第五節

第22話:黒札の魔術師

 魔法の基本は、「流れ」を理解することである。


 力の流れ。


 時の流れ。


 事象の流れ。


 それらを把握し、その「流れ」をコントロールすることで、超常的な結果を得ることができる。

 魔力の法則【魔法】の第一段階だ。

 次に、呪文や魔方陣のような方程式に、魔法を当てはめて合理的に利用する技術を身につける。

 それが魔法の技術【魔術】という神秘の力となる。


 その「流れ」の基本となるものが、【生命の樹セフィロトのき】である。一〇の球体セフィロトとそれをつなぐ二二の小径パスからなる図形で、すべての「流れ」の基本はそこに表されている。


 魔術師【アゼル・元木】は、別の術師に頼んで、その図をマントの裏に刺繍していた。こうすることで、自分の中の力をコントロールしやすくできたのだ。また、彼は魔方陣が描かれたカードをいくつも持っていた。


 魔術を行使する時、実はいろいろな手間がかかる。方角を確かめ、土地を確かめ、魔方陣を描き、呪文を唱える。最低でも、それだけのことをやらなくてはならないのだ。場合によっては、生け贄や、薬剤も必要となる。

 もちろん、普段はそれでもかまわない。敵対者を攻撃するのに、アニメのようにビームチックな魔術を敵の目の前で撃つ必要はない。安全なところから、呪い殺せばいいのだ。


 しかし、それでは対応が間に合わない時がある。目の前に、危険が迫っている時だ。

 そんな経験が何度かあった彼は、普段からカードを持ち歩いている。魔方陣の描かれた羊皮紙が貼ってある真っ黒なカードだ。これを利用すれば、少なくともいくつかの作業ステップを減らすことができる。

 特に今回は、それを大量に持ってきていた。実に、普段の五倍の量だ。これだけあれば悪霊の数体、難なく斃しても、まだ余裕があるはずだ。


 ところが、そこにいたのは数体どころではなかった。


(なんなんだ、この数は……)


 ライバルたちが尻込みする中、彼は一人で危険な香りが漂う地下へ飛びこんだ。もちろん、いの一番にクリアの証を手に入れるためだ。


 地下の様子は、一階や二階とはまったく違っていた。多くの電灯が光を失って、薄闇がかすみのように視界を妨げる。ぼんやり見える壁や床は壊れ、まるで嵐でも通ったかのようだった。ただ嵐の通った後と違うのは、所々に血糊らしき物が残り、ひどい邪気が充ち満ちていることだろう。

 彼は、その邪気の発生源たる部屋を見つけた。そして直感した。ここに【地獄の扉】があるのだろうと。だから立ちふさがる、その部屋の大きな扉を弾くように開けたのだ。


 とたん、その奥から死体が襲いかかってきた。


 むろん構えていた彼は、すぐに魔方陣のカードの効果を利用した。

 魔方陣と一緒に書かれたヘブライ語の呪文を短縮詠唱し、とにかく死体を吹き飛ばした。

 だが、死体は一つではなかった。

 次から次へと、部屋の奥から彼をめざして飛びだして来た。


 彼は後ずさりながらも、カードを使って死体を次々と斃していった。

 本当はカード一枚でも、呪文をゆっくりと全て唱えれば、もっと合理的に死体を斃すことができる。しかし、あまりにも絶え間なく襲われ、呪文は一言発するのがやっとであった。魔術は、こういう戦い方には向いていないのだ。


 元木は間をとるため、身代わり人形アイオーンのひとがたというものを使った。ちょっとした魔法薬が埋め込まれた、掌サイズの布人形だった。

 呪文を唱えてから、それを死体の方に投げると、死体たちはまるで元木のことを忘れたように、人形に向かって歩みよった。一時的に、死体たちには人形が元木自身のように見えていることだろう。おかげで、少し距離を開けられる。


 しかし、その時点で手持ちのカードがもう一〇枚程度になっていた。


(くそっ。【黒札の魔術師ダークカード】と言われた私がさばききれんとは! だいぶん部屋から離された。たぶんあの中に……)


 と途中まで後悔して、すぐに頭を切り換えた。今はまず、身を守ることが先だ。身代わりの人形は大して時間を稼げない。まずはとにかく、大きめの魔術を行使しないとまずい。


 そう思い、彼はカードを一枚、足下に置いた。

 そして、さらに一枚ずつ並べ始める。


「アァテェェェー、マァルゥゥゥクゥゥゥトォォォ、ヴェ・ケェブゥラァァァー、ヴェ・ケェドゥラァァァー、レ・オーラムゥゥゥ・アーメン……」


 震える声と共に、カードで十字を模る。

 それは、彼がアレンジした【カバラ十字祓い】だった。魔術師にとって非常に基本的な儀式であったが、それだけに効果はでやすい。


 人形に飽きた死体たちがまた元木に近寄ってくる。しかし、霊的に輝く十字架に彼らは近づくことさえできない。これで時間をしばらくは稼げるはずだ。

 残りのカードは数枚。これを使って、どう切り抜けるか……。


 しかし、それを悩む暇もなかった。


 突然、十字架の向こう側が靄で覆われた。

 そしてその中から、カツカツという音が突然、響き渡ってきたのだ。


(な、なんだ?)


 靄の中に、何か大きな影が現れる。

 それはまるで、陽炎に揺れる太い電柱のように見えた。

 だが、すぐにそうではないことに気がつく。

 影は、鎌首をあげた蛇のように蠢き始める。


(ちっ! 悪霊ではなく、悪魔か!)


 それは予想外の存在だった。

 人が鬼気を受けて化ける【人鬼】に対して、【悪魔】は魔力から生じた化物である。存在から異なり、どんな悪魔でも必ず魔力を取りこみ操ることができるため、危険度はまったく違う。なにしろ悪魔には、【株式会社エスソルヴァ】の定義するランクでBより下はいないのだ。


 つまり目の前の敵は、少なくともランクBになる。

 今の十字祓いで、長時間保たすことはできない。


 元木は慌ててマントをとると、十字架の上に載せた。

 マントの魔方陣の力を使い、力を強化する。

 さらに彼は、残りのカードの中から、とっておきのカードを抜きだし、床に並べる。

 後は呪文を組み立て、集合的無意識からリンクして召喚すれば、彼にとって最強の助っ人が来る。


「アギタ・メダ・メガ・メダ・アンブリダ――」


――バンッ!


 呪文を遮るように突風が元木を吹き抜け、次の瞬間には何かをたたきつけたような凶暴な震動が鳴り響く。


「……な、なんだ……」


 突風から目を開け、見えたのは白い塊だった。まるで、それは巨大な石灰岩を思わすが、その表面はぬめっている。

 そして白い塊の奥は、靄の中へ伸びている。


 蠢く。


 目の前の石灰岩のような塊が、貝殻よろしくゆっくりと開いていく。

 開いた中は血のように赤く、その入り口には鮫のように鋭く尖った歯が並んでいる。


(くち……)


 そう認識した刹那、魔術師【アゼル・元木】の視界は、赤き世界に覆われていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る