第58話:妖刀使い(四)
夕子から急激に膨れあがる禍々しい霊気。
それを感じて、烏輪の背筋に冷たい汗が流れる。鳥肌が立ち、体が震えそうになるのを歯を食いしばって堪える。
「い、いけない、夕子さん!」
烏輪の叫びも空しく、夕子の禍々しい、ねっとりと絡みつくような霊気の放出はとまらない。
荒れ狂うように舞い踊る霊気を纏いながら、彼女は太刀を左右にふるう。その激しい動きに、傷を痛む様子もなくなっている。
「くっ!」
激しい剣圧が、烏輪と九天が吹き飛ばした。
二〇メートルほど背後に飛ばされたが、烏輪は空中で姿勢を整え辛くも着地する。
すぐさま夕子に目を向ける。
その時、すでに見た目の大きな変化が始まっていた。
夕子の両の腕が、服を破って異様に膨れあがる。
肌の表面は灰色に変わり、まるで鋼鉄のような鈍い艶を見せる。
肩から同じ色の板状の物がせり出して上膊に乗り、肘下まで伸びる。
よく見れば表面は小さい板が鱗のように重なって出来ているようだ。
そして、下膊はまるで篭手のようなもので包まれている。
次に変化を見せたのは、下半身だ。
全体が膨らんだかと思うと、ズボンを破って肩から生えた板と同じような物が腰から突きでてきた。
それが前後左右に囲むように生え、膝辺りまで隠している。
そこまで見て烏輪は気がついた。何かに似ている。
そうだ。あれは、
「
灰色に膨れあがった腕と腰から下は、まるで鎧武者を思わす。
しかし、それは本当の鎧ではない。
あくまで夕子の体が変質してできた物だ。
不釣り合いな上半身と腕、下半身。
なまじ、人の形を残しているだけ異様だ。
夕子が村正を握る自らの灰色の手を見つめる。
そして、順番に腕や脚を一見する。
その口から、低い嗤いがもれた。
「くっ……。こんな醜い姿、お兄様には見せられないわね」
「夕子さん……」
「でも、お兄様の夢を叶えられるのなら、これでいいわ。……そうね。あなたたちを殺して、その後、お兄様に見られてしまったら、お兄様を食べてしまうのもいいかもね。そうすれば、ずっと一緒にいられるわ……」
夕子は自分からあふれる霊気に酔うように、恍惚とした表情で高笑いを始める。
「目的を見失っているな」
九天に「もう、鬼だからなの」と、烏輪はボソッと答える。
それは、自分に言い聞かせるためでもあった。
もう手遅れだ。
目の前の相手は、完全に鬼に自ら墜ちた。
人としての夕子は死んだのだ。
「ぼけっとしている暇はないぞ」
横に来た九天に、銃のグリップでかるく後頭部をこづかれる。
「い、いたいの……」
「さっきみたいな半端は、もうするな。奴にも言ったが、俺は死ぬつもりはない」
「……ごめんなさい……なの」
やはり、気がつかれていた。
夕子に斬りかかった時、ためらいで踏みこみがあまくなっていたことを。
本当は胴を薙ぎはらう時、きちんと踏み込めば、夕子を両断に出来ていたことを。
でも、どうしても脳裏によぎってしまったのだ。
自分と同じように兄を慕う彼女の笑顔が。
「――ったく。とはいえ……これは、かなりやばいな。予想以上だ」
その通りだ。完全に鬼となった夕子の霊力は凄まじい。
さらに人の器を捨てた彼女は、無限の霊力を今度は遠慮なく使えるのだ。
これほど「勝てる気がしない」と思ったのは初めてだ。
自分のせいだ。
あの時、彼女を斬るときに躊躇していなければ、こんな事にはならなかった。
覚悟が出来ていなかったせいで、自分だけではなく、九天をも死なすことになってしまった。
さらに、あの超能力者や柳や那由多、そして大事な陽光まで死なすことになるのだろう。
「こんなことに、なって、ごめ――」
「あきらめるのは、死ぬ間際にしてくれ」
九天は胸ポケットからスマートフォンらしきものを一台出す。
そして何かを確認すると、素早く操作しはじめる。
「もうそろそろだな……。おい、小娘。村正に供給されている無限の霊力を断ったらどうなる?」
烏輪は瞬間、どうしてそんな質問をするのか問いただそうとした。
が、口から一言ももらさず呑みこんだ。
九天の黒い明眸が、あきらめていないと語っている。
だから、反論も質問も受け付けない。
生きるために俺の質問にとっとと答えろ、俺の言うとおりにしろ。
そう言っている。
そんな横柄な意志を感じて怒るどころか、烏輪は安心感に包まれてしまう。
「あの村正は、霊気を吸いとる本物の妖刀となっているの。【切】が切れても、その性質は同じ。しかも、今や簡単に制御できない力を持つの」
「つまり、供給を断てば、手近なところから吸おうとするでいいな?」
「ほむ」
「なら、どうやったら断つことができる?」
「穴――黄泉戸を閉じるの」
「あの小烏丸とかいうのは?」
「小烏丸は開く術式に、使われているの」
「――ったく、邪魔だな。よし。小娘はあの太刀を奪い返せ」
「でも、あれは穴を開けて制御するための術。穴を閉じるには、別の術が……」
「そこは任せろ。俺が守るから、小娘は何も考えず走って太刀を奪え」
「ほむ。わかった」
不思議な感覚だった。
術が使えないのに、九天は黄泉戸を閉じることを任せろという。
さらに、あの強い鬼から守るという。
だが烏輪は、その九天の言葉に少しの疑問もわかなかった。
信じることができた。
そして、九天の言うとおりにすればいいのだと素直に思えた。
この不利な勝負の間際で、烏輪は感じていた。
彼の中にある折れない意志。
自分を守ろうとする決意。
飄々とした、つかみどころのない男に思えた九天の心がつかめてきたのだ。
だからこそ彼を信じ、成功すると思えた。
(ほむ。覚悟……これが覚悟の了知……)
今まで仕事をしている間、死を覚悟していたつもりだった。
だが、今にしてみればそれは覚悟ではない。
なぜなら、死を恐れることはなかったが、死を迎える間際に後悔していただろう。
しかし、今は違う。
死を恐れている。
兄と……いや。九天のことをもっと知りたい、もっと話してみたいと思っている。
だから死にたくない。
しかし今、九天の作戦が失敗して死んでも、信じたことを後悔したりはしないだろう。
それでも、失敗するわけにはいかない。
自分が死ねば、九天は必ず傷つき、それを一生涯、背負っていく。
この人は、そういう人だ。
そんな想いを背負わせたくはない。
逆に自分を守って九天が死ねば、烏輪はその死を一生涯、背負っていくつもりだ。
(でも、この人は簡単に、そんなことをボクにさせないの……)
そんな多くの想いが、一陣の風のように烏輪の中を通り過ぎていった。
その科戸の風は、烏輪の中にあった負の感情をすべて吹き流していく。
心が驚くほどクリアになっていた。
迷いの欠片もない。
もうやることは、はっきりとしている。
「さあ。もうお別れはすんだの?」
床に挿した村正に両手を掛けて、夕子がクックッと笑っている。
圧倒的な力の差をわかっているのだ。
だから、悪あがきをしようとしている二人を血走った目で見て愉悦にひたっている。
思考が鬼【村正】に囚われ始めている彼女は、それで精神的な餓えを潤しているのだろう。
「これを持って、俺が撃ちはじめたら走れ」
「承知」
九天から赤い丈夫そうなスマートフォンを渡されたので、それをズボンの後ろポケットに突っこんでから鬼丸を構えなおす。
やはり質問はしない。
彼が話さないと言うことは、説明は必要ないと言うことだ。
この束の間なら、兄のことより九天のことの方がわかる気がする。
「そろそろ死んでもらうわ、お二人さん」
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