第50話:壁を越える者たち(四)
「この壁の向こうに行きたいんだが……」
「でも、隠し部屋なんて、本当にあるんの?」
階段に腰掛けた那由多の問いに、柳は目の前の絵画を探りながら答える。
「さあ? さっきも言ったでしょう。刑事の勘ですよ。あくまでね」
「もう。そんな勘のために、つきあわせられるこっちの身にもなってほしいんよ」
「別につきあってくれとは――」
「な・に・よ?」
「いえいえ。別に」
那由多のつり上がったきれいな眉に、柳は固まった笑顔で返した。
しかし、揺れる胸の前で腕を組みながら、那由多は少し不機嫌そうだ。
仕方ないのだ。半分は、本当に単なる勘なのだから。
黒服と烏輪たちが出発した後、桃の結界の中でいろいろなことを考えたのだ。今まで聞いてきた情報、そして目にしてきた物を思いだしていた。なにか見逃していることはないのかと。
その時に、ふと気がついてしまったことがあった。そうしたら、どうしても確かめずにはいられなくなったのだ。だから、たとえ一人でも進もうと決めた。オカルトは専門外だが、刑事としてやれることが、まだあるはずだ。
幸い、九天が部屋を出る前に言っていた。玄関ホールまで結界代わりに桃を配置していくと。その副産物として迷宮化を固定してくれるから、なにかあって逃げる時は桃を辿って玄関に迎えと。
その理屈はよく分からないが、要するに桃の後を追っていけば、玄関ホールまで迷わず進めるということだ。ならば、柳が
実際、
「確かに、こんな大きのは珍しいんけど、この山野の娘の絵画のなにがそんなに気になるっていうんの?」
二階と一階の間の踊り場に、金色のツタのレリーフでできた額縁。そこに飾られている、赤いドレスを着た一〇才ぐらいの少女の絵。それは、やわらかく微笑みながら立っている全身像だ。桜の木の根元に立ち、舞い散るピンクの花びらに飾られていた。かわいらしい少女が微笑ましい、どこか郷愁が漂う絵柄だった。
「この絵、この子が死んでから描かれた物だと思うんですよ」
話ながらも柳は、絵の周りの壁をずっと探っていた。壁を丁寧に指の腹でなすり、穴が空くほど観察していく。確信があるわけではない。しかし、ここに「何か」がある気がしてならいのだ。
「なんで、そう思うんよ?」
那由多の質問に手を止めて、柳は改めて絵を眺めた。
「これ、でかいですよね。こんな大きい絵、何かの記念じゃないと普通は描かないんじゃないですか?」
「一〇才の誕生日とかじゃないの? ちょうどそのぐらいに見えるんよ?」
「でも、この子の資料を見ましたが、誕生日は八月なんですよ。桜の木はおかしい。それにこの子、立っているでしょ?」
「それが、どうしたんよ?」
「このぐらいの幼い子に長い時間、立たせたままでモデルをやらせるのって辛そうじゃありません? 普通、椅子に座らせると思うんですよね」
「……まあ、ね。だけど、毎日少しずつ描いたのかもしれんよ」
「かもしれません。でも、なんとなくこれ、写真から描いたんじゃないかなって思ったんですよ。そして、わざわざこんな絵画を描くのに写真から起こしたのは、本人がいなかったからじゃないかと考えたんです。だって、一緒に描いてある桜の木ですけど、この辺りに桜の木なんてないし、こんな丘もありそうにないですしね」
「……確かに……ないかもしれないけど」
「あとね。ここ、夕日が差しこむんですよ」
「……?」
あからさまに眉を顰めた那由多に、柳は責められる。その切れ長の双眸が、「なにわけのわからんこといってんの」と告げてきている。
仕方なく、柳は苦笑いを返す。
「だって、直射日光が当たるところに、大事な絵画は飾らないでしょ、普通。傷んじゃいますからね」
「ああ。そういうことね。……つまり、死んだ後に絵を描かせて、わざわざここに飾った意味があるってこと?」
「ええ。そう考えると、わざわざ桜の木と合わせたのも意味があるはず。桜の木の下には死体が埋まっている……なんて話がなんかでありましたよね?」
「……桜の桃色が、血を吸って普通より赤くなるとか、そんな怪談も聞いたことがあるんね」
「死体から血を吸いとって別の生命に宿る……再生とか転生という意味……かな?」
「もともとが作り話だから、わからないけんどね。もしかして、単に好きだっただけかもしれないんよ」
柳は「そうですね」と答えてから、また絵の額縁を調べ始める。
「まあ、それよりも決定的なことがあるんですよ。ここ、一階と二階の間が妙に空いているんです。外から見たとき、建物全体だと3階建て分ぐらいありました。それなのに、この壁の向こう部分、一階と二階を覗いた時に、この位置に部屋らしき物がなかった。つまり、空間的に空いていることになります。で、娘と隠れるなら、罠を張った危険な地下からも、地獄の入り口から離れた場所ということかもなって。だって、やっとの思いで、娘を連れて二人で……あっ!」
壁を探りまくった後、額縁の裏に指を回したところで、柳の指先に何か違和感が触れた。何気ない溝と稼働しそうな感触。
それを柳は、かるく押しこんでみる。
シャカッという軽快な音と共に、壁の一部が開いた。
「ほ……本当に何か出てきた……」
驚いて近づいてくる那由多をよそに、柳はそれを観察する。壁の中にあったのは、灰色をした無粋なデザインのテンキーと、四桁だけ入れられる赤いLEDパネル。それはまるで大きな安物電卓のようだった。
そしてテンキーとLEDパネルの間には、LOCKと書かれ、横に赤いLEDが慎ましく光っていた。
「てっきり、指紋認証とかICカードとかぐらいは、くるかと思ったんだけど。まあ、お陰で予想はつくけどさ……」
柳は迷いなくテンキーで四桁を入力する。最初に試すならばこの数字だろうと、ピンときた4桁。
そして【認証】と描かれたボタンを最後に押すと、小さなカチッという機械音と共に、LOCKの赤いLEDが光を失った。
「解除された……って、なんの数字を入れたん?」
「娘の命日ですよ」
さらっと説明すると、那由多の目が面白いほど見開かれる。
「……さらっと言うんのね。さっき誕生日とかも覚えていたみたいだけど、まさかいろいろと暗記してきているんの?」
「そりゃあ、知りえる限りは当然ですよ。もしかして、那由多さん。僕を
「いんや。そうじゃないんけど……三村さんみたいに手帳もあんまり使わないし」
「僕、記憶力は自信ありましてね。一回覚えれば、忘れません。それに頭に入れておかないと、情報を有機的に結びつけられないですからね……っと」
口を動かしながらも、壁を額縁ごと手前に引っぱってみた。
額縁は異常なほど、壁にしっかりと固定されている。しかも、額縁の周囲は、壁から少しだけ空間が空いていた。まるで指をここにかけてくださいと言わんばかりに。
だから、柳は素直にそこに指をかけて引いてみた。
壁は額縁の天辺から床までが素直に動き、ドアのように左へ開いてく。
(素直すぎだな……)
――と、嫌な予感が訪れた直後だった。
それは当たってしまう。
額縁に掛けていた手に、ねっとりとした生暖かい感触を感じる。
同時に、那由多の恫喝に近い声があがる。
「柳禅ちゃん、さがって!」
言葉には反応できなかったが、柳はその手についた物を見て「ひっ!」と小さく悲鳴をあげて飛び退いた。
それは、ブラックベリーのような色をした液体だった。だが、それは粘度があり、不快を柳に味あわせる。そうこの感触は、つい最近、触った記憶がある。
(血……なんで?)
生暖かいそれがどこから来たのか、柳は絵画に目を向けた。
額縁の上から下まで、赤に染まっていた。無機質だった金のツタは、まるで血管のように有機的になり脈動を始めている。
(なんだこれ……って、イテッ!)
今まで感じたことのない痛みが、血のついた左手に走る。
「……えっ?」
自分の左手を見たとたん……いや、左手を見ることはできなかった。
手首から先が骨を残してまるで溶けるようにしてなくなっていたのだ。
それどころか残っていた骨さえも、目の前で溶けていく。
その浸食はとまらない。
まるで腐って自重に耐えきれず落ちていくように、半解けになった肉と骨がボトボトと音を立てて床に積み重なっていく。
血さえも噴きださず、先ほどと同じブラックベリー色に変色しながら、活力なく垂れていく。
「――うっ、うわあぁぁぁっ!」
痛みよりも、その現実に柳は絶叫を上げ続けた。
もう左手の存在感は、一切なくなくっていた。
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