第三節
第10話:友と兄(一)
「烏輪はさぁ、彼氏とか欲しいと思わないの?」
中学二年生になって、早苗が三浦という野球少年とつきあい始めてからである。烏輪はこんな話題をよくふられた。
その度に烏輪は、迷わず「不要」と答える。
今日もいつも通り、机を向きあわせてつくった島。それはクラスの喧噪から、少し孤立した二人の世界。そしていつもどおり、給食のロールパンを口に運びながらのたわいない話を続ける。
周りから奇妙な目で見られて孤立しがちな烏輪から、早苗は絶対に離れようとしない。
「はぁ~。烏輪ったらぁ。あのねぇ、あなたのお兄さん以上なんてそうそういないよぉ?」
いつも通りのため息で、早苗はポニーテールの髪を揺らした。
「ほむ。そう思うの。だから、ボクは兄様さえいればいいの」
烏輪も、定番の答えだった。
それが二人の日常で、早苗も烏輪の反応は十分にわかっている。
しかし今日は、その細い目をまた細めて、少し意地悪く笑う。
「えー。お兄さんだけぇ? 早苗のことはどうでもいいのぉ~?」
「そ、そんなことはないの。ボクにとって早苗は、ずっと大切な友達。だって早苗は、ボクのことわかってくれたから……」
「えー……わかんないよ?」
「……え?」
烏輪は、いつもと違う早苗の反応に固まる。
「だって、烏輪。なんで刀なんて持っているの?」
気がつけば、目の前にあったランチの載ったテーブルは消え失せていた。周囲は、ただただ灰色の世界と化しており、地に足がついているのかもわからない。
そして、いつの間にか立っている制服姿の烏輪の手には、日本刀が一振りあった。それはまちがいなく、抜き身の鬼切。
「こ、これは……」
なにか言おうとすると、いつの間にかうつむいていた早苗が顔をゆっくりと上げる。
だが、その顔は早苗の愛らしい容貌ではなかった。
目が寄り、顎が大きく落ちた鬼の顔。
その首が唐突に、ストンと転がり落ちる。
刃から滴る血が、ほんの数滴で灰色の世界を赤く染める。
「う……りん……どうし……て…………早苗を斬ったのぉ~」
そして、叫ぶ――
烏輪は、ガバッとベッドの上で起きあがった。顔をひきつらせたまま、冷や汗で体中が冷たくなる。激しい呼吸で、喉が嗄れて痛みが走る。
忘れたはずの出来事――鬼と化した友人を斬った事件――から半年間。毎晩、毎晩、この夢を見ていた。そして、胸焼けがするように不快になり、日によっては我慢できずに嘔吐した。
なぜ気分が悪くなるのか、彼女はそれを理解したくなかった。わかりたくなかった。だから彼女は、その度に自分に言い聞かせる。
それは、暗示というより呪いだったのかも知れない。もしくは、願いか。
――斬ったのは、早苗ではなく鬼だ。
何度も何度も、自分に言い聞かせた。
何度も何度も。
何度も何度も……。
さらに半年の月日が経った頃、その悪夢を見ることはなくなっていた。それは言い聞かせたからだけではなく、もしかしたら試験勉強に勤しんだり、高校生になって環境が変わり忙しかったりしたせいかもしれない。
とうとう烏輪は、あの時の事を忘れることができたのだ。
ただし、意識の表面の話だ。
無意識下では、悪夢が烏輪を手放すことはなかった。
否、烏輪が悪夢を手放さなかった。
悪夢を奥底に閉じこめ、自らを罰するようにそれで心を縛りつけた。二度とこんな目に遭わないようにしなければならないと戒めた。
結果、彼女はクラスメイトとの交流を完全に避けるようになっていた。とは言え、もともとあまり友達を作らず、仲がいいのも早苗ぐらいだった。だから、高校に入った今では、誰一人として友達と呼べる者は存在しない。
自分は普通じゃない。普通の人間とはつきあわないようにする。これが一番、良いのだ。
そう考え、そうしていた……はずだった。
「う~りりん!」
しかし、どこにでも積極的な人間はいるもので、そんな烏輪になぜか関わってくる者もいた。
「
「もう何度も言ってるでしょ!
「……ほむ。槐さん」
小走りに近づいてきたクラスメイトに、烏輪は下駄箱に掴まり、靴を履き替えながら応える。
たぶん、急いで走ってきたのだろう。ポニーテールを揺らしながら、彼女は息を整えている。
そんな彼女を烏輪は、いつも不思議に思っていた。話しかけられれば、かまわないで欲しい、不機嫌であるという顔を見せている。今だって、早く下校したくて仕方がないという態度をあからさまにとっている。たとえ会話をしても、こちらから話しかけることはなく、大して楽しい会話をするわけでもない。
それなのに彼女は、いつもいつも嬉しそうに話しかけてくる。
「うりりんは、いつも帰るの早いよね」
「……『いつも』って言えば、疑問があるの」
それはちょっとした気の迷いだった。烏輪は、なんとなく疑問をぶつけてみることにする。
「なんでいつもボクに、声をかけてくるの?」
「ん?」
やはり靴を履き替えるため片足をあげていた槐が、そのままのポーズで動きを止める。軽そうな学生鞄を脇に挟み、どこにも手をついていないというのに、妙にバランスよくピタリと微動だにしない。
その彼女に、烏輪はまっすぐと向いて静かに話す。
「ボク、話していても、あまりおもしろくないはずなの」
「ノンノンノン! おもしろいよ!」
いきなりハイテンションで槐が迫るように近づいてくる。
少し烏輪より高く、身長は一七〇センチぐらい。そこに大きな差はないのだが、そのプロポーションは大きく異なった。別のクラスメイトが、「槐の体型は、ボン・キュ・ボンじゃなく、ドカン・ギュッ・ボンだ」と表現していたけど、烏輪は的確な擬音だと思った。
とにかく、烏輪から見ても「女」という感じがするのだ。
髪をほどけば腰まで届く茶髪は、すごく艶やかだ。きれいな二重の目も色っぽい。少しだけ色が入ったリップで飾った唇も艶めかしい。そんな色っぽい身体が、紺地に白スカーフのセーラー服に包まれているのだ。男子生徒の熱い視線を集めないわけがない。そんな彼女は、クラスだけではなく学年内でも人気者だった。
その彼女が、いきなり鼻の頭がつくぐらい寄ってきている。
別にそういう趣味があるわけではないが、烏輪は思わず顔を赤らめる。感情をなるべく表にださないようにしているが、慣れていないことは反応に困る。
「ち、近すぎ……」
烏輪は、槐の両肩を押して離す。
そして小さく息を吐いてから、また口を開く。
「で、ボクのどこがおもしろいの?」
「おもしろいわよ。だって、今どきボクっ
「ぼ、ぼくっこ?」
「しかも変な口調で、どこか人と距離をとっていて、ちょっとクールっぽいのに、クールっぽくなかったり」
「……わけわかんないの」
「そうそう。その冷たい口調がまた、なんていうか、ツンっていうか!」
「つ、つん?」
「そう。それでいて、お兄さんにはデレだし」
「で、でれ?」
「さらに、なんか陰があるっていうか、秘密がある雰囲気っていうかぁ」
「…………」
「もうめっちゃ、萌えよ、リアル萌え!」
「も、もえって……」
「しかも、名前が『うりりん』なんて魔法少女みたいなかわいい名前でしょ!」
「違うの。『
烏輪は思わずたじろぐ。
どんな鬼に出遭っても、たじろぐことなどなく向かっていったが、目の前にいる女の子は、鬼より得体が知れない。
自分のことを「ボク」と呼ぶのは、幼い頃から兄に憧れ、兄の口調をまねていたためだし、周りと距離をとっているのは必要以上に親しくならないためだ。
ただ、そんなことをいちいち説明するわけにもいかない。
それに話してわかったが、彼女は勘が良さそうだ。下手なことを話して、よけいなことを突っこまれても藪蛇だ。それでなくても一度、藪から蛇を出してしまっている。
それは――
「それにさ、うりりんも【
――これのことだ。
彼女の言う「夜華様」というのは、歌手の名前だ。同年代の女性シンガーなのだが、確かに烏輪は彼女の歌が好きで、そのことをポロッと槐に話してしまったのだ。それが、彼女からの猛攻の始まりになるとは思いもせずに。
「なんて言うかさ、親友フラグが立ったって感じで。もうこれ運命ってか? デスティニー? さだめ?」
「それ、みんな一緒じ――なっ!」
いきなり彼女が烏輪を抱きしめてくる。
油断していたとはいえ、彼女の動きのすばやさに驚いてしまう。さらに、その抜群のクッション性をもつ胸に顔を埋もれさせられ、とっさに烏輪は動きが止まってしまう。
(いい香り……)
うっすらと槐から漂うフレグランス。少し甘い感じのする花の香りに包まれ、少しだけ心地よくなる。
「だからさ、もっと仲良くなりましょ!」
「……くっつくな、なの」
我に返り、烏輪は慌てて体を引きはなす。
周りを見れば、同じく下校中の男女が、興味深そうにこちらを見ている。周りのことは気にしない烏輪だが、目立ってしまうのは困る。完全にはできないにしろ、一般人のようにふるまいたい。
「……けち。ところでさ。明日の土曜日なんだけど暇?」
すぐに離れたのが残念だったのか、槐は少しだけ口を尖らせた。が、すぐにコロッと表情を変えている。この切り替えの早さに、いつも烏輪は会話のペースを持っていかれてしまう。
「実はさ、すご~い好みの男の人がいる上に、おいしくて、それでいて変わった喫茶店があってね」
「ほむ? かっこよくて、おいしくて、変わった、喫茶店?」
「そう! おもしろいのよ。ああ、それから見たい映画もあるの。夜華様の歌が主題歌。だから、映画の後にその喫茶店に行くわけよ!」
大きな手ぶりをいれて、自分とは対照的に弾むような声で語る槐。その満面の笑みと積極性に、烏輪は圧倒されてしまう。
「ね? 一緒に行こう? 行こう? 行こう?」
「あ、いや。明日は、その……」
そこまで反射的に口にしてから、明日は特に用事がなかったことを思いだす。仕事も入っていないし、ちょうど修行も休みの日だ。
しかし、彼女と仲良くなるわけにはいかない。
決めたのだ。
もう「思い」を誰かにやることはしないと。
「明日は……」
「明日は、従兄が遊びに来る日なんだ」
理由を迷っているところに助け船がはいった。
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