を九天は起こしたのだ。
おかげて彼女は、一皮むけた大人の雰囲気さえ漂わせている。強いのに、今にも折れそうで助けてあげたくなる最初のイメージはもうない。若木がいつのまにか、根のしっかり張った大木に成長したかのようだ。
多分、それは陽光も感じている。
陽光が、愛情あふれる微笑で烏輪の肩に手を添えた。
「それは君の物だよ、烏輪」
「――ダメだ。渡さない」
白夜がゆっくりと立ちあがる。
その顔には、すでに喜怒哀楽がなくなっていた。
なにかを決意し、それしか見ていない強い意志の瞳がある。
「やはり君たちには死んでもらう。夕子の死を無駄にしないためにも。それに烏輪ちゃんが死ねば、継承者が変わるかもしれない……」
「あきらめられませんか、白夜さん」
「無論!」
陽光の言葉を薙ぎはらう勢いで、白夜は下段に構えた。
柳にも感じるぐらい、ぶわっと殺気が膨れあがる。
「ならば、僕が相手になります。あの時の決着をつけましょう」
陽光からも同じ気配があがる。
「……そうだな。はっきりさせよう!」
白夜の言葉を皮切りに、二人の剣戟がはじまった。
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