第三節

第69話:装填された弾丸たち(一)

「うりり~~~ん!」


「ほむ。篠竹すずたけ……えんじゅさん」


「……なんでフルネームなのよぉん!」


 ポニーテールを揺らして走りよってきた槐に、烏輪はいつものポーカーフェイスで「別に」と答える。

 フルネームになってしまったのは、単に「槐」と呼べと言われていたことを途中で思いだし、慌ててつけたしただけだ。

 まあ、「篠竹」と今まで通りでも良かったのだが……。


「うりりんは、今から帰るんだよね?」


「そうですなの。……では、お疲れ様でした、なの」


「はい。お疲れ様で……じゃなくて!」


「ほむ?」


 勢いよく前にでた槐に大の字で通せんぼをされて、烏輪は足をとめる。

 相変わらず素早く元気がいいなと思いながら、なんとなく空を見上げる。


 晴天。

 いい天気だ。


 昨日、四方山は晴れていたのに、街に帰ってみると灰色の雲と、しとしととした雨に覆われていた。

 その烏輪の心を写した空模様が、まるで心の中の空知らぬ雨のように感じて、よけい気分が滅入った。


 それが今日は、嘘のように晴れている。

 そのせいか、烏輪の心も昨日よりずいぶんかるい。または、ゆっくりと睡眠を取って、体力が回復したおかげだろうか。


 この二日間は、彼女の今までの人生の中でも最大のイベントと言っても良かっただろう。

 これほど肉体も精神も疲労困憊したのは初めてだ。


 昨日の昼前に帰宅し、那由多と柳も伴って、烏輪と陽光は父親【大和】にすべてを報告した。

 大和は今まで見たことないほど大きなショックを受けていたが、とりあえず二人の無事を喜び、疲れているだろうから休むようにと言ってくれた。

 考えてみれば、ほぼ徹夜である。

 帰りの車でもなかなか眠ることができなかったためか、風呂に入って食事もとらずに、兄共々ぐっすりと寝てしまった。


 たぶん昨夜、大和なりに考えをまとめ、今頃は一族が緊急招集されて、白夜への査問と会議が行われていることだろう。

 その結果がどうなったかは、きっと帰れば報告されるはずだ。


 無論、その報告も気にはなる。

 気にはなるのだが、烏輪は不謹慎にもさらに気になることが他にあった。


「うりりん! 聞いてるの?」


 両方の頬を掌で挟まれ、ひょっとこのような顔にされて、ようやく自分が思考に囚われていたことに気がついた。

 烏輪は慌てて、ひょっとこのまま「ごめんな、ひゃいの」と謝る。


 ふと周りから視線を感じる。

 烏輪の通う私立中学の校門前。

 まだ多くの生徒が帰宅中の中、そんなことをしていれば注目が集まるのは当然だろう。


 しかし、烏輪は不思議に感じていた。

 前ほど気にならない。


 どこどこに遊び行こうと話す女子生徒たち。

 昨日のテレビの話を熱く語る男子生徒たち。

 今まで彼らは、別世界にいたと思っていた。

 だが、本当は同じ世界だとわかれば、たとえ注目されても気にする必要はない。

 きっと相手から見たら、こちらもちょっと騒いだ普通の女子高生のはずだ。


「それで?」


「だからぁ。この前、話した喫茶店に行ってみようよ! 本当におもしろいし!」


 槐は、クラスメイトに陰で「わがままナイスバディ」とあだ名をつけられている身体を自分で抱くようにして、クネクネと動かす。

 どうやら、それが「おもしろい」の彼女なりの表現らしい。

 烏輪から見れば、豊満な肉体にセーラー服でクネクネは、どちらかと言えば卑猥に感じる。

 来月から夏服になるが、そうなれば卑猥さ倍増まちがいなし。

 やっぱりどう考えても、男子生徒が放っておくわけがない。


 ところが不思議なことに、槐には彼氏がいない。

 男友達ならいるようだが、それほど親しくはないらしい。

 なにしろ、一緒に帰ろうと男子から誘われても、断ってまで烏輪の所に訪れ、冷たくあしらわれているのが日常なのだ。

 まあ、彼女ぐらいかわいくて、素敵肉体の持ち主だと、求める男性像も非常にハイレベルなのだろう。

 そう考えると、彼女がどんな男を気にしているのか、烏輪の好奇心が刺激される。


「ほむ。でも、おもしろいというより、カッコイイ人というのに逢いに行きたいのでは?」


「もちろん! ……って、あっ!」


 槐がバツが悪そうに微笑する。


「う~ん、ごめんね。やっぱ、わたしの都合につきあうなんてイヤだよね。別に烏輪は興味ないかもしれないし……」


 そのクリッとしたまなこに、夜の海のような藍色を見つける。

 そこにあるのは、心悲うらがなしさ。

 正面から向き合い、目を合わせて、烏輪は初めて彼女の心を知ることができた。

 いつも明るい彼女でも、こんな寂しそうな色を隠していたのだと思うと、烏輪は心が痛くなる。


「いいよ、なの」


「……え?」


 まるで幻聴でも聞いたかのように、烏輪の返事に目を丸くする。


「行こう、そこ」


「マジで!?」


「ほむ。あまり遅くならない、なら」


 槐が諸手を挙げて喜ぶ。


「イェス! イェス! イェス!」


 そして、ガッツポーズ。


「やっと……やあっっっとぉ、口説き落としたあぁ!」


 ざわっと、周りの視線が集まる。

 さすがに、こういう注目のされ方はしたくない。


「変な言い方しないの」


「だってぇ~、片思いで嫌われているのだとばかり思っていたからさぁ~」


「……ボクは、槐さんのこと、その……わりあい好きだと、思うの」


「うっ……」


 槐が瞳に涙をためて、薄く潰れた学生鞄を落とす。

 かと思うと、烏輪の両手を握りしめる。

 相変わらず、なんと素早い動きなのだと、烏輪は思わず感心してしまう。

 その一方で、やはり目立ちすぎるのでなんとかしたいととまどう。


「あのぉ、槐さん……」


「槐! 両思いの間で、『さん』はいらない!」


「ほむ!? 両思い、とかでは――」


「両思い! もう聞いた!」


 その迫力に押される。

 なんというかダメだ。

 烏輪にとって、彼女は天敵みたいなものだ。


 でも、本当は烏輪も思っていたのだ。

 彼女と友達になりたいと。

 だから、無碍にはできない。


 とにかくこの場は移動した方がいいと判断し、烏輪は槐をうながした。

 槐の言う店は、学校の最寄り駅から一駅先にあるらしい。

 そこに向かう三〇分ぐらいの間、槐はとにかくいろいろなことを烏輪に話しかけてきた。

 いつものように、ほとんど聞き役として頷くだけだったが、槐は本当に楽しそうに話す。

 おかげで、目的地に着く道のりは、あっという間に過ぎた感じだった。

 隣り駅から徒歩五分ぐらい。

 ちょっとした商店街を抜けて、そこから細い横道に入ると、すぐにその看板が見つかる。

 最初、烏輪は店の名前を見た時に、マンガ喫茶かとと思った。



【The Magazine】



 しかし、見た目は普通の喫茶店だ。

 三間ほどの間口に、半楕円型の窓が二つと、やはり半楕円型の木製ドアがあった。

 窓ガラスは曇りガラスになっており、中の様子はわからない。

 メニューはあるが、特に漫画が置いてある等は書いていない。

 珈琲、紅茶などの定番メニューに、「オリジナル料理の数々」とだけ書いてある。

 ちょっとだけ気になったのは、そのメニューに拳銃のイラストが描いてあったことだ。


 おかげで思いだしてしまう。

 昨日、挨拶もできずに、別れてしまった男の事を。


 まさか、烏輪が【七鞘】を回収している間に帰ってしまうとは思わなかった。

 一緒に命がけで戦ったのに、一言もなしとは酷いじゃないか。

 何も話さないまま別れたのでは、連絡の取りようもない。

 もしかしたら、那由多とか柳ならば調べがついているのかもしれない。

 でも、あの二人に下手に尋ねると冷やかされそうで躊躇われる。

 だからと言って他に方法はないし……と、実はそのことを昨日からずっと考えていた。

 もうそれこそ本当に不謹慎だが、白夜の処分よりも、烏輪にはそちらの方が大問題に感じていたのだ。


「さて。心の準備はよいかね、うりりん」


「いいけど。普通のお店に見えるの。どこがおもしろい、の?」


「入ればわかる! 『百円では一分しか見られず』って言うでしょう?」


「……それでは、なんかいかがわしい商売みたいなの。『百聞は一見にしかず』で、しょう」


「ナイス、ツッコミ! さすが相棒!」


「…………」


 ずっとこのハイテンションのまま、槐は話していた。

 さすがの烏輪も疲れてしまう。

 そろそろ帰ろうかとも思うが、ここまできたことだし、槐がそこまで言う喫茶店の中も気になる。


「じゃあ、入るよ」


 槐が木製のドアを引き開けた。

 チリンチリンというドアにつけられたベルの音が軽やかに鳴る。

 それと同時に、どこかで聞き慣れた声が聞こえる。


「特訓しておきたいんだよ。SBに入れてくれてもいいじゃないかぁ~」

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