第62話:妖刀使い(八)
九天がウェストバックから、牧師が持っていたペットボトルを取り出した。
そして、胸元のホルスターから銃を手にする。
「……いいぜ」
なるほどと九天の意図を理解すると、烏輪は【日輪の構え】を取るとためらいなく走りだす。
鋒が地面ギリギリをかすめながら超高速で進んでいく。
集中し、気を巡らす。
見なくとも、周囲の様子が手に取るようにわかる。
そのためか、夕子の長い手が襲ってくる軌道も見るより先に知ることができる。
避けて、受けて、斬り伏せて……それでも多くの長い刃を持つ夕子の懐までは入れない。逆にこちらの肌を切られてしまう。
しかし、その隙をつくように、九天が聖水で満たされたペットボトルを投げた。
かるく放物線を描くように、夕子の頭上に向かっている。
そう思った時、九天の手が素早く動いた。
「少し、頭冷やせよ!」
九天が放った弾丸が、空中のペットボトルをとらえた。
――破裂!
飛び散る聖水が、醜くなってしまった夕子の顔に浴びせられる。
呻く夕子。
いくら村正でも、神聖なる水までは吸収できるものではない。それはむしろ毒となるだろう。
「…………」
目を伏せた夕子の隙をつき、烏輪は小烏丸から教わったとおりに念じる。
肩胛骨に熱が宿る。
ぶわっと、音を立てて背中から広がる黒い翼。それは左右に三メートルずつの大きさにいたり、威嚇でもするように大きく上に伸び上がる。
気合いと共に、烏輪は垂直に跳びあがる。
漆黒の翼がひと羽ばたきさせると、彼女の体は急上昇し、一瞬間で鬼となった夕子の巨大な体よりも高く飛ぶ。
そして、そこから急降下する。
気がついた夕子の手が動く。
だが、それを九天の
「烏輪、救ってやれ!」
九天の「救う」とう言葉が、烏輪に響く。
そうだ。夕子を救おう。
そして、それは背負って生きていく。
彼女と過ごした日々も、すべて大事な人生の一部。
そして、その完
「
烏輪の振りおろした刃が、眩い太陽のような光を放って縦一文字に一閃される。
「ウギギギギギィィィィ……」
すでに人のものとは思えない断末魔をあげる夕子。
刃の軌道に残った光が、刀傷に向かって収縮されていく。
それはすべてを吸いこもうとするブラックホール
闇と化した、黄泉への扉。
「グアアアアアッ……」
夕子の鬼の体も歪みながら、生まれた闇に向かって、異様な形に歪みながら収縮していく。
足掻き抵抗する刃の四肢をものともせず、闇の扉は容赦なく、そのすべてを呑みこんでしまう。
そして最後は闇自身さえも呑みこみ、静寂の中で無に帰った。
――…………。
怖いまでの無音が訪れる。
まるで木々のざわめきや虫の声までも、闇に飲まれてしまったかのようだ。
「…………」
そこに風が走り抜ける。それはきっと、すべてを浄める
――ごめんね、烏輪ちゃん。
耳を撫でるように聞こえた声。それはやはり空耳だったのだろうか。
静寂が破れ、烏輪は緊張を解いた。
「彼女は、何か言っていたか?」
どこか今までと違う柔らかい表情の九天が、小烏丸の鞘を差しだす。
「ありがとう。……うん。ボクに謝ってたの」
烏輪はそれを受けとると、小烏丸に血糊がついていないことを確かめて鞘に戻した。
そして、改めてそれを見つめる。
指南書には載っていない、架空の伝説とも言われていた幻の術。
【切】の心を
その中の【
通常、自らの意志で鬼に堕ちた者は、浄化することはできないとされている。烏輪が習ったかぎりでは、黄泉に送っても鬼のままで輪廻に戻ることはできないという。
またはもし、九天が言ったとおり黄泉にも地獄があるなら、それは地獄落ちするということなのかも知れない。
しかし、【壱の太刀・
改めて考えると、こんな術が使える霊力が、自分にあることに驚いてしまう。なにしろ、一時的にでも、黄泉戸を開けてしまう術なのだ。
それに八咫烏から教えられた秘伝は、これだけではない。先ほどの翼で上空まで飛ぶ術もその一部だ。こんな術を使えるのは、ランクAの中位以上の者だけだろう。
ただし、消耗する霊力は凄まじいようだった。
とてつもない疲労感に、烏輪は苛まされている。もうこの場から動きたくないぐらいだ。
とりあえず、小烏丸は発動してしまうと消耗が激しい。しまっておいた方が良さそうだ。
「……還れ」
烏輪が唱えると、小烏丸が一気に収縮して二〇センチぐらいの黒い一本の羽根になる。
生き生きとした毛が、ふわふわと風にそよぐ。しかし、不思議なことに風に飛ばされていかない。自分の居場所を知るように、その羽根は烏輪の掌から動かなかった。
「すごいな、それ。まさしく神器だ」
九天の感嘆に、烏輪はショートヘアを頷かせる。
「ボクが勝てたのも、小烏丸のおかげなの」
「おいおい。半分は俺のおかげだろう?」
九天には似合わない恩着せがましさに、烏輪はクリッとした目をさらに丸くする。
でも、実際にその通りだ。九天がいなければ勝てなかった。
だから、礼を言おうと思ったが、彼の意図は別にあった。
「だから、半分は俺の分だ。……一人で背負うな、烏輪」
そう言いながら、九天がかるく烏輪の頭にポンポンと手をのせる。
烏輪は頭に触れた掌が温かさを感じ、さらに「烏輪」と名を呼ばれた事で一気に赤面してしまう。
そして気がつく。
自分が九天に、どんな感情を抱いてしまっているかを。
慌てて、これは勘違いだとか、吊り橋効果とかあったのとか、息苦しくなるぐらいのドキドキ感を否定しようとするが……否定しきれない。
それどころか、ぼーっとしてきてしまい、だんだん何も考えられなくなってしまう。
「おい? どうした?」
九天に顔を覗きこまれ、烏輪は慌ててそっぽを向く。
自分がどんな顔しているかわからないが、九天に見られたくない顔なのはまちがいない。
「い、いや、その……ボクのこと『小娘』じゃなく、『烏輪』って呼んだ、から……」
「ああ。もう小娘は、卒業だろう?」
「――!!」
認めてもらったと思ったとたん、この上ないご褒美をもらった気分になった。
今までにない達成感だ。こんな嬉しさを感じたことはない。
嬉しすぎて、あふれそうな涙を懸命に抑える。
その所為で、全身が痙攣したみたいにピクピクと震えてしまう。
「なんだ? それとも、呼び捨てにしたのが気に入らなかったのか?」
その烏輪の体の震えを怒りと勘違いしたのか、九天が少し困惑した声をだす。
「――ったく。なら、俺のことも呼び捨てでいいぞ」
「……いいの?」
予想外の追加ご褒美に、烏輪の声がまた震えた。
「別にかまわん。仲間内はみんな呼び捨てだし、そもそも『九天』ってのだって――」
「く、九天……」
「……ああ。それでいい」
絶対に今はふり向けない。
鏡を見なくてもわかる。
紅潮し、目元も口元も緩みきっている。
いつもの無表情に戻そうとするが、まったく顔の筋肉が言うことを聞いてくれないのだ。
これは確定的だ。
『小娘』を卒業するのと同時に、『兄様』も卒業してしまったのだ。
(違うの! そんなことは、ない……はず……なの。兄様が一番、だ……けど……)
「ところで、烏輪」
九天の口調が、少し厳しいものに変わる。
「まだ終わっていないことは、わかっているな?」
九天の言葉に、烏輪は別の意味でどっきりとした。
なるべく考えず、奥の方にしまおうとしていたことが、いきなり引っぱりだされる。
おかげで、高揚感が一気に覚める。
烏輪はふりむき、黙って首肯する。
「悪いが、ちょっと手伝ってもらうぞ」
「ほむ」
その時、空の一部が少し朱に染まり始めてきた。
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