第7話:契約者と協力者(三)

 それは落ちついた張りのある声だった。しかし、どこか青年を思わす澄んだ通る声。


「旧暦か新暦かということを考えず、五月ということを連想しただけかもしれないんよ」


 ところが玄関に現れた容姿は、男の僧侶のカッコをしながらも、迫力のあるバストが目立つ女性だった。顔は焦げ茶色の托鉢笠たくはつがさで隠れているものの、錫杖を持つ手もスラリと美しく、爪には紫のマニキュアまで塗っている。

 その唐突に現れた異様な姿に、柳は少し動揺しながらも睨みを利かせた。


「いつの間に……。ちょっとあなた、何を勝手に入ってきてるんだ!」


「いいんだよ、柳君。俺が呼んだんだ」


「えっ?」


 三村の弁護に、柳は言葉をつまらせる。


那由多なゆたさん。わざわざ申し訳ない」


「いいんよ、いいんよ。これも仕事なんよ」


 そう言いながら托鉢笠たくはつがさを取った後に現れたのは、透きとおるような真っ白な肌に、くっきりとした黒い双眸。その近寄る者を深遠に閉じ込めてしまいそうな瞳もだが、軽く歪められた暗めのべにも、空恐ろしく感じる。まさに妖艶。女友達の多い柳だったが、このようなタイプは今まで見たことがない。


「たとえば『皐月』は旧暦の五月のことだが、新暦でも五月をさすんよ」


 茫然とする柳を無視して、彼女は禅僧姿に似合わぬ真っ黒な紐なしシューズを脱ぎながら三村に話しかける。


「それに新暦の五月なら、ほら思い当たる節がないかい?」


「ああ! そうか。これは次の――」


「ちょっと待ってください!」


 険のある顔で、柳は二人の間に割ってはいる。


「三村さん、説明してくれないんですか?」


「ああ。すまんすまん」


 三村の口角が歪むのを柳は見逃さなかった。これは、自分の狼狽を明らかに楽しんでいる。

 よくペアを組んで行動したが、彼には少し秘密主義的なところがある。たまに柳に何も言わずに消えて、勝手な行動をとることもあった。その度に適当に誤魔化そうとしてくる彼に何度、不満を募らせたことか。

 それでも、今までのことはいいとしよう。しかし、今回は部外者まで巻きこんでいる。しかも、捜査情報をもらしているようだ。これは笑い事ではない。


「彼女は、部外者ではないのだよ」


 柳の怒りが伝わったのか、三村が少し神妙な顔で説明し始める。


「柳君は【特部】って、聞いたことある?」


「……都市伝説みたいに噂されている、あの【特部】ですか?」


 柳が最初にその名前を見たのは、インターネットの掲示板だった。それは自衛隊に【特部】があるという噂だった。そのうち、同僚からもその名前を聞くことになった。警察内部に【特部】があるらしいというのだ。他にもいろいろと噂があったが、どれも情報が違っていて信憑性に欠けていた。共通するのは、【特部】というのがあって、そこには超能力者だか、霊能力者だかがいるという胡散臭げなことだけだった。


「うん。実際は【特部】なんてないんだけど」


「当たり前じゃないですか。超常現象事件を扱う国家機関なんてあるわけが……」


「いや。それ自体はあるんだよ」


「はぁ?」


「過去、超常現象事件を扱う国家機関として、人知れずにいくつかの組織が存在したんだ。俺もうろ覚えだけど、【CIROサイロ(内閣情報調査室)・特定者情報センター】、【公安調査庁ハム・超常的破壊工作団体対策室】、【警察本部警備部公安課・特安係】、【防衛省情報本部・異常力場情報部】、【自衛隊特殊戦術教導団】と、これらの組織がいくつかは同時に存在したり、時には組織を変えて存在したんだ。超常現象や異能力者に対する確実なる力としてね」


「……なんの漫画の話ですか? さっき三村さんも、『刑事だからオカルトは信じない』と言っていたじゃないですか」


「俺は『自分の目で観たものしか信じない』と言ったんだよ」


 腰に手を当て強気な三村に、柳はかるくため息をつく。


「……最近、やたらとオカルトっぽい事件が起きていますが、それらもその異能力者が起こしているとか言いだすんじゃないでしょうね?」


「君の言う事件のいくつかは、まさにその通りだ」


「…………」


 三村の答えに、柳は今度こそ腹の奥底から、すべてのため息を吐きだす。


(だめだな、これは……)


 心理学を勉強する上で、この手・・・の人間とも話をしたことがある。だいたいの人は、もともとはそういうことを信じる人間ではない。そしてIQが高い人が多い。しかし、そういう人ほど、何かの拍子に狂信的になってしまうこともある。

 こういう相手に、議論を成り立たせるのも大変なのだ。論理の一部が崩壊して狂信的になっているため、そもそも理論的な思考が難しくなっている。

 特にその原因を作った人物が目の前にいるのでは、かなりやりにくい。多分、この【那由多なゆた】と呼ばれていた女性が、三村を引きこんだ人物なのだろう。そういう人間は、話術が巧みである。


「……それで?」


 仕方なく、柳は話をうながす。こういう時は、とにかく話を聞くことにしている。隅々まで聞けば、攻めるべき穴も見つかるかもしれない。仕事のパートナーがこのままでは困る。


「さっきも言ったとおり、いくつかあったこれらの機関は、統合されたり名前が変わったりと、かなり動的だったんだ。ただ、名前に『特』という漢字がよく使われていた。それでいちいち名前を覚えるのも面倒だから、通称で【特部】と言われるようになった」


 もっともらしい説明だが、そんなにコロコロと組織が変わって、まとまるわけがない。見つかりそうになったから形を変えるということなのだろうが、そんなに上手くいくものだろうか。内部権力の関係もあるし、むしろ転々とすることで情報漏洩の可能性が高くなるはずだ。


「で、なんでも占いで事件の多発が予想されたとかで、数十年ほど前に組織が統合強化され、民営化されたんだ」


「み、みんえいかぁ~?」


「そうだ。時代の波を先取りしているだろう?」


 冗談めかした笑いが三村に浮かぶ。この人はどこまで本気なのだろう。


「それが株式会社【エスソルヴァ】という法人だ。中身は国家機関だけどね」


「な、なんでよりによって株式会社……。国がやるなら独立行政法人じゃないんですか? 公益法人や宗教法人、特定非営利活動NPO法人とかいろいろあるでしょ?」


「俺は詳しく知らないけど、一番規制的に楽だからじゃないか。対外的には国が関わっていることがばれてはダメなんだし。それに、一般からも仕事を受けているみたいだから利益団体のようだよ」


 それまで黙っていた那由多が、柳の前を横切るように身を乗りだす。


「我が社の仕事は、いくつかあるんよ」


 彼女は一八〇センチの長身である柳より、ほんのわずか小さいだけだ。長い黒髪をまとめた後頭部のお団子だけみれば、彼の身長よりも高い位置にあるほどだ。


「異能力者の管理・取り締まりや、情報コントロールの他、民間から寄せられた超常現象の解明、そして【契約者】たちが自分たちで請け負った事件の後始末などもね」


 那由多が、クルッと柳の方をふりむく。

 とたん、彼女の黒い瞳に見つめられ、柳は金縛りにあったように硬直してしまう。まるで、意識の中に入りこまれたようだった。


「これらの業務を行うのが、あたしたち異能の力を持つ【契約者】。まあ、普通の会社で言う契約社員みたいなもん?」


「……【契約者】……」


「ただ、【契約者】だけでは仕事がやりにくい。そこで各組織から力を貸すのが、三村さんのような【協力者】」


 那由多の真っ白い指が、柳の胸に当てられる。その指先が、なぜか痛い気がする。まるで、指の形をした矢で貫かれた気分だ。

 女性の扱いには、けっこう慣れているつもりだったが、息を呑んで小悪魔的な魅力に思わず紅潮してしまう。そして動けないまま、柳は彼女の妙に艶やかな赤紫の唇が動くのをじっと見ていた。


「そして、貴方が新たな【協力者】。うん。若くてかっこいい男で、あたしも嬉しいんよ」

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