第44話:進む者と堪える者(三)

「てっ、てっ、てっ……てぇ~めぇ~! どうなっても知らねぇぞ!」


 九天のあおりに、田中の顔が激昂で真っ赤になる。


「馬鹿にするなら、殺してやる!」


「おいおい。お前、これが本当にただの百円玉だと思っているのか?」


「えっ!?」


「いくぞ?」


 田中が怯んだかと思うと、九天が百円玉を器用に指で弾いた。

 キーンという高い音が響く。

 銀の光をチラチラと返しながら百円玉は高く上に舞い、桃の葉の屋根の手前できれいな弧を描きだす。

 誰もが目を離したのは、そこまでの一瞬間だった。


「――なっ!?」


「――えっ!?」


 そろって一驚を喫す。

 烏輪は、はたと視野を奪われたことに気づき、慌てて視線を戻した。が、そこにいたはずの九天の姿が忽然と消えていたのだ。

 気配だけを残して――。


「うぐっ!」


 次の瞬間、低く短い呻き声が聞こえた。

 田中のものだった。彼は目を見開いたまま膝を折り、その場に倒れこんでしまう。

 その直ぐ横に、先ほどまでそこにいなかった黒い影が立っている。その影は無様な田中を見下ろしながらも、落ちてきた百円玉を視線を向けずにキャッチした。


「悪いな。やっぱりこれ、ただの百円玉だ」


 その声で、烏輪はやっとその影が九天だと認識できた。そこにいるはずがないという思いと殺された気配のために、瞬間的に脳が彼を認識できなかったのだ。


「ワ、ワワワ……ワープした!?」


 柳が九天を指さして大声で吃驚する。

 だが、その驚きを大袈裟とは言いがたい。


「速い……」


 思わずもらした烏輪の驚嘆に、陽光と那由多が同意する。

 九天と田中の間合いは、四メートル近くあったはずだ。

 その距離を瞬く間に詰めたことになる。

 確かに霊能力者ではないが、その身体能力は計り知れない。


「いくら百円玉に気を取られていたとしても、田中の能力の発動が間に合わないなんて……あんた、何したんの?」


 那由多の問いに、九天は「別に」と肩をすくめる。


「確かにランクCは、発動に時間がかかるんよ。でも、予め構えていればロスタイムはないんよ。それなのにどうやって避けたん?」


「避けてない。させなかっただけだ」


「だから、どうやって!?」


「――ったく。俺は解説者じゃねぇぞ。……あのな、超能力ってのは、【超観察力】と【超認識力】が大切なんだそうだ」


「超……観察と認識?」


 九天の説明に、注目が集まる。


「サイコキネシスなどは、『超認識による観測結果の強制上書き』だそうだ」


「意味不明」


 烏輪は素直に感想を述べた。

 それに対して、九天も同意の意味か、肩を軽く上げてみせる。


「俺も、うちのジジイに聞いただけだからよく知らない。量子力学的なものとは違う意味らしいが、なんでも『現象』は観測されることによって、初めて意味を成すらしい。それを逆説的に言えば、『観測結果こそが現象』とも言える。たとえば、物を動かすサイコキネシスの場合、まず『現状を観測』する。その観測結果から、さらに『動いた結果を観測した』と認識することによって、事象を起こすことができる……らしいぞ。だからなのか、超能力者たちの脳は、異常に高い現状認識能力である【超観察力】があるそうな」


「ほむ……。やっぱりわからないの」


「俺なんか、もっとわからん。こんなの科学とは言えない、オカルトだ。本来はお前らの領域だろう?」


 九天が投げやりに肩を揺する。


「とにかくわかっていればいいことは、超能力は『現状を正しく認識しないと使えない』ということだ。正しく認識した現実から、新たな現実を観測するのが超能力だからな。だから超能力者と戦うには、まず正しく自分を認識させないのが一番ってわけだ」


「だから、コインで気をそらせたの? でも、ボクでも見切れなかったの」


 烏輪は尋ねるように兄の顔を見る。

 その意味を理解した陽光は、「僕もだよ」と苦笑した。


「いくら気がそれたとしても、ボクたちが見切れないなんて……」


「そんな風に自信ありげに言うなんて、二人ともやっぱり動体視力が凄かったりするの?」


 柳の問いに、烏輪はすぐ首肯する。


「さっきの百円玉。平成一二年」


 それが正しいとばかりに、陽光も頷く。

 九天が無言のまま、ポケットにしまった百円玉をまた取りだす。


「…………」


 百円玉を一瞥し、口元を一瞬だけ緩めた後、柳に向かって弾いた。

 受けとった柳が「平成一二年……」と確認の言葉を呟き目を見開く。

 困惑気味の顔で、柳は同じように指で一〇〇円玉を弾いて返す。


 だが、烏輪たちにしてみれば、その程度のことは大したことではない。


「ボクたちは、飛んでいる弾丸を斬ることもできるの」


「さ、さすがオカルト……」


「でも、そんなボクたちの目から逃れられる、この人の動きの方がオカルト」


 烏輪は思わず、ビシッと九天を指さす。


「……酷い言われようだ。小娘たちの動体視力の高さは、集中していればの話だろう。意識外のことには、いくら小娘たちでも反応が遅れるはずだ」


 確かにその通りだ。

 たとえば、烏輪が弾丸を斬れると言っても、意識していないところから飛んできた弾丸を斬ることはまずできない。相手が撃とうとする予備動作から見る必要性がある。銃口の向きはもちろん、引き金に掛けた指の動き、視線と、一挙一動を集中して観る。だからこそ、素早く反応できるのだ。

 逆に予備動作がない動きは、異様に速く感じてしまう。


「俺は気をそらした上、気を消して動いたから、お前たちの認識から外れた位置にいた。この超能力者も同じで一瞬、俺を認識ができなくなってしまった。だから、超能力をすぐに発動することができなかった……というわけさ。どうだ大娘、簡単だろう?」


 揶揄した九天が少し笑う。


「お、大娘じゃない! それに簡単でもない!」


 確かに、那由多の言うとおり簡単ではない。誰でもできるようなことではないだろう。


 この九天という男は、超能力や霊能力といった異能力は確かにない。そういう意味では、一般人だ。しかし、田中が使っていた「能なし」という言葉が当てはまるような人間では決してないだろう。


「さてと。【大迷惑 田中】も眠ったことだし、これでやっと本題に入れるな」


 そう言ってため息をひとつついてから、烏輪たちの顔を九天が流し見る。


「これから俺たちは、穴を塞ぎに行く」


「……穴?」


「ああ。穴は広がりつつあるから、ほっといたら朝までに、この桃の木の周りも穴に呑みこまれちまう」


「……な、なんのことなんです?」


 身を乗りだすように尋ねる陽光に、九天は逆に尋ねる。


「【迷宮化遷移ラビリントス・フェーズ】って知っているか?」


 陽光が首を振る。


「知りません。しかし、さっきこの天井がなくなったのを見た時に言っていましたよね」


「ああ。これはいわゆる造語なんだけどな。【世界】という集合意識存在の防衛本能が起こす霊障的現象を言う。世界が他の世界とつながってしまった時、自分という存在を守るため、世界はそのつながりを拒絶する。その因果現象として、その周囲の空間が狂いだす。まるで、自分の世界の物を外に出さないように、接続部分周囲が迷宮のようになってしまう。これを誰が呼んだか、【迷宮化遷移ラビリントス・フェーズ】と言う」


「あっ。なんかそんな現象があるとは聞いたことがある。でも、他の世界……穴……って、まさか本当に地獄とつながってしまった?」


 青ざめる那由多に、九天は首を振る。


「良かった。地獄とつながるなんて最悪な……」


「つながった先は、黄泉だ」


「――!?」

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