第11話:友と兄(二)

「お話中、ごめんね」


 ふりかえると、はたして兄の陽光だった。学生服の詰め襟をきっちりとめて、教科書がぎっしりとつまっていそうな学生鞄を片手にさげて、ゆっくり歩みよってくる。


「あ、先輩。こんにちは」


 挨拶をする槐に、陽光もさらさらの髪を揺らしながら丁寧に頭をさげる。


「烏輪、明日は白夜びゃくやさんが来ることになったから遊びには行けないよ」


 それを聞いた槐が、がっくりと肩を落とす。

 だが、やはり彼女の切り替えは早い。すぐにまた楽しそうに別の話題に移った。帰路が別れるまで、授業の話や、ファッションの話、そして夜華の話などを次々とふってきた。

 烏輪はどれも、適度に受け答えしてお茶を濁す。

 本当のところは、別に彼女を嫌っているわけではない。むしろ、本当は好意を持っている。明るく話題も豊富だし、必要以上にこちらのことを詮索したりしない。

 そしてなにより、陽光に言い寄ったりしないところがよい。烏輪によってくるほとんどの女性は、みな陽光狙いなのだ。


 頭脳明晰で優しく美形、さらに運動神経までよいという「失われし伝説の理想像」と冗談のように呼ばれる陽光。それはもう校内どころか、この地域でもかなり有名な存在である。

 もちろん、女の子たちが彼を放っておくわけがなく、言い寄る者は後を絶たない。ファンクラブさえ存在する。おかげで悪目立ちしてしまうこともあり、仕事の時にも障害が出たりすることもある。

 もちろん、そういうときは自分が兄を助けようと思っているが、兄に並ぶにはまだまだ実力がともなわない。


 烏輪の目標、というより願いは、兄の側にいて兄をずっと助けることなのだ。たがら烏輪にとって、立派すぎる兄は目標でありライバルだった。兄に追いつこうと毎日、鍛錬をしているが、勉強でも剣術でも烏輪は兄に勝ったためしがない。それどころか、まだまだ兄に助けられることの方が多い。

 そして、兄に助けてもらえることを烏輪は喜んでしまっているところもあった。


「ほむ。兄様、ありがとうなの。ボク、誤魔化すのが下手だから……」


 槐と別れたあと、烏輪は兄の腕にしがみつくようにして甘える。学校からこれだけ離れれば、うるさい兄のファンクラブの子たちもついてきていないはずだ。やっと兄にくっつける。


 そう。兄こそが、最高の男性なのだ。おかげでクラスメイトはもとより、たとえ人気男性アイドルとかいうのを見ても、まったく惹かれたことがない。ブラコンと陰口をたたかれようと仕方がない。なにしろ、兄より魅力的な男なんて見たことがないのだ。

 しかも、兄は自分より遙かに強い。きっと自分より先に戦いの中で死ぬことなどないはずだ。つまり、思いをぶつけても失われる心配が少ない相手なのである。


「兄様も明日は、特に予定がないの?」


 烏輪はいつも通り淡々と、しかし内心でドキドキしながら兄の様子をうかがう。


「だったら、ボクと買い物にでも行こうなの」


「あ。違うんだよ、烏輪」


「ほむ?」


 陽光の手が、かるく烏輪の頭にのせられる。

 おかげで、烏輪はよけい胸を高鳴らせてしまう。

 だが次の説明で、その高鳴りはすぐに収まる。


「さっき、父様から連絡があってね。従兄の白夜さんが来るのは本当なんだ。ただ、それは今夜。そして明日は、出かけないといけなくなりそうなんだよ」


「白夜さんが? ……もしかして【小烏丸こがらすまる】が見つかったの?」


「うーん。それがどうも違っていてね。どうやら妹さんの件らしいんだ」


「ほむ? 夕子さん?」


 従兄の白夜とその妹の夕子とは、幼い頃はよく遊んだ間柄だった。

 夕子も自分の兄の白夜のことが大好きで、五つも下の烏輪と兄自慢で言い争いをしたこともあった。

 思いだすのは、三年ほど前。白夜と夕子が鍛錬のために、烏輪の自宅によく訪れてきていたころの話だ。





「陽光君も大したものだとは思うのよ」


 腕を組みながら、夕子はかるく数回頷き、ボブカットの黒髪を揺らす。


「でも、やっぱりうちのお兄様の方が上だと思うの」


 そして、最後に少し勝ち誇ったように笑う。

 【夕子】という名は、赤児の彼女に夕焼けを見せたところ、「それは愛らしく将来の美貌を感じさせるように微笑んだ」と、彼女の祖母が言ったことからつけられたという。その由来に恥じず、夕焼けをバックに笑みを見せる彼女は、小憎たらしいのに見目好い。

 なにしろ、七藤家の男の美貌をそのまま女性に持ってきたような妍麗けんれいさである。

 黒髪が斜陽を返して燃えるように光る。

 白色の肌も朱に染まり、目尻の長い二重瞼の下で、黒い瞳が印象強く光っている。

 まさしく、烏輪の理想の造形がそこにある。憎たらしさ、倍増である。


「ほむ。それはないの」


 故に烏輪の口調も、普段よりさらに冷淡になる。


「ボクの陽光兄様の方が強いし、そのうえ美しいし、カッコイイの」


「何言ってんのよ! 陽光君なんてなよっとしているだけで、白夜お兄様の方が断然、優美な太刀さばきだし、強いよ」


「それはない。兄様の方が強いし、素敵」


「な~にが素敵よ。まだまだ陽光君なんて子供じゃない。お兄様の大人の魅力漂う姿に比べれば、ただの若造……」


「ほむ。白夜さんは、その若造とほぼ互角の腕前。つまり、兄様が同じ年だとすれば、兄様の方がはるかに強いということなの」


「あら。同じ年になったら、むさい顔になっているかもしれないわよ」


「ありえないの。兄様は、いくつになってもカッコイイの」


「それに陽光君の名前はただの『陽の光』でしょ。白夜お兄様の名前は、夜まで朝にしてしまうぐらい強い陽の光を表しているのよ。名前的にも白夜お兄様の勝ちじゃない」


「でも、『白夜』自体は、単なる『白い夜』。七藤家の守り神である、太陽に住む【八咫烏やたがらす】を表すなら『陽光』のがいいの。ボクの陽光兄様の勝利」


「わたしの白夜お兄様の勝ちよ!」


「ボクの」


「わたしの!」





 今、思いだすと、いったい何を競っていたのか分からないが、顔を見るとよくそんな言いあいをくり返してた。それは決して仲が悪かったわけではなく、お互いに兄自慢を楽しんでいただけだったのだろう。

 ただ、ブラコンという意味ならば、さすがの烏輪も夕子には敵わない気がしていた。夕子の想いは、どこか度が過ぎているように思われる。


 そんな彼女と最後にあったのは、七藤家として大きなイベントがあった二年前。

 その後、しばらくして彼女は忽然と姿を消した。失踪したのか、誘拐されたのか、行方はようとして知れなかった。


「どうやら、何か手がかりが見つかったらしい」


 陽光の言葉に、烏輪は複雑な想いを抱く。

 夕子の行方不明を聞いた時、もちろん烏輪も心配した。だが、一方で罪悪感も感じていた。もし失踪したならば、その原因は兄・陽光にあるかもしれないのだ。

 なにしろ陽光と白夜は、次期宗主の座を争ったライバル。そして、二年前に陽光が勝利することでその決着がついた。

 それはつまり、夕子の大好きだった兄・白夜の夢を壊してしまったことになる。もしかしたら、そのショックからの失踪かもしれないのだ。


 無論、失踪したとは限らないから、それは考え過ぎかもしれない。母親にこっそりと相談したこともあったが、やはり「考えすぎ」と返された。

 しかし、試合も互角で、決着は本家と分家の代表で話し合われ、結果として分家の白夜より、本家の陽光が選ばれたとなれば、当人たちもすっきりしないぐらいだ。ずっと幼い頃から応援していた夕子だって、思うところがあったかもしれない。


「……夕子さん、見つかるといいの」


「ああ……」


 日が傾いた中、二人は足を早めて家路を急いだ。

 白夜からの知らせが、吉報であることを祈って。

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