第61話:妖刀使い(七)
真っ白な空間に、ぽつりと一人で立っている。
立っていると言っても、そこに地面はない。
あくまで立っているように見えると言うだけだ。
(なに、これ?)
状況を理解できずに周りを見まわすが、やはり何もない。
音もしない。
迫りつつあった夕子や、後ろにいたはずのないは九天の姿もない。
加えて、持っていたはずの小烏丸もなくなっている。
――我が名を持つ娘よ。
声と共に目の前に、黒い姿が現れる。
漆黒の毛並みに、自分の二倍以上ある高さから見下ろす金色の明眸。
それらは、小木の幹のような一本の脚で支えられている。
鋭く尖った嘴は動いていなかったが、声の主だと烏輪は直感した。
(八咫烏……様)
烏輪の心意の言葉に、目の前の巨大な烏が首肯する。
突然現れた神の使いに、烏輪は跪こうとするが、なぜか身体が動かない。まるで自分の体ではないようだ。
――我は、八咫烏の化身。
――我は、汝を待っていた。
(待って、いた?)
――我は、境界が乱れし時、目覚める。
――我をふるえ。常しえの道を切り開くために。
(…………)
烏輪はその瞬間、多くのことを理解した。
意識が戻る。
「死ね!」
袈裟懸けに斬りこまれる村正。
「…………」
烏輪は握っている柄を
鞘の鯉口から、太陽を思わすあたたかい光が噴きだす。
その光に押しだされるように刃が、神速で鞘を走りだす。
頭上まで迫っていた村正を軽々と弾きとばす。
夕子の驚愕の顔を確認する前に、そのまま刃がひるがえさせる。
仕返すように、袈裟懸けに刃を走らせる。
深く肉を斬る感触。
夕子の悲鳴が上がるよりも速く、烏輪は大きく飛び退く。
「ぐっ……。馬鹿な……なぜ、あなたごときが……」
烏輪は、引き抜いた太刀を正眼に構えた。
その色は、先ほど見た八咫烏の毛並みを思いだす。
唯一、鎬筋が赤く光り、まるで血管が走っているように見えた。
「――ったく。抜けたじゃんか」
九天が苦笑する。
「しかし、真っ黒な刃とは特徴的だな。【Black Blade】ってことで、俺の代わりにBBを名のるか?」
「じゃあ、ボクらでBBコンビを名のろうなの」
「なんか、漫才コンビみたいだな」
「じゃあ、ボクがツッコミやるの」
そう言って、烏輪は小烏丸を振る。
「御神刀でツッコミいれるな。殺す気かよ」
二人でかるく笑ってしまう。
が、それを激し怒声が遮る。
「ふざけないで! なぜ!? どうして!? あなたに抜けるわけがない! それはお兄様がぬくはずの神刀・小烏丸なのよ!」
致命傷になる斬撃よりも、夕子には小烏丸の方が衝撃だったのだろう。
まるで斬られたことを気にしていないかのように、烏輪と小烏丸を睨みつけている。
「なぜボクなのかは、ボクにもよくわからないの。でも、小烏丸はボクを待っていたの」
「そんなわけないでしょ! 何かのまちがいよ! こんな事はありえない! ありえないのよ! ありえないありえないありえないありえない…………そうよ。あなたを殺せばなかったことに。こんな傷なんて治して、あなたたちを……」
そうだ。
夕子には強靱な鬼の体と無限の霊力がある。
それを使えば傷などすぐに治るはず。
……と考えて、烏輪は初めて気がついた。
そういえば、夕子の顔の怪我も片眼も治っていないじゃないか。
「なぜ!? 霊力が……村正が勝手に……」
ふりかえる夕子に、烏輪も釣られて視線をそちらに向ける。
そこにあったのは、宙に浮かぶ黒い掌サイズのボールだった。
一瞬だけそれがなんなのか理解できなかったが、はたと烏輪は気がつく。
あれは、つい先ほどまで大きく空いていたはずの闇の穴――黄泉戸だ。
気がつかないうちに、穴は閉じられ始めていたのだ。
そして、今も見る見るうちに小さくなっている。
「あ……」
そして、それに気がつてから数秒で、完全に消失してしまう。
黄昏の空が、夜のとばりに一瞬で変わる。
満天の星々が、まるで何事もなかったように瞬いている。
歪んでいた屋上の床も平らとなり、その周囲に霧も見当たらない。
真っ暗な闇に包まれ、唯一の光源は、烏輪たちがくぐってきたドアの上にあったハロゲンランプの白い明かりだけだった。
目が暗さになれず、周りをきちんと確認できない。
だが、確実なことは、世界が正常に戻ったということだろう。
「成功したらしいな」
安堵のため息と共に立ちあがりながら、九天がもらした。
その言葉に、夕子が目で九天に問い詰める。
「わからないのか? 俺の仲間が、道祖神の向きをすべて山頂に
烏輪は、道祖神というキーワードを思いだす。確か初めて会った時に、九天たちが掃除すると言っていた石像だ。烏輪にはそれがなにを意味するのか、わからなかった。
しかし、夕子にはわかったようで、苦渋で顔を歪める。
「普通の人間が、あの森を抜けたというのか……」
「言ったろ? あいつらは強いって。……あの道祖神は二〇年前、山野が黄泉戸が開いちまった時に、うちのジジィが【
所々、九天は烏輪にわからないことを言う。
だが、要するに道祖神の像は、封印術の道具だったと言うことだけはわかった。
「お前らはそれを逆に向けて、この山の結界に利用していたみたいだけど、そんな再利用しないで壊しておくべきだったな。まあ、残してくれたから、俺たち一般人でも反対に向けるだけで、黄泉戸の封印を復活させることができたわけだけど。……ちなみにこれで賞金五千万円は、俺たちがもらえると言うことかな?」
揶揄する九天の言葉に、夕子の激憤は頂点に達した。
「ふざけるな! ふざけるな! ふざけるなあああぁぁぁぁ!」
夕子が絶叫と共に、村正を頭上に掲げた。
そして、天を仰いだかと思うと大きく口を開いて、村正を鋒から呑みこんでしまう。
「斬る! 斬る! ぎるううぅぅぅ!」
夕子の体がまた膨れあがった。胴も細長く伸びていき、体の中からはみ出すように肋骨が外に顔をだす。
しかも、その肋骨はすべてが鋼色をした刃のようになっていた。
外側に刃を向けて湾曲刀のように大きく反っている。
それを支える脚は、まるで蟹のようにだった。
細長い複数の脚は、烏輪の身長の二倍ぐらいある。
これも、すべて刃のようになり、鋒が地面に突きささっていた。
さらに腕も長く伸びているが、それよりもさらに長いのは指で四、五メートルはありそうだった。
もちろん、それもすべて鋼色の刃でできていた。
そしてもっとも忌まわしいのは、その顔だった。
目玉が飛び出しそうなぐらい瞼が大きく見開かれている。
口からは、まるで閉じた傘の先端のようなものが突きでていた。
パッと見て嘴のように見える。
烏輪がそれに目をやると、それを待っていたかのように目が歪む。
そして、傘の先端部分から花開くように分かれていく。
分かれた一本一本は、やはり刃となっている。傘の先端だと思っていたのは、刃の鋒が集まったものだった。
今やそれは大きく開き、唇を血まみれにしながら裂き、口を破壊しながら赤い刃の花を顔の下で咲かせていた。
「オーバードライブしたか……」
九天の単語に、烏輪はかるく小首をかしげる。
「ほむ。おもしろい言い方。ボクたちは
「まあ、どちらにしても全長七、八メートルぐらいあるぞ。しかも、どうて見ても接近戦タイプ、ランクAの丙以上。俺たち二人だけだと辛いな。救援を呼んでも間にあうか……」
「一瞬だけ、動きをとめられる、なの?」
烏輪の言葉に、九天が少し目を丸くする。
「斬れるのか?」
「懐に入ればなの。小烏丸も力を貸すと言っているの」
不思議な感じだった。
小烏丸に宿った八咫烏の化身が、先ほどから烏輪に多くの情報を与えてくれているのだ。
小烏丸の特性、技、そして力の使い方など脳に焼きつけるように語っている。
おかげで、まるで昔から知っていたかのように知識として蓄えられいた。
「了解した。もう一度、視界を奪う。ただし、一瞬だ」
「ほむ。十分」
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