第36話:生者と死者(六)

 その球体は、表面が波打ったかと思うと、皮がめくれるように、長く黒光りする体をいくつも見せ始める。

 それは平べったく、先端が緋色で、触覚がある。

 左右についた多くの脚は、イエロー地に節目がピンクという毒々しさで、それをアピールするかごとくカサカサとせわしなく動いている。


蜈蚣むかで……」


 人の身丈よりも大きいムカデだった。

 それが何匹も丸まって、一つの黒い塊になっていたのだ。

 しかも一つではなく、次々と口から吐きだされる。


 そのおぞましさは尋常ではない。

 全般的に節足動物はただでも嫌われやすい容姿をしているが、それが口から吐きだされる様は、さすがの烏輪も嫌悪感を隠せず、寸秒ほど呆然としてしまう。


「まずい! 一度、さがるんだ!」


 その烏輪の意識を引き戻したのは、後方から届いた柳の警告だった。

 確かに、まずそうだ。

 このままでは烏輪はまだしも、前方にいる陽光と田中は挟まれて孤立してしまう。


「田中さん、烏輪の所までさがりましょう」


「ああ! でも、大文字だいもんじだ!」


 陽光に田中が応じ、それを機に二人が後ろをふりむき走りだす……はずだった。

 田中が、いきなり前のめりに転ぶ。

 顔面から転ぶような無様な真似にはならなかったが、両手をついて驚愕の表情を見せる。


「……げっ!?」


 彼の右足首は、目の前に倒れていた【人鬼】によって握られていたのだ。斃したと思った【人鬼】がまだ活動していたのだろう。


「くそっ! 離せ!」


 田中は思いっきり蹴り飛ばし、その【人鬼】の手を外そうとした。だが、なかなかはずれない。

 ならばと、【人鬼】の手に自分の手を当てた。


「ブレイク!」


 足が解放される。

 と同時に、細長い影が彼を包む。


「――えっ?」


 ムカデだった。

 【人鬼】より足の速い巨大なムカデが、すでに緋色の鎌首をあげて田中を狙っていたのだ


 本来のムカデは、捕食性の生き物だ。大型種になると、その素早い動きで昆虫の他にネズミや小鳥までたべることもあると聞いたことがある。特にムカデに詳しいわけではないが、烏輪は【蠱毒こどく】という術の説明を受けた時に、その話を聞いていた。


 【蠱毒】の術とは、一つの壺の中に、虫や蛇、蜘蛛、そしてムカデなど、特に毒性がある生き物を閉じこめる。そして餌を与えずに互いに喰い殺させ、最後に生き残った生き物を呪術に使用するというものだ。その時、説明してくれた術師によれば、ムカデは獰猛で生命力があり、生き残る率が高いという。


 この目の前の化け物が、どこまで本当のムカデと同じなのかはわからないが、その獰猛さは通ずるものを感じる。今も田中という獲物を仕留めようと、その牙を左右にグイッと広げている。


「やべぇっ!」


「――はっ!」


 気合いと共に、陽光がムカデと田中の間に割りこむ。

 伴って軌跡を描いた刃は、ムカデの鎌首を途中からきれいに両断した。

 だが、絶命寸前にムカデの口から吐き出た液体が、陽光の足首にかすってしまう。


「くっ!」


 苦悶に顔を顰める陽光。


「兄様!」


 烏輪は、慌てる。

 わずかにかすっただけだが、強酸性なのか陽光の靴からは妙な白い煙が出ている。

 靴をすぐに脱いだが、陽光は苦悶の表情で立ちあがれない。どうやら、即効性の毒があるようだ。


 烏輪は、すぐ前へでようとしていた。

 だが兄との間には、すでに多くの【人鬼】とムカデの化け物がいる。


「邪魔!」


 烏輪は、斬る。

 次々と【鬼丸】を風のように走らせて斬る。


 血しぶきの向こうを見れば、いつの間にか陽光と田中は、鎌首をあげた数匹のムカデに囲まれていた。

 まるで二人を逃がさないと言わんばかりに、ムカデたちは多足をワサワサと動かして、波打つ黒い壁を築いている。


「兄様!」


 懇願するように、烏輪は叫んだ。

 兄は太刀を杖代わりにして、やっと体を起こしている。

 とても身軽にかわせる状態じゃない。

 その上、足手まといの田中もいる。

 壁となった獰猛な口から、一斉に先の液体を吐かれたら、ひとたまりもない。


 柳が後ろから、その中の一匹に銃弾を放つ。

 しかし、銃弾は黒い甲殻で弾かれ、ムカデはかすかに揺れるだけだ。あれぐらいの陽の気では動きをとめることもできない。


「兄様! 兄様!」


 叫んで、叫んで、烏輪はひたすら敵を斬る。

 しかし距離をつめる前に、ムカデの牙が一斉に動き始める。


(やだ……兄様……)


 田中も柳も手詰まりだ。


(誰か……)


 那由多は動けない。


(誰か……)


 そして、烏輪は届かない。


(誰か……)


 誰もいない。


(誰か……)


 それでも誰か。


(誰か……)


 どうか大事な兄を助けて。

 唯一、思いをやれる人を助けて。

 ボクの心のよりどころを……。


「――誰か、助けて!」


 切なる願いが、ことの葉となる。


「――OK。出番だな」


 そして、奇跡が始まった。

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