第四節

第19話:異能力者と無能力者(一)

「これは私にとって大切な研究であり、君たちにとってはゲームだ」


 異様な覇気を帯びながらも、淡々とした声だった。それが、部屋のどこかにあるスピーカーから聞こえいる。

 無論、烏輪はこの声を聞いたのは初めてだ。しかし十中八九、この声の主が先ほど那由多が話していた【山野】という男なのだろう。


「クリア条件は、【地獄の扉】を閉じ、その証を手に入れ、朝日が顔を出すまで生きのびること」


「【地獄の扉】? なんだ、それ。ケロベロスでもいるのか?」


 柳の気楽そうな独り言を聞いて、烏輪は内心で呆れてしまう。先ほど聞いたが、柳は「信じていない人」だという。なぜ、そんな一般人が【協力者】となったのだろうか。協力者も人材不足なのかもしれない。そう考えると、柳が使いものになるのか不安になる。


(そんなことより、問題は【地獄の扉】がなんなのかなの……)


 【地獄】という存在は、宗教によって形が異なる。

 たとえば、古神道に【地獄】という観念がそもそもない。あえて言えば【黄泉】であるが、それは善悪には関係なく、死者はすべて行くと言われている場所だ。

 他の宗教も多少は勉強はしているが、烏輪は【地獄の扉】と聞いてもピンと来るものはなかった。


「その時点で証を持つ者がいれば、その者に賞金五〇〇〇万円をすべて渡す」


 招待状の通り、普通では信じられない額が提示される。

 確かに悪霊退治は高額な仕事だが、一体を退治するのに、企業相手で最高でも一〇〇〇万円程度、個人ならば最高でも一〇〇万円、平均で五十万円の世界である。

 命がけの仕事の割に、報酬は少ない。なぜなら、なにも考えずに高額にしても普通は払うことができないからだ。


「信じられない者もいるかもしれないが、すでに賞金を手にした者も実際にいる。噂ぐらいは聞いているだろう。そもそも私の研究が成功すれば、このぐらいの金額はなんでもない。それだけの資金援助も受けている」


 男の声は、まるで参加者たちの疑問に答えるように、先回りして説明する。

 確かに、白夜は賞金を手にした者と接触したという。

 しかし、先ほど那由多から聞いた情報から言えば、そのような者は見つかっていない・・・・・・・・・・・・・・・し、それどころか誰一人として帰還者はいない・・・・・・・・・・・・・のではないかと、推測されているらしい。

 つまり、賞金を手にしたという者は、雇われたサクラの可能性が高いのだ。


(サクラ……だとしたら、あれは……)


 烏輪は気になることを頭の隅に追いやり、山野の言葉の続きを聞く。


「ちなみに、証を持つ者がいなかった場合は、日の出まで生き延びた者で賞金を山分けだ。だから、生き残った人数が少ない方がより儲かる。さらにだ。証を持つ者一人しか生き延びなかったのなら、ボーナスとして賞金を一億円にしよう」


 周囲が一気に色めきだつ。


(この男……)


 烏輪は苛立ちで、無意識に上の歯をかるく下唇に当てる。

 山野は参加者を煽っている。姿は見えないが、その口角がつり上がって嗤っている顔が目に浮かぶようだ。

 そもそもクリア条件も「門を閉じること」ではなく、終了時に「証を持っている」ということがポイントだ。つまり、証を持つ者を斃して奪ってもいいわけだ。遠回しに「殺し合え」と言っているとしか思えない。金が欲しければ、参加者はみな敵ということになる。


「なお、君らの生死について、私は一切関知しない。私の目的は観察であり、君らが死にかけても助けることはない。また、死体は実験に利用させてもらう」


 一方的だった。普通ならば、こんなマッドサイエンティストの勝手な言い分など、文句がでて当然である。

 ところが、そうはならない。これだけの賞金が出るのだから仕方がないと、皆が思っているのだろう。この程度は、誰もが予想済みということだ。


 だが、山野は次の瞬間、誰もが予想しなかったことを言いだす。


「それから予定外だが、今回はゲストが参加する」


 とたん、部屋の扉が開いて老婆の姿が見えた。

 その後ろに、いくつかの黒い影のような姿が見える。


「あれは、さっきの……」


 足下から鳥が立つような場景に、烏輪は兄を見る。

 もちろん、陽光も一瞬で気がついたらしく厳しい顔つきになる。


「彼らは近くで遊んでいたらしいのだが、濃霧で山を降りられなくなったというのだ。それは気の毒だと招き入れた。外ももう暗くて危険だしな。もちろん、普通の人間・・・・・だ。まあ、仲良くやってくれ」


 どこか愉楽をうかがわせる山野の声は、神経を逆なでする。


 老婆と共に現れたのは、山を登る途中で出会ったサバイバルゲームをやっているという黒い軍服姿の者たちだったのだ。彼らは異様なカッコをしているが、山野の言うとおり普通――無能力者――であろう。むしろ、普通より霊力が弱めの者たちばかりだ。

 そしてもちろん、特部に所属していない一般人であろう。

 つまり、元々が国家機関であるエスソルヴァの那由多や警察官の柳にとっては、保護しなければならない民間人だ。そして、先ほど協力すると約束した烏輪たちにしても、それは同じ事になる。


 彼らは、烏輪たちにとって予想外の足枷だった。

 しかも、その足枷の重さは九人分ときている。


「濃霧? ……ああ、本当だ。いつの間にこんな深い霧が……」


 柳が窓を覗きこんで驚いている。

 烏輪も近づいてみる。

 暗闇の中に、部屋のあかりを返す白い煙が渦巻いている。

 柳が小さな窓ガラスを上にスライドさせた。

 とたん、冷たい湿った空気が窓から入りこむ。

 確かに窓の外には、霧がまるで白い壁のように・・・・・・・なっている。

 横に並んだ柳が、ペンライトを出して外を照らした。

 が、わずか数十センチ先も見ることができない。


「しかし、本当に凄いな」


 そう言って柳が、窓から手をだそうとする。


「――だめなのっ!」


 烏輪は、慌ててその手を掴んで力尽くで退かせる。

 同時に、手の先へ衝撃を感じる。


「うわっ!」


 悲鳴をあげた柳の手から、ペンライトがなくなっていた。


「な、何か……一瞬、手みたいなのが見えて……弾かれた……」


「この部屋から出ちゃダメなの」


 烏輪は睨みつけるが、柳は理解していない。


「この霧もまた、結界なんよ」


 那由多が横から説明する。


「たぶん、山のほとんどを包んでいる【物理結界】。外からの侵入も中からの脱出もできないタイプみたいんよ。あの軍服着た連中が外に出られなかったのは霧のせいだけじゃないかもね」


「いや。それより今、ライトを弾いたのは何? ここ二階だよな……」


「悪霊の類だね。すでに霧の中で活発になりつつあるんよ。あの軍服さんたちは、たぶん活発になる前にここについたんね。果たして、運がよかったと言うべきか、悪かったのかわからないけど」


 那由多の視線の先で、事情をまったくわかっていない黒服たちが、口々に「おじゃまします」「仮装パーティですか?」などと、お気楽な言葉を口にしながら、奥の隅を陣取った。

 かと思うと、すぐさまリュックを降ろして荷物を広げながら、楽しそうにおもちゃの銃の手入れみたいなことを和気あいあいと始めている。


 霧が晴れたら、すぐにでも遊びにいくつもりなのだろうか。なんの不安も感じていないように見える。

 烏輪はその常楽的態度にイラッとするが、あれが普通なのだろう。霊の存在になんて気がついていないだろうし、たとえ教えたとしても、悪霊とか結界とか、あり得ないと思っているはずだ。

 この目の前の警察官のように。


「鳥……そうだ。鳥か何かが、ぶつかったんじゃないのか? 霧の中で光をめざしてきた。指に見えたのは羽根で……」


「夜霧の中、鳥目で飛んできた?」


「うっ……」


 じとっとした目で那由多に見られて、柳が息を呑む。自分でも無理があると思っていたのだろう。


「柳禅さん」


 ゆったりとした口調で、陽光が窓際を指さす。


「あの窓を開けた時、冷たい空気を感じましたか?」


「え? あ、ああ」


「じゃあ、外の空気が流れこんできたということですよね?」


「そうだけど……あっ!」


 そこでやっと柳が気がつく。


「霧自体が、入ってきていない……」


 未だに開けっ放しの窓から、冷気は入ってくるが霊力により生まれた霧は入ってこられない。なぜなら、ここには那由多が張った結界がある。霧はまるで見えない壁にぶつかったように、そこで渦巻いて横に流れていく。


「さっきも言いましたが、信じていただかなくてもいいのですが、僕たちの言うことだけは守ってください」


 物静かながら、強い威圧感を持って陽光が念を押す。それは普段、陽光があまり見せない態度だった。つまり、それだけ今の状況が悪いということなのだろう。

 事情を知らない軍服たちが、どう動くかわからないし、言うことを聞いてくれるかもわからない。だけど烏輪や陽光、那由多はやることがある。そうなれば、柳には彼らを抑えてもらわなければならない。


「……はいはい。わかっているよ。とりあえず従うさ」


 投げやりぎみに柳が返した。

 少し肩をすくませ、やれやれという顔を隠しもしない。


「さて。参加者諸君。そろそろ時間だ」


 老婆が去ってしばらくすると、また山野の声が響いた。


「健闘を祈るよ。……ゲーム開始だ」



――パシッ!



 突如、どこからともなく、何かにひびが入ったような音が響く。

 それは不安と嫌悪感をかき立てるラップ音。

 烏輪は、思わず身震いした。

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