第二節
第63話:暴く者と暴かれる者(一)
【
朝靄がうっすらとあるものの、濃霧などはどこにもない。
まだ姿は見えない朝焼けの空は、わずかな雲が泳ぐだけの晴天だった。
駐車スペースに向かおうとすると、そこには新たに三台の車が止まっていた。二台はグレーのワンボックスカーで、一台は赤い小型車だった。ワンボックスカーには、すでに【流弾】のメンバーが乗りこんでおり、どうやら赤い小型車を九天のために運んできたようだ。
そして二台のワンボックスカーは、九天を待たずに発車した。
言葉を交わすどころか、礼も挨拶もできないまま【流弾】のメンバーを見送った柳たちは、しばらく呆然としていた。
山頂の空気はひんやりと冷たく、緊張がほぐれだした体に心地よかった。都会ではあまり縁のない、土や周辺の木々の湿気た香りが、妙にリラックスさせてくれる。
(ああ。助かったのか……)
それが、妙に信じられない気分だ。
あれだけのことがあったのだから、自分が死んでいてもおかしくはない。むしろ、本当は死んでいて、自分はそれに気がつかない幽霊なのではないかとさえ思えてくる。
(…………)
おもむろにしゃがみ込み、手入れされていない駐車スペースに生える雑草を触ってみる。
柳の指先に、朝露の滴がついて濡れた。
その感触こそが、生きている証。
こんな雑草でさえ、自分に生命を感じさせてくれるのかと、柳は妙に感動してしまう。
(でも、まだ……)
視線をあげた先にある赤い小型車――三菱・コルトラリーアート・バージョンR――は、丸っこい形ながら、黒いオーバーフェンダーに黒いホイールが戦闘的なイメージを与える。
朝焼けよりも赤いボディで、主人の帰りをぽつんと待っていた。
気がつくと柳だけでなく、那由多、陽光、気絶から目覚めた田中も、そろいもそろってどこか呆然と、その赤い車をしばらく眺めていた。
それぞれ想いは、少しずつ違うだろう。
それでも柳の手は、銃のグリップをしっかりと握っていた。
那由多と陽光も同じようにそれぞれの武器を握りしめたままである。
まだ、
「兄様!」
建物のドアが開く音と同時に、待ちに待った烏輪の弾んだ声が聞こえた。
「烏輪!」
「ご無事で何よりです、なの」
そう言って走りよってきた烏輪の方は、服のあちらこちらが斬られ、切り傷だらけになっていた。おしゃれなダークブルーのサロペットもボロボロになり、滲んだ赤黒い染みが痛々しい。
さらに持っている模造刀は、半分から折れている始末だ。
柳から見たら、あれだけ強い烏輪が、これだけ傷だらけになるというのは驚きだった。いったい、どれだけ強い相手だったのだろうと、ぞっとする。
「だいぶん、怪我をしたね。僕が不甲斐ないために……大丈夫かい?」
「問題ありませんなの。兄様こそ足は大丈夫?」
「うん。しつこい麻痺毒だったせいで時間がかかったけど、おかげでもう回復できたよ」
そう言いながら、陽光は怪我していたはずの足で地面をかるく数回蹴った。
正直、柳にとっては信じられない話だった。先ほど傷痕を見せてもらったのだが、ほんの少しそれらしき痕があるぐらいで、ほぼ回復しているのだ。
霊力を使ってどうのとか言っていたが、たったこれだけの時間で傷がなくなるなんて信じられない。
(けど、信じるしかないんだよな……)
実際、烏輪もかなり斬られているが、すでに血はとまっているようだ。
彼女もやはり、同じ技ができるのだろうと、半ば呆れるように感心する。
「よう!」
「うおっ!」
考え事をしていた柳は、いきなり後ろから声を掛けられ、驚いて飛び退いてしまう。
ドキドキする心臓を押さえながら、声の主を確認する。
真っ黒な軍服に黒い帽子。
それに偉そうに腕を腰に当てたふてぶてしい態度は、まちがいない。
「九天……。まったく、驚かさないでくれよ」
「肝っ玉が小さいな。酷い顔だったぞ」
九天が鼻で笑うと、みんなもつられて笑いだす。
さては九天が近づいていることを知っていて、みんなで黙っていたなと察するが後の祭りだ。
ふと見ると、緊張が取れたためか、あの田中さえも笑っている。
そして、烏輪も笑っているようだが、顔を横に向けていて表情は見えない。
ただ、肩を小刻みに揺らしている。
あの烏輪が笑うとは、いったい自分はどれほどおもしろい顔で驚いていたというのだろうか。これでもイケメン系で通っているのだが、こいつにかかると三枚目キャラにされてしまう気がする。
小憎たらしい奴だ。
小憎たらしい奴だけど……。
「でもまあ、生きてて良かったよ」
心底、そう思った。
仮にも自分に一つの道を教えてくれた恩人だ。それに、死なすにはもったいない奴だ。
そう思いながら、柳はかるく九天の肩を叩いた。
「――っつ!」
とたん、九天が胸を押さえて前屈みになる。
唇が強く結ばれ、目が細められている。
「あっ、だめなの!」
烏輪が慌てて近寄り、九天を支える。
「どうした? 僕はそんなに強くは……」
「九天は、たぶん肋骨をやられてるの。大丈夫?」
「なぁに……ひびが入った程度だろ。平気だ、烏輪」
そんなもの霊力でなおせばいいじゃないか……と思ってしまい、慌てて「違う」と自分に言い聞かせた。
そうだった。九天は自分と同じ一般人だ。どんなに強くても、やはり違うのだ。
「そ、そうだったのか。悪かったね」
気にするなという手ぶりと共に、九天は自分の車に向かって歩きだす。
その横で、表情は相変わらず見せないものの、心配そうな瞳で体を支えようとする烏輪の姿があった。
その妙に献身的な態度に、ふと柳の悪い虫が騒ぎだす。
「あれ? そういえば、烏輪ちゃん。さっき『九天』って呼び捨てにしていたね」
「――!!」
おもしろいほど見事に、烏輪の動きが固まった。
「九天も『小娘』じゃなく『烏輪』って呼んでいたし。いつの間に、そんなに親しくなったんだい?」
さすがに九天の方は、まったく動揺しない。
何事もなかったように、鼻をならして鼻を鳴らしてスルーしてくる。
柳からしてみたら、非常につまらない。
その代わりと言ってはなんだが、対照的に烏輪の反応はおもしろかった。
一瞬で紅潮した顔を全員からそらして、また固まってしまう。
「烏輪……」
陽光が目尻を下げ、眉間に皺を寄せ、びっくりするほど不安そうな顔で烏輪に近よる。
「まさか、二人きりになった時に、何かあったのではないよね?」
「にっ、にににぃ兄様。そそそのような、やんごとなきこと、あるわけありませぬの!」
「いや、烏輪。意味がわからないよ……」
赤面しているのに、無表情を作っているためか、妙に顔が痙攣している烏輪。
その様子を見て、柳はおかしさと同時に少し安心してしまう。
烏輪から感じていた、他人を寄せつけない壁がなくなったわけではない。しかし、かなり低くなった気がしたのだ。
(彼女を救えるほどの力……これも、誰かさんのおかげか?)
柳がそんなことをしみじみ思っている間にも、柳に煽られてしまった陽光の不安はとまらないらしい。
「烏輪。僕は、君が一般人とつきあうことには……賛成なんだ。だけど、あの人は認められない!」
「べ、別にボクは、つっ…つきあうなん、て……」
「彼は確かに異能力がない一般人かもしれないが、普通の男性とは言いがたい!」
「そ、そんなことは……あります、けど……」
「だろう? 彼は変だ! 変人と言っても差し支えないよ!」
「さすがに差し支えますの。仮にも命の恩人なの、兄様……」
「まあまあ、陽光君。せっかくお兄ちゃん離れができたんだからいいじゃない」
那由多が、唐突に陽光の腕に抱きつく。
「というわけで、烏輪ちゃんはあいつ。陽光君はあたしと、もっと親密になりましょ」
烏輪のこめかみに皺が入る。
「それと、これは、話が……べ・つ・で・す・の!」
「あっ、もう。……また引き離すぅ。九天に乗り換えたんだから、陽光君は譲っておくれよ」
「乗り換えていません、なの!」
たきつけておきながら、柳はすでに傍観者のように横でその様子を見ていた。
田中はつきあいきれないとばかり、自分の車に戻っていく。
九天はとっくに車の中に消え去り、中で荷物の整理でもしているようだった。
(もしかしたら、このまま帰るのが一番いいのかもな)
しかし、その望みが叶わないことも柳はよくわかっている。
九天が車に行く前に、いくつかの真実を耳打ちしていった。
それは、柳が推理した通りの真実。
聞いてしまっては、このまま終わるわけにはいかない。
柳は、ふと耳に集中する。
一台の車のエンジン音が、もうそこまで来ていた。
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